都市を無差別攻撃

ロシア軍が無差別攻撃を強めている。ウクライナ侵攻から3週間。幼稚園や産科病棟までもが標的にされ、多くの子どもらが犠牲になった。民間人の被害が急速に拡大している。プーチン大統領はいつまで無謀な侵略戦争を行うつもりなのか。停戦交渉は断続的に行われているが双方の主張には隔たりがあり、どこまで折り合えるか不透明だ。

攻撃されるマリウポリの街
攻撃されるマリウポリの街
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停戦交渉の一方で…

停戦に向けた交渉はオンライン形式で続けられている。

ロシアはウクライナの非武装化やNATOに加盟しないことを確約する「中立化」を要求。これに対しウクライナは即時停戦とロシア軍の撤退を求めている。ウクライナの政府高官は「妥協の余地もある」と語り、ロシア側からは「合意に近づいている」との声も上がっている。妥協点を見出せるかどうかギリギリの交渉が続きそうだ。

ウクライナとロシアの停戦交渉
ウクライナとロシアの停戦交渉

ただ、こうした中でもロシア軍は首都キエフなど市街地への攻撃を強めている。対するウクライナ軍は激しく抵抗しているが犠牲者は増える一方だ。ロシア国防省はクリミア半島に隣接する南部のへルソン州全域を制圧したと発表した。プーチン大統領はあくまでも「力」によって目的を達することを目指している。力への信奉。ロシア国民に向けたウクライナ侵攻直前の演説では「力は常に必要だ。どんな時も」と息巻いていた。

ロシアのプーチン大統領
ロシアのプーチン大統領

野望は「ロシア皇帝」?

プーチン大統領は「ロシア皇帝」になりたいのだろうか。

今回の侵攻も含め、これまでの行動からは旧ソ連領をロシアの勢力圏とみなし、再び支配することを目指していることがわかる。そんなプーチン大統領をフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトになぞらえる人たちがいる。元外務省欧亜局長の東郷和彦氏もその一人だ。「私のプーチンに対する最初の印象は『ボナパルト』でした。フランス革命の混沌とした時代に彗星のごとく現れ、瞬く間にフランスをまとめ上げていく―若き日のナポレオンのイメージと重なりました」(「文芸春秋」四月特別号)。1999年の第二次チェチェン戦争で首相として自ら軍の指揮を執り、独立派武装勢力を鎮圧、圧倒的な国民的人気を獲得したプーチン氏の姿を見て直感が正しかったと確信したと述べている。

フランス皇帝ナポレオン・ボナパルト像
フランス皇帝ナポレオン・ボナパルト像

「皇帝ナポレオン」の栄光と転落

ナポレオンは猛烈な勢いでヨーロッパを席巻し、210年前、大軍を率いてロシアへの大遠征を行った。多くの犠牲を出しながらもモスクワを占領。しかしロシア軍が街に火をつけ退却したためナポレオン軍は糧道を断たれ、ついには撤退へと追い込まれることになった。

ロシアを代表する文豪レフ・トルストイは小説「戦争と平和」でナポレオンのモスクワ入城の場面を次のように描写した。「モスクワが空っぽであることが、しかるべき慎重さをもってナポレオンに報告されたとき、ナポレオンは腹だたしげにじろりとその報告者をにらんだだけで、くるりと背を向けると、無言のまま歩きつづけた」「大詰めの見せ場が失敗に終わったのである」(トルストイ 工藤精一郎訳「戦争と平和(三)」新潮文庫)。これ以降、ナポレオンは転落への道を突き進むことになる。

ウクライナ侵攻の行方

プーチン大統領の侵略戦争は果たしてどういった展開を見せるのだろうか。

短期的には多くの都市を制圧し、首都キエフをも占領するかもしれない。だが長期的にはプーチン大統領の野望が達成されることになるとは考えられない。窮地に追い込まれていくことになるのではないか。欧米からの経済制裁はロシア経済に打撃を与え始めているようだ。情報統制を強めてはいるが、ロシア国営テレビのニュース番組の生放送中に女性職員が戦争反対を訴えた。プーチン体制はじわじわと揺らぎ始めている。ロシア軍が攻撃を強化し首都を陥落させたとしても得られるものは既になく、そこには空っぽな現実が待ち受けているだけではないのか。ナポレオンのモスクワ占領が「失敗」に終わったように。

ロシア国営テレビのニュース番組で「戦争反対」を訴える女性スタッフ
ロシア国営テレビのニュース番組で「戦争反対」を訴える女性スタッフ

平和な日常を破壊するな

「祖国戦争」で戦った敵将だけにトルストイのナポレオン評は手厳しい。「自分のためには何ものも悪と思わぬばかりか、それに不可解な超自然的な意味をあたえて、自分のあらゆる犯罪を誇りとする、あの栄光と偉大の理想」(トルストイ 工藤精一郎訳「戦争と平和(四)」新潮文庫)と喝破した。この特性がプーチン大統領に当てはまらないことを祈りたいが…。

ロシア軍の蛮行を決して容認してはならない。ウクライナの人々に一日でも早く平和な日常が戻ることを願う。

【執筆:フジテレビ 解説委員 安部俊孝】

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安部俊孝
安部俊孝

フジテレビ報道局解説委員。海部政権末期に政治記者になり、以来30年あまり永田町をウォッチ。自民党、野党、外務省などを担当して第一次安倍・福田・麻生政権時に首相官邸キャップを務めた。福岡県出身。早大商卒。好きなものはビール、旅、ラグビー、ブラジリアン柔術。