60年に渡り、戦没者の遺骨や遺品を収集してきた国吉勇さん。戦争資料館で保管されている約10万点の遺留品の整理が進められている。中には名前が刻まれた遺留品もあり、遺骨収集ボランティアが遺族のもとに返すための取り組みを始めている。

沖縄戦で母と兄弟を亡くして

那覇市にある「国吉勇 戦争資料館」。

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60年に渡って戦没者の遺骨収集をボランティアで続けていた国吉勇さんが、自宅の一角に作った資料館で、戦時中の薬瓶や水筒や飯盒など約10万点の遺留品が並んでいる。

国吉さんは6歳で沖縄戦を経験し、母親や兄弟、合わせて5人を戦争で亡くした。60年に渡って遺骨収集を続け、約3800柱の遺骨を地中から掘り出し、万年筆など様々な遺留品も遺族に返還してきた。

国吉勇さん:
この遺骨が出てくるもんですからね。出てくる間は続けてあげようかなと思いますけどね。遺骨の方は、僕らに出してもらったら、明るいところに出て喜ぶと思いますから

2016年に収集活動を引退したあとも資料館の案内は続けていたが、2019年からは体力の限界で閉館状態が続いてきた。

取材をきっかけに20年 元新聞記者の活動

青森県から国吉さんの資料館を訪れた、浜田哲二さんと妻・律子さん。

浜田哲二さん:
ここに20年以上前に来させていただいて。最初は取材でしたけどね

当時、全国紙の新聞記者だった浜田さん。国吉さんとの出会いが、20年に渡って沖縄で遺骨収集をするきっかけとなった。

浜田哲二さん:
「お前たちは節目の時しか来ない」と、「一人でも戦没者の方の遺骨を掘ってあげたらどうだ」と言われたんですよね

2人は名前のある遺留品を預かるため、資料館に足を運んだ。

浜田哲二さん:
これを洗って削り取って、名前や部隊がわかれば検索できる可能性がある

国吉さんが高齢となり、資料館の遺留品の管理が難しくなったため、家族は引き取り手を探していた。

国吉勇さんの三男・三雄さん:
浜田さんが、水筒や飯ごうといった身元がわかりそうなのを全部調べるってことで。身元がわかるものを遺族に返してもらうような、こういう活動は本当に助かっております

妻・律子さん:
今までの例だったら、こういう場所に書いていることが多いんです

預かったのは印鑑や万年筆、それに水筒。飯ごうは軍の装備品でデザインが同じため、名前が書かれていることが多い。

なんとしても返したい…遺族の悲痛な思いに突き動かされ

爆撃によって原型をとどめていない水筒や銃弾の跡が、当時の戦闘の激しさを物語る。

浜田哲二さん:
戦争がどんなものだったかわかる

遺骨を遺族のもとに帰すために始めた遺骨収集。

浜田哲二さん:
焼かれているから余計に劣化が激しいよな。新垣病院壕か…(名前)あるな。ミクニ 

遺留品に残された名前から遺族を探し、DNA鑑定を働きかけるきっかけとして。そして、遺留品が遺族にとって大切なものであることを、これまでの活動で痛いほど感じてきた。

妻・律子さん:
DNA鑑定で遺骨が故郷に帰る、家族の元に帰るというのが非常に少ないんですね

浜田哲二さん:
これまでの経験上、いろんな遺留品をお返ししたんですけど、涙を流して喜ばれるんですよね

妻・律子さん:
たとえどんなボロボロなものでも、遺族の方にとっては大事なものだと思いますので、できる限り名前を探して返したいと思います

家族を亡くした遺族の悲痛な思いが、浜田さんたちを突き動かしている。

妻・律子さん:
比嘉さんとか仲村渠さんとか、沖縄の方の名前が刻まれたものもありました。数が多くて駄目かもしれませんけど、諦めずに最後まで探したいと思います

この日、名前が書かれた遺留品は約50点確認できた。資料館にある名前のない遺留品は2022年4月以降、県の平和祈念資料館が引き取りに向け整理を開始する。

浜田哲二さん:
これは「物言わぬ戦争の証人」なんですよね。だから国吉さんがこうして集められたという重みを、次の世代がきちっと受け継いだ方がいいと、私たちは思っているのですけどね

(沖縄テレビ)

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