福島県にかつて存在していたサテライト校。震災直後、避難を余儀なくされた高校生のために、避難先の学校などの一部を間借りして授業を行なっていた。しかし、時の経過とともにその役割を終え、最後の一校となったのが相馬農業高校飯舘校。そんな学校の中で、輝きを放っていた演劇部があった。

フジテレビ系列28局が長く続けてきた「FNSドキュメンタリー大賞」が第30回を迎えた。FNS28局がそれぞれの視点で切り取った日本の断面を各局がドキュメンタリー形式で発表。今回は第27回(2018年)に大賞を受賞した福島テレビの「サテライトの灯~消えゆく“母校”~」を掲載する。

全国大会にも出場した演劇部が舞台のテーマとしたのはいつか無くなる母校への思い。後編では、飯舘校の募集停止が決定し、サテライト校の終わりが迫りつつある中での彼女たちの姿に迫る。

(記事内の情報・数字は放送当時のまま記載しています)

舞台の東京公演が決定

2018年2月、飯舘校にやって来たのは東京の演劇関係者。全国大会での熱演を見て、飯舘校の東京公演を企画した。

興味を抱いたのは劇作家のオノマリコさん。この舞台は、生徒が震災・原発事故と向き合っていることだけではないというのだ。

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「東京ではチャレンジスクールとか、そういう言われ方をしているんですけど、(こうした学校に通う)子どもたちを扱っている部分も(興味があった)。教室も小さくて、先生と生徒が密に関われるから、中学登校拒否児でも高校に入ってから、なんとか高校生活をやっていけるっていうところもあったんだろうなと」(オノさん)

震災から7年も経つと、サテライト校は避難先という意味合いだけではなくなっていた。若者たちの大切な居場所という役割もあったのだ。

しかし、そんな生徒の思いとは裏腹に「飯舘校を本来あるべき場所に戻す」という大人たちの議論が着実に進んでいく。

特色ある村立高校としての再開を検討

飯舘村の菅野典雄村長が打ち出したのは、募集が停止されて一旦は休校となる飯舘校を村に帰し、県立ではなく村立として再開させること。県立ではできない特色ある学校を作り、若者を呼び込んで復興を加速させる狙いがあった。

菅野村長はその特色も検討していて、“食と農” で考えていた。さらに、参考とする学校の視察も開始。北海道で最も人口が少ない自治体・音威子府村にある学校を、飯舘村はモデルケースとした。

村立北海道おといねっぷ美術工芸高校で、ロビーはまさにギャラリー。工芸・美術に特化したカリキュラムを持つ高校で、116人の生徒全員が村外の出身者。入学と同時に村に住民票を移すことになっていて、村の人口の15%を村外からの若者が占める。

村立北海道おといねっぷ美術工芸高校での授業風景
村立北海道おといねっぷ美術工芸高校での授業風景

やってくる若者は毎年約40人で、卒業生の一部が定住するなど村立高校の運営は村に大きな効果をもたらしているという。左近勝・音威子府村長も「彼らがいないと、村の将来を語ることはもう難しい段階に入っている」と、欠かせない存在になっていると強調する。

村民を育てる学校から村を育てる学校へ。地域と学校の新しいあり方に、飯舘村は希望の光を見出した。

「リスクも背負いながらみんなで力を合わせて、それをまた有効にどういう風に使っていくかという考え方が大切なんだろうと思います。(議会には)そういう面もある程度あるのはわかっていただきました」(菅野村長)

飯舘村は正式に議会に対し、飯舘校を村立として存続させる方針を説明。いよいよ原発事故の被災自治体に村立高校を誕生させる動きが活発化していく。

ラストステージの前売り券は完売

飯舘校演劇部のラストステージの時がやってきた。東京での舞台初日は顧問の西田先生が仕事で来られないため、空間作りはすべて千那さんに託された。

舞台の空間作りの指示を出す千那さん
舞台の空間作りの指示を出す千那さん

「当日、あの上の方だけサイドから光を当てたいんですけど。強めで」(千那さん)

プレハブの校舎に響く音や教室に差し込む光…飯舘校で過ごした日々を振り返りながら、繊細にサテライトのあの空間を東京に作り出していく。2日間の本公演は、前売りチケットがすべて売り切れた。

そして幕を開ける。

「私たちの校舎は歩くと、こんな音がします。プレハブ校舎だから」

「それが僕たちの高校福島県立相馬農業高校飯舘校サテライト」

「福島市にかすかにともったサテライトの明かり。つまり衛星の灯り。それが僕たちの高校」

(リコーダーで童謡「故郷」を演奏)
「やめろって言ってるだろ。何が故郷だよ、全然聞こえないよ、故郷に。こんな学校で何が故郷だよ。こんな学校のどこが故郷なんだよ」

「故郷だよ。この学校、私の故郷だよ」

「俺らがこのサテライト校舎の最後の生徒なんだから。最後をちゃんと看取ってやろうよ。今まで飯舘校でやってきたように、ちゃんと最後まで。ちゃんと」

終演後、千那さんはじっと自分の立ち位置に貼ったテープを見つめていた。

卒業式に母に伝えた思い

卒業証書を受け取る千那さん
卒業証書を受け取る千那さん

卒業式を行うのは飯舘校が間借りしている福島明成高校の体育館。福島明成高校の式が終わってから飯舘校サテライトの卒業式が開催された。

会場には千那さんを見守る母親の姿もあった。不登校で不安定だった時期に迷惑をかけた母親に感謝を伝えたいと思っていた千那さんは、式後に母親の前に立ち…。

「フォローしてもらわなかったら大会に行けていなかったとか、部活にも支障が出ていたと思う。本当にお母さんがお母さんでよかったと、心から思っています。これからも娘として(お母さんが)誇れるように頑張りたい…。これからもよろしくお願いいたします」

そして頑張れたのは、このプレハブ校舎があったからだった。

「こんなに床がギシギシいったり、ガンガンいったり。中がすごくふわふわというか優しい。外のプレハブとかベニヤ板とか鉄のパイプを見ていて優しいイメージは全然なかったんですけども、中を見るとそんなことはなくて。強く優しい場所でしたね」(千那さん)

村立高校としての計画は白紙に

飯舘村に完成した新しいこども園と小中一貫校
飯舘村に完成した新しいこども園と小中一貫校

2018年春、飯舘村には待望の瞬間が訪れた。新たに、こども園と小中一貫校が村内でスタートし、子どもたちの笑顔と元気な声が村に帰ってきたのだ。

一方で、村から35キロ離れた福島市の飯舘校サテライトには新入生の姿はない。生徒募集が停止され、2年生が卒業すれば学校から生徒がいなくなってしまう。近づく飯舘校サテライトの終わりの日のなかで、学校存続の議論も思わぬ方向へと向かっていく。

菅野村長が村立高校としての計画の中止を発表。高校の運営にかかる財政負担は年間2億円近くにのぼり、復興に向けさまざまな課題を抱える中、「高校の再開だけには力を捧げない」と村立断念という苦渋の決断を下したのだ。

飯舘村の菅野典雄村長
飯舘村の菅野典雄村長

「村立でなければ県立で」と県の教育委員会はその可能性を模索するとしているが、飯舘校の未来は再び闇の中となる。

このままでは避難先のプレハブ校舎だけでなく学校自体がなくなるかもしれない。その一報を伝え聞いた時、少し大人びた千那さんの姿は朝の市場にあった。高校卒業後、青果の仲卸の会社に就職し、毎朝3時には出勤している。

青果の仲卸の会社に入り、市場で働く千那さん
青果の仲卸の会社に入り、市場で働く千那さん

「いきなりそういう現実を突きつけられるというか。想像とはるかに違うものになってしまって、もう何か、帰るってずっと言ってたんですけど、帰る場所って何なんだろうなっていう風にだんだん思うようになってきて…」

長引く避難の中で、その意味合いが少しずつ変わっていったサテライト校だが、そこに通った若者たちにとっては決して消えることのないのが母校だ。

「原発事故自体に感謝はしないですけども、その震災の悲劇を通して出会えた、その絆が深まったっていうのは数え切れないほどいる。震災がもたらした影響の中には悪いことがあったけれども、それがあったからこそよかった部分もある」

あの大震災が、原発事故がもたらした影と光。

サテライトの灯に希望を見出していた生徒たちは…。あの舞台のラストシーンで、こう私たちに問いかけている。

「でも皆さん、もしいつか飯舘校が飯舘村に帰るというニュースを聞いたら、その時、少しだけこの話を思い出してほしいです。そしてその日の、私たちの様子を、少しだけ、少しだけ想像してほしいです。そのとき私たちは、私たちは何を感じるのでしょう」

(第27回FNSドキュメンタリー大賞『サテライトの灯~消えゆく“母校”~ 』福島テレビ・2018年)

生徒募集が停止となった相馬農業高校飯舘校は、最後の卒業生を送り出した後の2020年4月、休校となった。高校のサテライト校は全てなくなった。

福島テレビ
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