福島県にかつて存在していたサテライト校。震災直後、避難を余儀なくされた高校生のために、避難先の学校などの一部を間借りして授業を実施。時間の経過とともにその役割を終えて数を減らしていき、最後の一校が相馬農業高校飯舘校だった。そんな学校の中で、輝きを放つ演劇部があった。

フジテレビ系列28局が長く続けてきた「FNSドキュメンタリー大賞」が第30回を迎えた。FNS28局がそれぞれの視点で切り取った日本の断面を各局がドキュメンタリー形式で発表。今回は第27回(2018年)に大賞を受賞した福島テレビの「サテライトの灯~消えゆく“母校”~」を掲載する。

全国大会にも出場した演劇部が舞台のテーマとしたのはいつか無くなる母校への思い。前編では、彼女たちがどんな経緯で飯舘校に入り、演技に向き合ったのかを追った。

(記事内の情報・数字は放送当時のまま記載しています)

舞台「―サテライト仮想劇―いつか、その日に、」の一場面
舞台「―サテライト仮想劇―いつか、その日に、」の一場面
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「私たちの校舎は歩くとこんな音がします。プレハブ校舎だから…白く塗ったベニヤの壁。むき出しの黒い鉄の柱。アルミサッシのドアアルミサッシの窓。いつか消えてなくなるプレハブ校舎が私たちの母校。これからもずっとここにあるって思っていた。プレハブ校舎なのに…。」

相馬農業高校飯舘校のサテライト校舎
相馬農業高校飯舘校のサテライト校舎

この演劇部が通うプレハブ校舎があるのは、相馬農業高校飯舘校。福島第一原発の事故で、飯舘村から福島市に避難した学校だ。

震災から7年が経って全村避難が解除され、ようやく飯舘村に戻れる動きも出てきた。しかし、演劇部の生徒が演じるのは喜びではない。

「7年間ずっと福島市にあるので、今や飯舘高に通っている生徒の7割は、飯舘村とは何の関係もない福島市の生徒だ」

「本当を言うと、うちの学校が飯舘村には戻ってほしくない。だから私はその日を想像してみる」

「なんでそんな冷静な顔してやるの?私やっぱり悔しいよ、納得いかないよ」

「私は飯舘校のこの、全部捨てて、全部忘れて」「幻の校舎、幻の学校、明後日には全部消えてなくなっちゃうんだよ」

「学校が飯舘村に戻る」ことは、通い続けたこの校舎が失われることを意味する。村や学校が震災前の姿に近づこうとするのは本来望むべきことではあるが、震災当時には想像もしなかった形で翻弄される生徒たちがそこにはいた。

演劇部は避難後の2014年に創部

稽古中の彼らの声は、いつもプレハブの校舎全体に響き渡る。

プレハブ校舎は黒い鉄の柱が剥き出しとなっている
プレハブ校舎は黒い鉄の柱が剥き出しとなっている

3年生5人が所属する相馬農業高校飯舘校演劇部は、原発事故で学校が避難した後の2014年にできた新しい部活動だ。にもかかわらず、創部3年目で東北大会の最優秀賞を獲得。その舞台は多くの人の心を揺さぶった。

題名は「―サテライト仮想劇―いつか、その日に、」。

生徒自身が抱える葛藤をそのまま映し出したストーリーとなる。福島第一原発から40キロほど離れた飯舘村は、原発事故によってすべての村民が故郷を追われた。

そして、福島県教育委員会が被災地の高校生のために設けたのがサテライト校制度だ。避難区域に指定された場所にある高校が区域外にある他校などを間借りして校舎を設置し、授業をできるようにしたのだ。

相馬農業高校飯舘校は村から35キロ離れた福島市に避難し、別の高校の敷地内にプレハブ校舎が建てられた。そんな経緯もあり、生徒の出身は飯舘村とは限らない。

その一人が演劇部の部長・菅野千那さんで、出身は福島市。なぜ飯舘校を選んだかというと、理由は中学校時代にあった。

演劇部の部長・菅野千那さん
演劇部の部長・菅野千那さん

「行っていなかったのは1年生の1学期半ばぐらいからで、2年生は全然行っていなくて。いる意味とか、自分の存在価値をどんどん見失っていて…。いろんな理由があって学校に行かなくなったっていうのがあるんですけど」(千那さん)

不登校だった千那さんが漠然と定時制高校への進学を考えている中で紹介されたのが飯舘校だった。飯舘校は倍率が低く、入りやすい学校として福島市などに住む中学生の新たな受け皿になっていたのだ。今では全校生徒の約9割が村以外の出身者だという。

実は他の演劇部員たちも、ほとんどが不登校やいじめを経験している。

「同じ思いをしている子がいて、自分もやり直したいって思っている。たぶんきっと同じ思いなんだろうなと」(千那さん)

同じような悩みを抱えた同級生と共にプレハブの校舎に通い、演劇を練習する日々。しかし、時が経つほど現実味を帯びていったのがサテライト校の廃止。すでに他の自治体のサテライト校はその役目を終え、唯一残ったのが相馬農業高校飯舘校だった。

全国大会前に飯舘校の本校舎を訪問

舞台「いつか、その日に、」で演じるのは、学校が飯舘村に戻る時、村の校舎には通わず、転校することを決めた2年生の姿。愛したプレハブ校舎がなくなるその日を想像し、顧問の西田直人先生と作り上げていった。

演劇部顧問の西田直人先生
演劇部顧問の西田直人先生

「我々がここにいるんだというのが消えてしまうというか、これを作ることで我々がここにいるということをみんなに分かってもらえるっていうか。そういう使命感みたいなのが結構あって。なんとかしがみついて頑張ってきたと」(西田先生)

その日が現実となったとき、自分たちの帰る場所はどこなのか。東北大会を勝ち抜き、2カ月後に全国大会を控えた演劇部には、目に焼き付けておきたかった場所がある。時が止まったままの母校、飯舘村にある飯舘校の本校舎だ。

飯舘村にある相馬農業高校飯舘校の本校舎
飯舘村にある相馬農業高校飯舘校の本校舎

震災後はほとんどそのままの状態で残され、立ち入り禁止もされたまま。2017年3月に大部分で避難指示が解除された飯舘村だが、震災前には約6500人が暮らしていたものの2018年5月時点では794人。村には除染廃棄物が入った黒い袋が積み上がり、住民の帰還の足かせとなっていた。

本校舎の中を覗く演劇部員と先生
本校舎の中を覗く演劇部員と先生

建物の外から見る校舎内の様子は、あの日のまま。玄関の下駄箱には靴が残され、図書室には誰にも読まれないまま本が本棚に並んでいる。変わっているのは、太陽の光にさらされ、本が色褪せていることくらいかもしれない。

村に戻るかどうかの葛藤を演じる彼女らが、今の本校舎を見て何を感じたのかは分からないが、そこにあるのは紛れもなくもう1つの母校。しかし、「素直にはそう思えない」「埋められない」距離があるのも現実だった。

「なんだろう…。ここが本当に母校なのかなって疑いを持ったりとかして。一言では言えない。ただ、もし今のプレハブ校舎が壊されてしまった時に帰る場所はここしかないんだなっていうのは改めて思いました」(千那さん)

迎えた全国大会当日には、宮城県仙台市に各地区の代表12校が集まった。

全国大会での一場面
全国大会での一場面

「ふるさとに聞こえない故郷。ふるさとになれなかった飯舘校」

「バカ野郎ー!帰るなよー!飯舘校―!」

思いの丈をぶつけた飯舘校演劇部は上位には食い込むことはできなかったが、かけがえのない経験となった。

生徒募集の停止が遂に決定

しかし全国大会からおよそ2カ月後、飯舘校の募集停止を報じる新聞の記事が出た。千那さんが想像していたその日が、思ったよりも早く近づいていた。

2017年10月に決定された飯舘校の生徒募集の停止は、サテライト校が役目を終えることを意味する。そして新入生が来なければ、演劇部も消えゆく。

「この日が来ちゃったなっていうのが一番率直な部分。でも反対とかそういうことではなくて、本当にただただこの日を迎えてしまったんだなっていうか、現実にちょっと近づいてしまったんだなっていう感じです」(千那さん)

千那さんが冷静に受け止めることができたのは、学校が村に帰ることを望む人がいることも分かっていたからだ。

後編では、実際に飯舘校の募集停止が決定し、サテライト校の終わりが迫りつつある中での彼女たちの姿に迫る。

(第27回FNSドキュメンタリー大賞『サテライトの灯~消えゆく“母校”~ 』福島テレビ・2018年)

福島テレビ
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