アフガニスタンでイスラム原理主義勢力タリバンが実権を掌握した2021年8月以降、人々の生活は厳しさを増している。国外にある資産が制裁として凍結された影響で経済はさらに停滞、貧困が急速に拡大している。失業者は増加し、物価は高騰。街には家財を売る人々が増えた。

売られているのは家財だけではない。東部ガズニ州で娘4人と暮らす母親は、生活のためにやむにやまれず、12歳の長女を他人に売ると決めた。

取材に応じたマルジエさん一家 2021年11月14日撮影 アフガニスタン・ガズニ州にて
取材に応じたマルジエさん一家 2021年11月14日撮影 アフガニスタン・ガズニ州にて
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11月、厳冬が近づく東部ガズニ州の集合住宅。その一室に母マルジエさんと、4人の娘が住んでいる。長女は12歳のナーザニンさん、末っ子は5歳だ。

取材陣を迎え入れるマルジエさん
取材陣を迎え入れるマルジエさん

4人姉妹の母「もうどうすることもできなくなった」

マルジエさんは娘たちの隣でうつむきがちに話した。「仕方なくやりました。何もできることがなかったです。仕事がないです。どこを探してもできることがありません。誰も私に仕事をくれないので大変です。何もできません。私も病気ですし仕事もないです。何もできることがありません」。

取材に応じるマルジエさん
取材に応じるマルジエさん

マルジエさんの夫は薬物中毒だったという。妻に生活費を渡さず、日用品を持ち出しては売り払う夫に、マルジエさんが苦情を言うと、家のガラスを割った。

地元の当局が動き、夫を施設で40日間拘束したが、1年前、解放された夫はすぐに家を出ていった。それきりマルジエさんはひとりで娘4人を育ててきたそうだ。

マルジエさん一家
マルジエさん一家

マルジエさんは病気を抱えながらも、それを押して働いてきた。地域の比較的裕福な家庭から、家の中を掃除する仕事をもらい、1日あたり30円~70円ほどのわずかな賃金を受け取っていたという。夫の不在中は自治体から援助金を受けられたので、娘たちを学校に通わせることもできた。

マルジエさんは幼い頃、学校に通ったことがない。「学校の先生は私に、『家でも勉強を教えてくださいね』と言いましたが、私は教えることができません。学校に行ったことがないから」。それでも自分が行けなかった学校に、娘たちを行かせることができるのは大きな喜びだった。

マルジエさん
マルジエさん

「子どもを餓死から守れます」

そうした日々のなか、タリバンが台頭し、紛争が激化する。2021年8月15日の首都カブールの陥落以降、国内の経済状況はさらに悪化。雇用主に余裕がなくなったことでマルジエさんは職を失い、自治体からの援助金もなくなった。

なんとしても4人の娘を育てなければならないと、マルジエさんは知人を頼ったが、みなが困窮する状況では助けは得られなかった。一方で、「子どもを養子にしたい」という申し出はいくつもあったといい、すべて断ってきたそうだ。

アフガニスタン・ガズニ州にて撮影
アフガニスタン・ガズニ州にて撮影

ある日、子ども2人を買いたいという人物が現れたが、これもマルジエさんは断る。しかしその後も状況は好転しない。「もうどうすることもできなくなった」。自身の病気が悪化するなか追い詰められたマルジエさんは遂に、12歳の長女ナーザニンさんを10万アフガニ、日本円で約11万円ほどで売る決意を固めた。

「1人を売れば自分も病気の治療ができて、3人の子どもを餓死から守れます」。誰に売られるのか、どういった経緯で売買がもちかけられたのか、詳しい事情をマルジエさんは明かさなかった。

ナーザニンさん(12)
ナーザニンさん(12)

洗い物をするナーザニンさんに取材カメラを向ける。「(私の名は)ナーザニン。勉強したいけどできません。生活のために水や油が必要です」。カメラに向かって一生懸命に話すナーザニンさん。

自身が売られ家を離れなければならないかも知れないことをわかっているのだろうか?マルジエさんは、ナーザニンさんについて、「どういう状況が理解していないと思います。ただ、私が病気で、家にお金がなく、食べ物に困っているという現状は常に目の当たりにしています」と話した。

取材後、一家に支援団体からの援助があった。このためナーザニンさんが実際に売られることはなかった。一家は今も5人で暮らしているという。

さらに厳しい状況が生まれる可能性

現地メディアは、アフガニスタン国内には、実際に我が子を売った人が複数いると伝えている。現地の情勢に詳しい東京外国語大学 講師(南アジア地域研究)登利谷正人さんに、アフガニスタンにおける人身売買の状況と、今後について聞いた。

登利谷正人 東京外国語大学 世界言語社会教育センター 講師(南アジア地域研究)
登利谷正人 東京外国語大学 世界言語社会教育センター 講師(南アジア地域研究)

登利谷講師:
「アフガニスタンは、1979年にソ連の侵攻で始まったソ連・共産主義政権とムジャヒディンと呼ばれたイスラム系諸勢力間での内戦、1992年の共産主義政権崩壊後のイスラーム系諸勢力間での内戦期から旧タリバン政権期、さらには2001年末の旧タリバン政権崩壊後から現在に至るまで、40年以上にわたって常に厳しい社会経済状況に置かれてきた。

特に1990年代の内戦期から旧タリバン統治下での国際的な経済制裁下では、困窮し、子どもを売らなければならない人が出たと把握している。ただ、アフガニスタンという国は、1979年以降の戦争・内戦の繰り返しにより大量の難民を常時出してきた国だ。経済基盤は脆弱であり、「子どもを売らなければ食べていけない」という人々は常に一定数は存在してきたとみている。現在も、子どもを多く抱える家庭で同様のケースが起きていると地元メディアが伝えている。

現在、現地では、人道支援などが一部実施されてはいるものの、非常に危機的な状況だ。このままの状況が続けば、特に寒さの厳しい首都や北部、あるいは中央部などを中心に、餓死者や寒さで亡くなる人々が多く出ることは避けられない。「子供を売るといっても買い手もいない」というように、人々はさらに厳しい生活状況に直面するとみる。仮にそうなれば、人々が生きていくために、様々な非合法な手段での生活の糧の確保に向かってしまい、それがアフガニスタンのさらなる混乱を招くという“負のスパイラル”に陥る可能性もある。

当面の危機を少しでも緩和するため、大規模な緊急の国際的人道支援が必要だ。さらに、その場しのぎではなく、この後も同じ状況を繰り返さないためにも、今から一般の人々が「普通に食べていけるため」の生活再建策として、長期の国際的な民生支援の策定を急がなければならない。国際社会が現在の“タリバン政権”を承認するか否かということについては、ひとまず棚上げにしても良いので、多くの一般市民の方々の命と生活を守るために何らかの行動を起こさなければならない。」

脆弱な人々は人道支援に依存せざるを得ない

今も、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)アフガニスタン・カブール事務所で人道支援活動を続ける森山毅さんは現地の厳しい状況を次のように明かす。

UNHCRアフガニスタン カブール事務所 森山毅 シニア緊急対応コーディネーター
UNHCRアフガニスタン カブール事務所 森山毅 シニア緊急対応コーディネーター

森山氏:
「アフガニスタンでは、資産凍結が続く中、人々の生活はますます厳しい状況に置かれています。この数カ月で、アフガン通貨はUSドルに対し大幅に下落し、物価上昇が続いています。仕事を失った多くの人、特に脆弱な人々は人道支援に依存せざるを得ません。厳しい冬を迎え、状況がさらに悪化すれば、家族の生計を維持するために子供(少女)を結婚を理由に手放すという、苦渋の選択を迫られる多くの家庭の事情が明白になることも否めない状況です」

国連難民高等弁務官事務所と国連UNHCR協会は、アフガニスタンでの人道支援について、募金への協力を呼びかけている。

【執筆:FNNバンコク支局長 百武弘一朗】

百武弘一朗
百武弘一朗

FNN プロデュース部 1986年11月生まれ。國學院大學久我山高校、立命館大学卒。社会部(警視庁、司法、宮内庁、麻取部など)、報道番組(ディレクター)、FNNバンコク支局を経て現職。