本土復帰から50年の節目
2022年、沖縄は本土復帰から50年の節目を迎える。
米国との返還交渉にあたって、当時の外交官などが残した機密文書を読み解いていくと、今日まで続く基地問題の源流が見えてくる。
戦後27年間にわたり、アメリカの施政権下に置かれた沖縄。1972年5月15日に、沖縄は日本に返還された。
この記事の画像(17枚)屋良朝苗知事(当時):
沖縄の復帰の日は、疑いもなくここに到来しました。しかし、沖縄県民のこれまでの要望と心情に照らして復帰の内容をみますと、必ずしも私どもの切なる願望が入れられたとはいえないことも事実であります
屋良知事の心情を表すかのように、この日 沖縄は土砂降りの雨に見舞われていた。
「極秘」や「マル特」と記された数々の文書。これは、沖縄返還交渉にあたった外交官などによるメモや書面で、外務省が公開した。
「スペシャル・ウェポン」は核兵器
文書の中にある「スペシャル・ウェポン」。
国際政治学を専門とする琉球大学の我部政明名誉教授に、これが何を意味するか聞いた。
琉球大学 我部政明名誉教授:
核兵器と書きたくないものだから、スペシャル・ウェポンとぼかしている
沖縄の返還交渉において、日本側が気をもんだのが核兵器の存在だ。アメリカ施政権下の沖縄に、核兵器が存在することは公然の秘密だった。日本は核兵器の「保有・製造・持ち込み」を禁止する非核3原則を国会で決議している。
琉球大学 我部政明名誉教授:
核兵器に対する感情が、国民感情が大変否定的だった。日本に核兵器を持ち込むことについて当時の政権、多くの政治家は認めることができない。だから佐藤総理は、沖縄返還をする際に核を撤去しなければまずいということですね
1969年11月、ワシントンにて佐藤総理とニクソン大統領による共同声明で、沖縄の返還は正式に合意された。
外務省公開文書より:
総理大臣は、核兵器に対する日本国民の特殊な感情およびこれを背景とする日本政府の政策について詳細に説明した。大統領は深い理解を示し、沖縄の核兵器は返還までには撤去される旨を確約した
日本が懸案としていた核の撤去に応じた形だが、その裏で米側の別の思惑もあったと指摘する。
琉球大学 我部政明名誉教授:
核兵器は1969年の段階で、すでに沖縄から撤去しても、アメリカの戦略上支障ないという判断がほぼ出ています。69年の段階はいいとしても、将来 核兵器を必要なことになるかもしれない。再度沖縄に配備できるような状態を作っておかないといけない
佐藤・ニクソンの共同声明からさかのぼること約2週間、日米間のやりとりをめぐる文書に核の撤去について米側の高官の発言が次のように記されている。
外務省公開文書より:
「核をオキナワより取り除くのはよいが、いざ一大事というときに日本はどうするか」という趣旨の質問をし、その解答如何で本問題の解決方法が示されると思う
琉球大学 我部政明名誉教授:
核兵器を持ち込むという事態というのは、どういう事態かと考えると、日本の有事であるという風に日本は考えるはずだと。したがって、NOということは無いという風にアメリカ側は考えた
米国のもう1つの狙いは基地の自由使用
さらに米側には、もう一つのねらいがあったと我部教授は指摘する。
琉球大学 我部政明名誉教授:
核兵器の撤去を求める日本に対して、その代わりに自由使用…基地を安定的に使える、これまでのように自由に使えるという風にしたかったということです
一方で、日本側も「抑止力」の観点から、沖縄におけるアメリカ軍基地の重要性を認識していた。
外務省公開文書より:
米国が沖縄から在来戦力をオペレートし得たということが、中共に対する抑止力になってきた。米国がこれをなし得ないならば、抑止力は減少することになる。従って問題は、米側の要請を最小限に押さえるということではなく、日本が米国に何を望むかである
我部教授は返還交渉をきっかけに、沖縄に基地があることを日本政府が支えることになったばかりか、日米間のある種の慣行も生まれたと指摘する。
琉球大学 我部政明名誉教授:
沖縄返還に出てきた時に、基地を少し返還しているところがありますね。その後の沖縄における移設を日本政府が負担すると。今でいうと、今の普天間の辺野古移設も当然のこととして、アメリカが日本政府が負担すると言っている。移転費というのが今まで続いています。このあたりが今もって、辺野古をめぐる沖縄の声と日本政府の考え方、大きな乖離があるのはその延長線上にあるからじゃないでしょうか
沖縄返還にあたり、県民は悲惨な地上戦を2度と繰り返すまいと、基地のない島の実現を求めていた。日米の狭間に置かれ、県民の切実な声は届いていたのか。
復帰式典で屋良知事はこう述べていた。
屋良朝苗知事(当時):
米軍基地の態様の問題をはじめ、内蔵するいろいろな問題があり、これらを持ち込んで復帰したわけであります。したがって、私どもにとって、これからもなお厳しさは続き、新しい困難に直面するかもしれません。
沖縄テレビでは復帰50年の節目となる2022年、様々な角度で復帰に関する特集を伝えていく。
(沖縄テレビ)