12月23日、米寿の誕生日を迎えられた上皇さま。

宮内庁が上皇さまの近況を発表しました。その中には、12月に20歳を迎えられた孫の愛子さまのご成長について喜ばれている様子が。

上皇さま米寿に 日課は“音読” 穏やかな日々

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これは、上皇さまの88歳の誕生日に合わせ、宮内庁が公開した映像。上皇后・美智子さまと話をされている上皇さま。時折、顔を寄せ合い、仲睦まじく会話をされています。

こちらは、お二人で散策されている様子です。上皇さまの左腕に、そっと手を添えられている美智子さま。

宮内庁によると、体調に大きな問題はなく、これまでの日々を振り返りながらご夫妻で穏やかな日々を過ごされています。ご散策の途中では、それぞれの職場前でお迎えする上皇職や皇宮警察の職員と挨拶を交わされ、時には、道路を隔てたマンションの人々とも挨拶を交わされます。

宮内庁の発表:
ご高齢となり、時折お歳相応にお忘れになったり、ご記憶が不確かになられることはおありですが、いつも一緒にいらっしゃる上皇后さまにお尋ねになり、事実を確かめられては「そうだったね」と笑顔で得心されるご様子をよく拝見します。

フジテレビ皇室担当の橋本寿史解説委員は、お二人の日課について、こう語ります。

フジテレビ皇室担当 橋本寿史解説委員:
皇后さまと過ごしになる時にはご本を“音読”。いわゆるお2人で読む形で、パートを分けて読みながら、その本を読んでいくということも、されているということです。

愛子さま、眞子さんへの思い

今年は、節目の出来事がありました。

12月1日に、成年皇族の仲間入りをされた天皇皇后両陛下の長女、愛子さま。上皇さまは、愛子さまが立派に成長されたことを喜ばれているということです。

フジテレビ皇室担当 橋本寿史解説委員:
今の天皇ご一家は非常に苦しい時期もあったわけです。あの愛子さまがご誕生になられた20年前、生まれてすぐに病院の方にも、上皇ご夫妻はいかれているわけですから、そういったときのことなどもいろいろと思い出されたのではないですかね。

10月に結婚をした秋篠宮家の長女・眞子さんについては、お幸せを願われつつ、静かにお見守りになっていらっしゃるといいます。

“皇室の変化” 上皇さま…民間からお妃に乳母制度の廃止も

1933年、昭和天皇の第1皇男子として誕生された上皇さま。皇室の伝統に基づき、3歳の時から親元を離れて生活されてきました。

やがて、民間から初めてとなる皇太子妃を迎えた皇室。新たな皇室像の始まりでもありました。出会いはテニスコート。このとき一緒にテニスをした上皇さまのご学友は…

ご学友 織田和雄さん:
私のところに皇太子さまから電話があって、悪いけど正田美智子さんに電話をして、電話の前で待ってるから、正田美智子さんよければ、皇太子さまの方へお電話をしてください。というのが最初ですね。

そして、62年前の4月、日本中が歓喜に包まれました。

結婚の翌年、今の天皇陛下、長男・浩宮さまが誕生。おふたりは、皇室の慣例だった、乳母制度を廃止して、自分たちの元で育てることを決断されました。のちに次男の礼宮さま、長女の紀宮さまが産まれ、賑やかな家庭を築かれます。

フジテレビ皇室担当 橋本寿史解説委員:
お手元で育てること一つとっても新しい風習、その時代にあったものをどんどんとお二人は取り込まれてきた。

そして、上皇さまは、国民に寄り添うことを大切にされてきました。天皇陛下になって初めての被災地訪問は、多くの死傷者が出た雲仙普賢岳の噴火。

床に膝をついて、被災者と同じ目線で語り掛けられるお二人。「平成流」と呼ばれる被災地訪問は、このときから始まりました。2011年に発生した東日本大震災の被災地にも足を運ばれ、被災者を励まされました。

フジテレビ皇室担当 橋本寿史解説委員:
象徴天皇として何をしていこうか、ということをいろいろお考えになられたと思うんですね。その中の1つは、やはり被災地訪問という形で、いろいろな苦しい立場の人たちに寄り添うというお気持ちを。直接現地に行って、人々と触れ合う。

国民に寄り添い、国民の声に耳を傾ける、“新たな皇室像”を築かれてきた上皇さまのお姿。
それは、今も引き継がれる「象徴天皇の姿」となっています。

(めざまし8 12月23日放送)