今回、書評に挙げるのがこの本である。
言語学の観点から日本語の秘密に迫る『言語学バーリ・トゥード: Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』(川添愛 著)。

さて、ここでクイズを一つ。
この書籍の出版社はどこでしょうか?

なにやら派手というか、騒々しい装丁だな。レスラーやギターを抱えたサンタのイラス トを見ると、漫画も出している出版社のような気がするぞ。すると、小学館、集英社、講談社あたりかな。何となくだが、マガジンハウスの匂いもする。いや待てよ、バーリ・トゥードという意味は知らないが、何となくフランス語っぽい。とすると白水社あたりか。しかし 白水社がこのタイプの本を出すとは思えないし……。

さまざまな想像や推理が働くと思うが、もったいぶらないで答えに進もう。

正解は「東京大学出版会」だ。

 「大丈夫か? 東大……」とつぶやくか「ううむ、東大、恐るべし。」と唸るかは、人によって違うと思う。

ちなみにこの本は、東京大学出版会創立70周年記念出版なのだという。

もちろん、東京大学と東京大学出版会は別法人だ。だが、出版会の会長は東大総長が就任することになっていたり、著者も東大教授や関係者が多かったりと、ほぼ一心同体といっていい組織なのである。本部も以前は東大のある本郷、いまは教養学部のある駒場にある。

大学出版会で他に新聞の書籍広告でよく目にするのは、名古屋大学出版会と法政大学出版局だ。

名古屋大学出版会は名古屋大学が中心になっているものの、名古屋地区の他の大学も参加していて「名古屋大学・出版会」ではなく「名古屋・大学出版会」なのだという。

法政大学出版局は、シリーズ『ものと人間の文化史』が名高く、これまでに200巻以上が発刊され、いまも続々と上梓されている。大型書店で大きなスペースをとってズラリと全巻が並べられた光景は壮観である。これは一つのモノ、あるいはコトに焦点を当て1~2、3冊にまとめたシリーズものだ。なかなか興味深いテーマが多く、「からくり」「盤上遊戯」「ものさし」「和船」「水族館」「もののけ」「花札」「落花生」「醤油」「花火」など森羅万象にわたっている。ちなみにシリーズ最新刊は「パチンコ」である。

タイトルは、著者と担当編集者の“間違った認識”から

さて、この『言語学バーリ・トゥード: Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』(川添愛 著/東京大学出版会/1700 円)は東大出版会が毎月発行している冊子「UP」(「アップ」ではなく「ユーピー」と読む。University Press=大学出版の頭文字らしい)に不定期に掲載された言語学にかかわる文章をまとめたものだ。

著者本人にその自覚はないらしいが、文学博士号をもつ言語学者である。

たいていの人が疑問に思うタイトルの「バーリ・トゥード」は言語学の専門用語でなく、ポルトガル語で「何でもあり」という意味。プロレスファンならルールや反則を最小限にした格闘技の一ジャンル、あるいは一種の総合格闘技だとすぐにわかるらしい。

だが一般的な言葉ではない。なぜそんな言葉をタイトルに選んだのかというと、著者である彼女が無類のプロレスファンで、しかも運の悪いことに担当編集のT嬢も尋常ならざる格闘技ファンだったことから、2人の間で「誰もが知っている言葉に違いない」という間違った認識が共有されてしまったからだという。

そこへ同じ冊子に連載を持っているSTO教授から「バーリ・トゥードについての説明がない。はよ説明せんかい。」とクレームが入る。

彼女はUP誌上で「注文(ちゅうぶん)が多めの謝罪文」というSTO教授の連載タイトルのパクリタイトルで謝罪とバーリ・トゥードの説明をしたが、その内容というか書き方が教授の逆鱗に触れたようだ。

以下は川添氏が本書で書いた、その顛末である。

謝罪文を読んで「容赦なく全力でいじられてしまい、しばらく呆然として人間不信に陥」った上、「もよりの警察に相談しようとも思った」が、結局「T嬢の同席のもと、某所で(川添と)手打ちを行い示談が成立した」と書かれているのだ。これではまるで、私がとても怖い人のようではないか。この文脈だと、読んだ人が「示談をした都内某所って、きっと歌〇伎町の事務所なんだろうな」とか、「STO先生は日本刀とかが飾ってある部屋で黒革のソファーに座らされて怖い思いをしたんだろうな」と思うかもしれない。

と反撃しているのである。

『絶対に押すなよ』正反対の「意味」と「意図」

なんだか東京大学出版会は楽しそうである。

楽屋話は刺身のツマだが、もちろん本体の刺身の方も内容が実にいい。

サブタイトルにもなっている、「AIは『絶対に押すなよ』を理解できるか」の項目では、AIと人間との言語認識の違いに鋭く切り込んでいる。

ダチョウ倶楽部・上島竜兵氏が「熱湯コマーシャル」でしゃべる「絶対に押すなよ!」というセリフを俎上にのせる。

ここでは言葉の「意味」と「意図」が正反対になっている。

この台詞の文字どおりの「意味」は「(自分を)押すな」であるが、熱湯風呂のふちでこれを口にする上島氏の「意図」が「押せ」であることはあまりにも有名である。

 AIはこの「意味」と「意図」の違い、あるいはズレを認識できるだろうか。

たとえば、AI付き人間型ロボットに「扇風機を回せ」と命令したときに、AIは電源を差し込みスイッチを押すことをせず、手で扇風機を持って本体をグルグル回すことだってありうると著者はいう。かなりシュールな光景で、またロボットの腕力も相当に強力なものが必要だが、扇風機の使い方やその用途を教えていないと、当然こうなる。

それでは、AIはいずれ人間と同じような言語認識を持つことができるだろうか。

著者は「至難の業」だと考えている。とにかく、無限といっていいほど教えることがある。言葉を正確に認識するには言葉そのものの知識だけでは不可能なのだ。

そう考えると、人間とその経験というものはすごいものだと感嘆する。

それがあるからこそ、老夫婦の旦那が「アレ持ってきて」というだけで、妻は間違うことなく旦那の欲しているものを持ってこられるのである。

「は」と「が」の違い

また、「恋人{ は / が }サンタクロース?」の項目では、主語につく助詞「は」と「が」の違い を考察している。

著者によれば、「言語学においては『そこに足を踏み入れたが最後、その後何十年も出られなくなる底なし沼』の一つ」なのだそうだ。

とは言うものの、すべてのケースの説明がつくわけではないが、ある程度のことは分かっているらしい。

「その一つが『は』は旧情報に付き、『が』は新情報に付くという、『情報の流れ』の説明」 で、「『は』が付いたものは文脈の中ですでに現れている情報であり、他方『が』が付いたも のはその時点で新規に導入される情報だ」というものである。

評者が作ったので適切な例文でないかもしれないが、

「この本は面白い(よね)」

「この本が面白い(よね)」

上の二つの文章を比較した場合、たしかに「は」の方は直前にその本が話題になっていた感じがするし、「が」の方は直前に話題になっていたとすれば、少し不自然で違和感を覚える。

特に同意を求める(よね)を加えると一層その感じが強まる。

ここで、ふと思ったのだが、この「は」と「が」の違いは英語の定冠詞「the」と不定冠詞「a」との関係に似ていないだろうか。

中学時代に習ったように「the」は今までに話題になっていた名詞に付き、「a」は初めて口にしたときに付く。

言語は違えども、その全体的な構造は意外に共通点があるのかもしれない。

そう考えながら読み進めていくと、ノーム・チョムスキーという「20世紀後半の言語学界に一大潮流を生み出した生成文法理論の生みの親」が登場した。

「宇宙人の言葉」という項目である。

チョムスキーは「言語の生得説」を主張した。これは人間の脳内には言語の知識を生み出すシステムが生まれつき備わっているというものだ。そして赤ちゃんが日本語なり英語にさらされることで、その言語を習得していく。これを「普遍文法」と呼ぶ。

彼は「宇宙人の言語は地球人の言語とあまり変わらない」といった趣旨の発言をしたらしい。 ただ、のちのインタビューで地球人は宇宙人の言語を習得できるかとの問いに、「宇宙人の言語が普遍文法の原理から外れていなければ可能でしょう。ただ、言語の構成法が無限にあることを考えれば、その可能性は低いですね」と答え、インタビュアーに「それでは普遍(universal)文法とは呼べないですね 」と突っ込まれている。

このように、軽い文体だが内容そのものは意外にも正統でアカデミックだ。

装丁に騙されてはいけない。東京大学出版会の名に恥じない書籍なのである。

【執筆:赤井三尋(作家)】

『言語学バーリ・トゥード: Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』(川添 愛 著・東京大学出版会)

赤井三尋
赤井三尋

本名・網昭弘 早稲田大学政治経済学部卒業後、ニッポン放送に入社。2003年『翳りゆく夏』で第49回江戸川乱歩賞受賞。2006年フジテレビジョン報道局へ転籍。
【著書】
『翳りゆく夏』( 講談社文庫)
『どこかの街の片隅で』( 単行本・講談社 改題して『花曇り』講談社文庫)
『2022年の影』(単行本・扶桑社 改題して『バベルの末裔』講談社文庫))
『月と詐欺師』( 単行本・講談社 講談社文庫【上・下】)
『ジャズと落語とワン公と 天才!トドロキ教授の事件簿』(単行本・講談社 改題して『面影はこの胸に』講談社文庫)
【テレビドラマ】
翳りゆく夏(2015年1月18日 ~(全5回) WOWOW「連続ドラマW」主演:渡部篤郎)