40歳でプロ野球現役生活に別れを告げたロッテの鳥谷敬。
歴代2位の1939試合連続出場という大記録を打ち立てたレジェンドにはプロ18年間貫いた信念があった。

引退会見当日に独占密着

秋晴れとなった11月3日、引退会見へと向かう鳥谷敬はどこか吹っ切れた様子だった。

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移動の車中で口にしたのは「いつ辞めてもいいと思いながらやっていた。引退の日が来たなっていうぐらい。後悔というかもう少しこうしたら良かったとか一切出てこない。納得していると言えば納得している」という思いだった。

レジェンドのプロ18年間の軌跡

2003年、早稲田大学から阪神タイガースにドラフト自由獲得枠で入団。
プロ1年目から開幕スタメンを勝ち取ると、デビュー戦でプロ初ヒットをマークする。

たちまちチームの顔となり、プロ14年目の2017年には、史上50人目の2000本安打(当時日本人最速タイ)を達成した。

2000安打達成会見では「2000本を打つというイメージよりは常に試合に出続けるイメージを持って臨んだ」と語った鳥谷。

何よりも重要視したのは「試合に出続けること」だった。

プロ18年間貫いた信念

2007年には死球でろっ骨骨折、2010年には守備で頸椎骨折、2011年には守備で右手人差し指裂傷…

大きなケガを負いながらも、運動量の多いショートのポジションで、667試合連続フルイニング出場の日本記録を樹立。さらに、1939試合連続出場は歴代2位。
それこそが、プロ野球選手としてのこだわりだった。

2017年に顔面死球で鼻骨を骨折しても、翌日にフェイスガードを装着し試合に出場した鉄人。

「『ずっと試合に出場を続ける』ということがプロ野球で生きていく手段だった。自分が出場できなければ他の選手が出場する選択肢を相手に与えてしまう怖さを感じていた」と明かす。

試合に出続けるための努力は並大抵ではなかった。
午後6時開始のナイターの日でも、球場に出てくるのは決まって午前中。

甲子園での試合後、 ベテランの域に入っても、 最後まで球場に居たのは、鳥谷だった。

連続試合出場記録が1939でストップしても、「自分のできるベストな準備をして、記録が途切れた後も毎日変わらず準備できた。自分に誇れることがあるとすれば骨折とかいろんなケガをしても、『できない』ということを一度も言わなかった」と自らを誇る。

「40歳でショート」という「終わり」

そんな鳥谷が今年、プロ18年目で初めて、不振を理由に二軍降格。

当時の心境を「二軍に落ちた日から自分の中でもう1軍に上がることがなさそうな感じがした。『辞める』ということもしっかり考えないとと思った」と明かす。

「引退」の二文字がちらつく中でも鳥谷は、これまでと同じように誰よりも早く球場に来て準備を続けた。

「二軍でなかなか一軍に上げれないとき、自分に『何ができるか』考えて、体重をどれだけ落とせるかとかいろんなことを試した」とヒザへの負担などを考え、最大83キロあった体重を76キロに。プロ18年目にして最も体を絞るなど、努力を重ねた。

優勝争いを続けるチームの戦力になるため、最後まで調整を続けたが、再び一軍から、声が掛かることはなかった。

今季開幕戦でショート最年長39歳9カ月で開幕スタメンに名を連ねたことに、「必ず終わりがあるので、自分は入ったときから『40歳でショート』という終わりを見て毎日過ごした。それがプロ野球で長くできた秘訣だと思う」と振り返る。

ファンの心に刻まれる「努力の野球人」

最後にこう聞いた。「プロ野球選手でよかったと思いますか?」

「野球選手でよかったな?野球以外やったことないからわからない。違う仕事やってたら野球選手じゃなくてこっちの方が良いかなって思うかもしれない」

何をやっても、あなたはベストを尽くすだろう。

「努力の野球人・鳥谷敬」

その生き様は、ファンの心に刻まれている。