「夢は教師になって子供たちに野球を教えること」

岡山県津山市の中学校教諭、槙原淳幹(まきはら・じゅんき)さん29歳。幼い頃の事故で右腕の自由がきかないが、小学校から大学まで野球一筋に打ち込んできた。彼は障害者野球チーム「岡山桃太郎」のエースとしても活躍。教師になり、難しい年頃の生徒たちとも真剣に向き合う。
野球から彼は何を学び、子供達に何を伝えようとしているのか。

後編では真剣に向き合った問題児との再会や、槙原さんを支えた「野球」の奥にあった大切な意味について追った。

【前編】右腕の自由を失った少年が野球と出会い、教師になる。彼が子どもたちに伝えたいメッセージとは?

西日本豪雨の被害とボランティア活動

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障害者野球チーム「岡山桃太郎」。槙原さんは教師という忙しい仕事と、チームの一員という立場を両立させようと頑張っていた。

ここ数年、10代や20代の選手が入団し、若返りが進んでいる岡山桃太郎。
エース番号・1番をつけるのは、早嶋健太さんだ。早嶋さんは、大学で健常者の中でレギュラーを勝ち取った実力の持ち主で、障害者野球の日本代表選手。世界大会ではMVPにも選ばれた。

日本一を目指し、槙原さんと早嶋さんの二枚看板で臨んだ2018年春の選抜大会。しかし、先発の槙原さんが打ち込まれ、初戦で敗退。

世代交代の波が槙原さんに迫っていた。

そして2018年7月。

西日本豪雨は、岡山県にも大きな被害をもたらした。倉敷市真備町では川の堤防が決壊。岡山県内で災害関連死を含め、73人が犠牲となり、3人の行方が分かっていない。8000人を超える人たちが仮設住宅などで暮らし、今も自宅に戻れていない(2019年5月現在)。

前の年、5年間務めた中学校から異動になっていた槙原さん。

監督を務める野球部には、家族がこの豪雨で被害にあった部員もいて、野球部全員でボランティア活動に参加した。

野球部員は、こう話す。

「どこのチームと練習したいのかという話をミーティングでした時に、倉敷の真備でボランティアした方がいいんじゃないかという意見も出て」
「疲れてはいたんですけど、それでも辛いのは、(被災した)家の人なので。やらなければならないと」

影響は岡山桃太郎にも及んでいた。グラウンドが崩壊し、チームは練習場所を失い、さらに選手も被災した。

真備町に住む高越麻文さんは、両親と暮らす自宅の1階が水に浸かった。最近は公式戦でスタメン出場をする機会はなくなっていたが、練習や応援には必ず参加している。泥だらけの高越さんの自宅に、キャプテンの赤岩さんがかけつけた。

「少しでも力になればと思って。命だけは助かって良かったと思っています」と話す赤岩さんは、被害の大きさに驚きすぐに仲間に助けを呼びかけた。

「誰か来てくれるかなと思ったら、樋口さんが昼間から軽トラで来てくれて」

駆けつけた樋口郁雄さんとは20年来のチームメイト。

樋口さんは、「こういうときに役に立てれば、またいいことがあるかなと。宴会の時に一杯でも余計についでくれるかなあと」と、冗談をいい雰囲気を明るくする。

豪雨のさなか、高越さんは大切なものだけを持って避難したという。それは、ユニフォーム。

「いつもは家に置いていたので、逃げる時に、車に積んで持って逃げた。やっぱり野球が好きだから。岡山桃太郎の友がいる。頑張ります!」

教師7年目のとある変化とは

教師になって7年目、私たちは槙原さんの変化に気づいていた。自分でやらずに、何かと生徒に任せているのだ。

野球部でも練習メニューを考えるのは、槙原さんではなく生徒たち自身。

槙原さんは生徒たちに課題を考えさせ、必要な練習メニューを自分たちで決めさせている。

「部活を通して指導法を学ぶような研修会があって、それに参加したことがひとつのきっかけになったかなと思いますね」と指導方法を変えた理由を話す槙原さん。

その研修会の講師は、広島県立高校の教師、畑喜美夫さんだ。

高校、大学時代はサッカーの日本代表選手として活躍し、13年前には監督として無名の高校サッカー部を全国優勝に導き、大きな話題になった。以来、休みの日には、全国で講演活動を行っている。

畑さんが受け持つサッカー部の部室には、驚くような光景があった。

まるで芸術作品のようにきれいに並べたシューズの列。

部員は「一体感というか、全部がプレイに出ると言われているので、靴とか、そういうところはミリ単位でそろえた。一体感を大事にして、それをプレイにつなげようと」と説明した。

これは畑さんが唱える「ボトムアップ理論」といい、教えない指導が特徴。生徒自身に気づかせることで、自立を促すというものだ。

「どういうふうにすれば、自分たちのメニューが短い時間の中で効率的にできるか、子供たちに考えさせる。その後、アドバイスを入れていくと、けっこう子どもたちはうまくやりますよ」

子どもたちの練習時間はたった90分。しかも週2日だけ。選手自身が練習メニューを考えることで、チームは飛躍的に強くなったという。

槙原さんはこの理論の中から、あることを強く感じたそう。

「強がって、堂々としていないといけなくて、弱いところは見せてはいけなくて、泣き言言ってはいけなくて、言い訳はしてはいけない、というような感覚ではなくて。本当に自分のありのままで、それから自分が頑張りすぎなくてもいいんだよっていうメッセージを感じた」

それまでやっていた指導法は間違っていたかと尋ねると、「うーん、どっちも答えなんでしょうけどね。ただそのふたつを比較するとしたら、僅差で今やっているボトムアップ理論のほうが、総合的に見ると勝つのかな」と明かした。

槙原さんは、重い鎧を脱ぎ捨てることができたのだ。

中学野球部と岡山桃太郎の交流試合

教師7年目の冬。

津山西中学校のグラウンドにやってきたのは、岡山桃太郎の選手たちだ。自分が監督を務める中学校の野球部と、岡山桃太郎の交流試合をしようというのだ。

野球部の部員は8人しかおらず、近くの中学校と合同チームを組んで挑む。

世界で活躍する早嶋さんをはじめ、岡山桃太郎は全員本気モードで、フルメンバーで戦う。

結果は4対2で、岡山桃太郎が勝利。

中学生チームを率いる長尾裕也さんは、試合の意義について、こう話す。

「障害を抱えながらもこれだけやれるんだぞ、と勇気づけられるし、すごく大きな可能性を感じる。自分たちももしかしたら、もっともっと考えてやれば、できることがたくさんあるんじゃないかなっていうのを、(生徒たちに)持って帰ってほしい」

部員たちも「走れない人は打つことに専念しているし、おじいちゃんでもやれることをすごく頑張っていて、自分たちにはないものを一生懸命やっているんだなと思います」と感じるものがあったようだ。

結婚という一大イベントと、思いがけない再会

2019年3月。29歳になった槙原さん。この日は人生の節目、結婚式。

お相手は前の学校でいっしょに働いていた教師の千尋さんだ。

会場には、東日本大震災の被災地で知り合った2人の野球少年の大人になった姿があり、もちろん、岡山桃太郎のメンバーも出席。槙原さんの晴れ姿に目を細める。

手作りの温かな披露宴。槙原さんには、サプライズの演出が用意されていた。

スクリーンに映し出されたのは、野球部員やクラスの教え子たちの趣向を凝らしたメッセージの数々。

それは紛れもなく生徒たちからの感謝と信頼の証だ。

槙原さんから花束を受け取る母・昌枝さんは涙を隠せない。

かつて我が子の将来を案ずるがあまり厳しく接することもあった父・重徳さんは、何よりシンプルに感謝を伝えた。

「体にハンディキャップを持つ息子。その息子を、障害に寄り添って、そして支えてくださることを覚悟をしていただきました千尋さんには、心より感謝をしております」

槙原さんは話す。

「千尋にもですけど、千尋のお父さん、お母さんにも感謝ですよね。思うところもあると思うんですけどね。認めてもらったのがありがたいなと。(式では)母と向き合った時が一番だめでしたね。いろんなことを思い出して。させてしまった思いとかね。僕自身がした思いとかではなくて、母親がした思いというものを、何か大人になって感じてね…」

千尋さんというパートナーを得て、槙原さんはどんな家庭を築いていくのだろうか。


数日後、学校で取材をしていると思わぬ事があった。かつての教え子、問題ばかり起こしていた水杉くんが来校したのだ。

「俺、今日手紙書いてきたよ。槙原先生、この度はご結婚おめでとうございます」

そう笑顔で話す水杉くん。

手紙にはマッキー先生に対して、ずっと言えずにいたことが綴られていた。

「正直、初めは何だこいつと思ってました。いちいち声でかいし、ひとりで熱血で。特に、僕に関してはめちゃくちゃ面倒くさかったです。でも、先生みたいに僕の気持ちも理解をしてくれて、僕のことをこんなに考えてくれる先生がいるんだなって思いました」

転校した水杉くんは、その後通信制の高校を卒業。何度か仕事を変えながら、現在は親戚の会社に入り塗装の仕事をしているという。

彼がどうしても伝えたいこととは。

「2年生最後の日、先生に感謝の気持ちを伝えようと決めてました。けど、先生もみんなの前で泣いとって、僕も本当は正直、転校なんかしたくなくて。もう1度行きたいし、槙原とまだ関わりたい。そんな思いが急にこみ上げてきて、泣きそうになりましたけど、みんなの前で泣くのも、先生の前で泣くのも絶対嫌でした。
その日は黙って帰ってしまいました。今日はあの日に伝えたかった気持ちを伝えようと思って、手紙を書きました。ほんまにありがとうございました。
先生との時間は、俺にとってほんまに濃い思い出になりました」

槙原さんの思いは、水杉くんに届いていた。


「こういう瞬間がうれしいな、教師していて」
「これ、婚姻届よりも大事にしてくれる?」
「それは大切にするわ」


冗談交じりに話す2人だが、5年という時間を経て、ようやく言えた言葉がそこにあった。

これからも野球が人生の支え

教師になって8年目に入った。4月、新学期が始まり、野球部には新入生が入った。13人に増えた津山西中学校野球部は、夏の地区大会に向けて猛練習している。

一方、岡山桃太郎では、豪雨被害を受けた高越さんの自宅の修理が終わり、練習に顔を出せるように。水浸しになってしまったチームのグラウンドが使えるようになるにはもうしばらく時間がかかりそうだが、県内のあちらこちらで汗を流している。

「槙原さんにとって野球とは?」そう訪ねてみた。

「手が不自由だから出してやろうとか、手が不自由だから手加減してくれるとか、そんなのまったくなくて、ほかの人たちと同じフィールドで戦えたことがね。自分にとっての財産かなと思います」


――将来の夢は?

「校長先生になりたいとか、お金持ちになりたいとかはないです。なれることなら、今からでもプロ野球選手になりたいですけどね。そんなものですよ。これが本音です」


プロ野球選手になりたいマッキー先生。野球への愛と情熱は、これからも彼を支え、教師である彼の大きな力となっていくに違いない。

彼の全力投球の旅は、まだまだ始まったばかりだ。


【前編】右腕の自由を失った少年が野球と出会い、教師になる。彼が子どもたちに伝えたいメッセージとは?

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