東京パラリンピックから正式競技となるパラバドミントン。

世界で活躍し、現在世界ランキング1位(2018年10月21日時点・WH2クラス)、東京2020でメダル獲得を期待される“ママアスリート”が山崎悠麻選手だ。
 

競技を諦めることとなった事故

「悠麻選手は、主婦もやりながら、仕事もやりながら、バドミントンもやっていて、素晴らしいと思います。その1つである“バドミントン”のサポートを私がやり遂げたいと思っています」と話すのは、山崎選手と日々練習を重ねるパラバトミントン日本代表の金正子ヘッドコーチだ。

 
 
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山崎選手は小学2年からバドミントンを始め、中学3年までバドミントンの全国大会で活躍するほどの腕前だった。しかし、高校1年の時に交通事故にあい、車いすユーザーに。

「バドミントンからはもう離れた生活をしていたので…」と話すように、競技とは無縁の生活を送っていた。
 

もう一度バドミントンをやりたい

23歳で結婚し、翌年には第1子が誕生し、幸せな日々を送っていた。
しかし25歳の頃、山崎選手に転機が訪れる。それはパラスポーツの“国体”、2013年全国障害者スポーツ大会で見た、パラバドミントンだった。

「もう一度バドミントンをやりたい」

競技復帰へ強い気持ちが芽生えた。
しかし、「車いすを操作するのが難しかったですね。元々羽根を打つところまで足で移動していたのに、車いすで移動してからラケットを振らなきゃいけないという流れが難しかったです」と、競技経験者ならではの悩みがあったという。

 
 

自らを「子供の頃から凄く負けず嫌い」と分析する山崎選手は、できるようになるまで練習を重ね、パラアスリートとしての才能は一気に開花。競技を始めて1年で日本選手権2位、世界で活躍する選手の1人となった。

今年9月に行われたJAPANパラバドミントン国際大会2018では、シングルス・ダブルス・混合ダブルスの3つで優勝をし、世界ランキングも1位となっている。
 

不可欠な「家族の支え」

 
 

「家族の支えがなかったら、バドミントンはやれていなかった」と、山崎選手は家族への感謝を忘れない。
主婦・仕事・バドミントンと3つの役割を果たすには、「家族の支え」が不可欠だという。

家事は夫と分担し、「フルタイムで仕事した後にバドミントンの練習で、これ以上、上を目指すことは無理だなという思いがあり、転職をして」とバトミントンのために転職した。

今どんどんバドミントンにのめり込んでいるという山崎選手に、バドミントンへのこだわりを聞くと、間を置いてからこう言った。

「なんだろう、羽根を打つのが楽しいです」

主婦から一転、世界で活躍するアスリートとなった山崎選手。
家族のために、パラリンピックの表彰台を目指す。
 

山崎悠麻(ヤマザキ・ユマ)

 
 

1988年4月8日生まれ 30歳 東京都出身 NTT都市開発所属。
小学2年生から中学3年生まで、全国大会に出場するなど活躍。
高校1年生の時、事故で両膝下の機能を失って車いすユーザーに。
15年から日本選手権シングルス3連覇。
18年、国際大会で女子シングルス、女子ダブルス、混合ダブルスで3冠を達成。

(PARA☆DO!:毎週水曜夜10時54分放送
 https://www.fujitv.co.jp/sports/parado/