中東のアフガニスタンで教育支援に取り組み、沖縄では外務省沖縄事務所の副所長として、基地が絡む事件・事故の対応にもあたってきた外交官が、2021年7月に退職し、沖縄で学習塾を開校する。
キャリアを手放し、沖縄の子どもたちのために新たな道を歩む理由とは。
先輩にアドバイスを受けチラシを作成
炎天下、チラシ配りに汗を流す官澤治郎さん(48)。2021年7月まで世界中を渡り歩いた経験豊富な外交官だった。
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――チラシを見てもいいですか?
元外務官僚 官澤治郎さん:
はい。塾の先生の先輩に教えを仰ぎながら、結構時間かけて、頑張りました
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――外務省時代は、チラシ配りをやったことはある?
元外務官僚 官澤治郎さん:
ないですね。あるわけないです。大変ですけど、面白いですよ。…大変ですけどね
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私は政府側の人間、組織を逸脱する言動はできず苦しかった
官澤さんは、2018年に外務省沖縄事務所の副所長として沖縄に赴任。
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米軍基地から派生する事件・事故が起きるたびに地元自治体や住民の切実な訴えに向き合ってきた。
宜野湾市にある「緑ヶ丘保育園」の屋根で、米軍機の部品が見つかってから3年が経った2020年12月、官澤さんは保育園を視察した。
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緑ヶ丘保育園に子どもを通わせる保護者(当時):
沖縄の子どもたちはやっぱり、学校にいても常に危険にさらされています。基地問題ではありますけど、私たちにとってはわが子の命の問題として動いています。
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官澤治郎さん 外務省沖縄事務所副所長(当時):
皆さんが不安に思っているというのをさらに思いましたので、私自身も努力をして、しっかりと対応していきたいと思っています
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国益の名のもとに日米同盟を維持することが外務官僚の立場。組織を逸脱する言動は許されなかった。
元外務官僚 官澤治郎さん:
私は政府の人間だったので、政府の人間としての発言しかできない。どこまで彼らの質問に対する答えになるのかというところで、応えきれなかった。そこは苦しかった
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組織の立場と個人の思いの狭間に揺れながら過ごした3年間。外交官を辞めて沖縄に骨を埋めることを決めた。
元外務官僚 官澤治郎さん:
選挙の結果とか県民投票の結果とか、3年間多くの人に会って、基地問題に限らずいろいろな考え方を持っている人がいると。奥が深いと思いました。
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元外務官僚 官澤治郎さん:
沖縄のことが一気に好きになって、それなら沖縄にずっと住みたいなと。自分の価値観、人生観に正直になって、正直に生きる
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混沌としたと時代に、たくましく生きる考え方を伝えたい
学習塾「かんざわ英語進学塾」を開設するのは、教育を通して沖縄に貢献したいという思いから。中東・アフガニスタンに赴任した経験がその源流だ。
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元外務官僚 官澤治郎さん:
一番最初のインパクトのある出来事は、2001年の9・11(アメリカ同時多発テロ)。ちょうどあの時ニューヨークにいて、世界貿易センタービルが崩れていたのを直接見た。あの後、タリバン政権が崩壊して、それから10年くらいしてから私はアフガニスタンで働きました。
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元外務官僚 官澤治郎さん:
彼らが何を望んでいるのか聞いた。彼らが真っ先に言ったのは教育だった、学校だったんですよ。喜んでいる子どもの姿、あるいは子どもの親の姿を見て、どんな世界でも価値観が日本と全然違う国でも、教育というのは重要なんだなと
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かつて官澤さんが教育支援に携わったアフガニスタンは今、再び武装勢力「タリバン」が台頭し混迷を極めている。
時代の流れが速く、価値観も多様化する今だからこそ、子どもたちに伝えられることがあるのではないか。世界を舞台に活動してきた官澤さんが人材育成にかける矜持だ。
元外務官僚 官澤治郎さん:
国際社会では自由、民主主義、基本的人権の尊重、世界は多様性に溢れている。これからの事態にますます混沌としている中で、たくましく生きるための考え方を少しでも伝えていければと思います。
自身の価値観を見つめ直し、再スタートすることを選んだ元キャリア官僚。自己実現に向けて新たな道を切り拓く。
(沖縄テレビ)