やっぱり東京五輪開催してよかった

エース上野の好投で日本が金メダルを獲得した五輪ソフトボールの決勝を観て泣いた。2008年の北京で金を獲り、その後12年ロンドン、16年リオは五輪種目から外れ、20年東京で復活、さらに1年延期されたので13年越しの五輪連覇は多くの人が涙なしでは見られなかったはずだ。

「監督が重圧に押しつぶされちゃうんじゃないか。力になりたかった」という宇津木監督を気遣う上野のインタビューも良かったし、福島の桃を6個も食べたという米国のエリクセン監督が試合で負けた後、宇津木監督を抱きしめて祝福していたのも良いシーンだった。

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無観客とは言え、東京五輪を開催してよかったなと改めて思った。

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東京五輪は政治利用されたのか

開幕前の7/18に産経新聞に五輪と政治についての論考を寄せた。内容は、もし日本がコロナに屈して東京五輪を中止にしても中国は来年の冬季五輪を開催するだろう。それは一連のコロナ対応に続いて権威主義体制の民主主義体制への勝利宣言だ。東京五輪の開催は民主主義陣営が絶対譲れぬ最後のラインであり、それを守った日本は胸を張って五輪を開催しなければならぬ、というものだ。

僕は政治記者なので何でも政治と関連付けて考える癖がある。政権は五輪を政治利用しようとしているのか、いや国際社会に対する義務を果たそうとしているだけではないのか。この1年ずっと考えてきた。

しかし開幕後、柔道の阿部兄妹の同日金メダル、大野将平のストイックな態度、卓球の水谷・伊藤コンビの仲睦まじい勝利などを見ていると、何でも政治に結び付けている自分がバカに思えてきた。

五輪とは才能あるアスリートが4年間精進し、晴れの舞台で世界一を競うものだ。そこには歓喜と絶望、緊張と弛緩、笑顔と涙、すべてのものがある。我々凡人は天才が苦しみ、喜ぶ姿にくぎ付けになるのだ。そして政治が五輪に対して唯一できることは、選手の安全を保証しながら五輪を開催することである。選手が主役であり、他の者たちはすべて脇役なのだ。

だから開会式の演出をめぐって、容姿の侮辱、いじめ、ホロコースト揶揄で次々に担当者が辞め、開会式の中止を求める声が出た時、「なぜ中止?」と思った。開会式というのは選手の入場行進と聖火の点火を見るものであって、その前に行われるショーの部分は最近やたらに力を入れているがはっきり言って添え物だ。ショーの部分の演出担当者が辞めようが代わろうが選手が主役の行事が中止になるわけもないのだ。

政治家はうるさいからもう黙れ

五輪開催に反対している立憲民主党の蓮舫代表代行がスケボーの金メダルに対し「素晴らしいです!ワクワクします!」とTwitterに投稿したのに対しネット上では「ダブルスタンダードだ」などの批判が殺到し、同じく開催反対の共産党・小池晃書記局長は会見で日本人活躍の感想を問われ「コメントは控えたい」と答え、ネットでは「ある意味、筋が通ってる」と話題になった。

蓮舫議員のツイートには批判が殺到

そのほかにも与野党問わず色々な政治家が五輪の感染対策、開会式や選手村についてさまざまな文句つけているが、ほめるのもけなすのもうるさいのでもう黙ったらどうだろうか。アスリートはまさに命を懸けて戦いに臨んでおり、その真剣さが我々の心を打つ。今となっては余計な雑音はいらない。

卓球混合ダブルスの決勝で日本ペアに敗れた瞬間、中国の許選手の呆然とした表情が忘れられない。報道によると会見では二人とも終始うつむき加減で中国メディアから「大勢の国民が応援していたのになぜ勝てなかったのか」などと質問というより叱責の声が飛んだ。二人はまさに針のむしろに座る気分だろう。だが許選手は伊藤選手について「彼女は大胆で勇敢だった。男子選手に立ち向かう勇気があった」とほめた。

敗者が勝者を讃える。そこには権威主義も民主主義もない。我々はしばらく政治を忘れてこの素晴らしい「お祭り」を楽しめばいいのだ。

【執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫】