新宿駅から電車を乗り継いでおよそ1時間半。
JR五日市線の終着駅、武蔵五日市駅から山道を40分程歩くと目の前にあじさいが広がる。
“南沢あじさい山”
その数、100種約1万5000株。
実はこのあじさい山、自然に出来たものではない。

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先祖が眠る墓地への道「花で埋めよう」

先祖代々この地で材木業を営んできた南澤忠一さん(91)が半世紀以上かけて育ててきたものだ。
わずか2株のあじさいを植えたことから始まった。
きっかけを伺った。

南澤忠一さん:
墓地に行くまでの街道を、花で埋めようというのが最初の発想ね。

お墓までの道のりを美しい花で飾り、ご先祖様にお参りしたい。
そんな思いで山道にあじさいを植え始めた南澤さん。
墓参りに来た親戚が喜んでくれた事が嬉しくて、ついついあじさいの数を増やしていたという。

2株のあじさいは50年で1万5000株に

“あじさい(に包まれた)山”の情報は口コミで広がり、地元の人も足を運ぶ、あきる野市を代表する観光スポットになった。

南澤忠一さん:
量を増やしたのはお客さんでしょうね。お客さんが広げてくれた。

仕事を引退した後、あじさい山の管理に専念することにした南澤さん。
しかし、寄る年波には勝てず、一人であじさい山を管理するのが徐々に難しくなったという。

南澤忠一さん:
自分も70の時かな、体の衰えを感じてきて、木を登るとか。

地域の宝物「守らなければ」

そうした状況の中、南澤さんのもとを訪れたのは、地元の青年たちだった。
その中心で活動しているのは、地元で飲食店などを経営する高水健さん(31)。

高水健さん:
誰かがやらなければいけないというのがあって、私は地元の人間なのであじさい山は地域の宝物なので、ここがなくなるのは悲しいし。腹を決めて。

ゼロから育て上げたおよそ1万5000株のあじさい。
この美しさを保つため、高水さんたちは仕事の合間をぬって南澤さんのもとを訪れ、地元の宝を守る為に、一からあじさいの管理について学んだ。

高水健さん:
あじさいを毎年綺麗に咲かせるのは管理が必要で。あじさいの剪定がメインで。無駄な枝を切っていく。やり方もそうですし、スピードも。1万株以上ありますので。

コロナ前は年間1万人近くが訪れていた南沢あじさい山。
しかし、感染拡大を受け、去年から、人数を制限するなどコロナ対策を実施しての一般公開となった。

たった一人の市民の「先祖への思い」が実を結び、あじさい山が生まれた。
南澤さん一人で始めた地域の宝物は、次の世代へしっかりと引き継がれている。

<撮影後記>

あじさいは曇りでも映える花だ。
たいていの花の撮影は、晴れている方が好都合だが、あじさいは曇り、むしろ雨が降る状況で撮影した方が個人的には一番綺麗に映える気がする。
今回も天気が悪くなるようにと祈りながら撮影に臨んだが、幸か不幸か、撮影当日の天気は良く、晴れ間が覗く中の撮影だった。

南澤さんは40歳の時からあじさいを植え始め、51年かけて1万5000株からなるあじさい山を築きあげた。
自宅から山道を300メートル程歩いた所にある先祖代々のお墓に行くまでの道のりが殺風景だったので、綺麗な花を植えようと思った事がきっかけだった。
この地域の墓参りの季節である7月に「見頃を迎える花」という理由からあじさいを選んだ。
地元を代表する観光スポットとなった今では、多くの観光客があじさい目当てに訪れるが、南澤さんは他にも花を植えている。

将来は一年中、花が楽しめる山にしたいという。
南澤さんが半世紀かけて育てたあじさい山は、まだ未完成なのだ。
この想いは次の世代へ引き継がれようとしている。

また何年後かにこの山を訪れて撮影してみたいと思った。
その時はきっと今とは違う姿をこの山は見せてくれるはずだ。

<撮影>三浦修・楠瀬琴美
<取材・撮影・編集・執筆>石黒雄太

撮影中継取材部
撮影中継取材部