悲しみが癒えない遺族の思い

「32年前と心境は変わりません」

32年前の6月4日、天安門事件で当時19歳の息子を亡くした張先玲さん(84)は開口一番、こう語った。

事件で19歳の息子を亡くした張先玲さん(右) 部屋には息子の遺影が
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「子供と母親は心と心が繋がっていますから、何年たってもあの時の彼を思い出します」

亡くなった息子の王楠さん(当時19)

その日、民主化を求めて天安門で座り込みを続けていた多数の若者に対し、中国軍は容赦無く銃口を向けた。

その日の天安門広場は炎に包まれていた(1989年6月4日)

多くの死傷者の中には、張さんの息子も含まれていた。微笑みかける息子の遺影の前で時おり涙を浮かべつつ、張さんは言葉を継いだ。

「彼はとても明るく、政治に興味のある学生でした。私は運動に参加するなと言いましたが、彼は『国のために良いことをするんだ。中国を進歩させるためだ』と言って参加し、凶弾に倒れました」

運動に参加した学生らに銃口が向けられた

張さんによると、事件当時はけがをした人を病院に運ぶことも許されなかったという。

背中に銃弾を受け出血する市民

亡くなった王さんは現場近くに埋葬されていたが、たまたま軍のベルトをしていたため病院に運ばれ、対面することが出来た。

暴徒化する市民

「記憶が薄れることはありません。心の深いところに刻まれるだけで、永遠に忘れることは出来ません」

9年前、張さんは息子の様々な遺品を見せてくれた。撃たれたときにかぶっていたヘルメット、息子直筆の「法制、民主」の文字、「人民はあなたたちを支持している」という横断幕。

当時の胡錦濤政権を批判していたのも印象深い。

息子が被っていたヘルメットには銃弾が貫通した跡が

遺族の“沈黙”と国家安全法

中国では2020年、国家安全維持法が施行され、香港での中国共産党批判や香港独立の主張は違法となり、反政府デモなど集会も大幅に制限された。

一国二制度は事実上崩壊し、香港の自治や法の支配は失われつつあるのが実態だ。

「民主化の弾圧」という点で天安門事件と共通する香港の話題を張さんに聞くと、とたんに口が重くなった。

香港問題、習近平体制については多くを語らなかった

「何があったのか、香港にいないのでよくわかりません。政府が天安門事件のように銃を向けなかったのは賢明だと思います。今はテレビも見ないし、興味もあまりありません」

張さんの慎重な物言いは国家安全維持法など香港に対する当局の締め付けが強まり、中国国内でも敏感な問題になっていることが原因だろう。

海外のメディアとはいえ、批判的な発言をしたことが当局の眼に触れれば、自らの身の安全にも関わることになるからだ。

習近平政権についての感想を聞いても同様の答えだった。

「(習近平体制に)あまり関心はありません。関心があるのは天安門事件のことだけで、他のことはよくわかりません」

9年前の熱心な発言は影を潜め、言葉を選んで話す彼女の姿に、習近平体制下で自由が一層奪われつつある中国の現実を垣間見た気がした。

強まる取材規制

天安門広場の様子(2021年6月4日) 事件の痕跡は何もない

9年前には取材が可能だった天安門広場も、今となっては外国の記者が中に入ることは許されていない。中国にとって敏感な話題を報じる海外メディアのテレビ映像がブラックアウトしたり、ネットが遮断されることはほぼ日常茶飯事だ。

海外メディアが中国の敏感な問題を報じると画面はカラーバーになる

2021年6月3日、再び彼女の自宅を訪れると、門は1人が通れる分だけしか開いておらず、多くの警備に囲まれた。

事件の前日、張さんの自宅は厳重に警備され中には入れなかった

取材を申し入れると20分程度待たされたのち、新型コロナウイルスの感染対策を理由に丁重に断られた。

アメリカと肩を並べるまで世界的に存在感を増した中国だが、共産党政権の厳しい言論統制と徹底した監視は、国際社会の求めに敢えて反発するかのように、その度合いを強めていることを実感した。

事件から一夜明けた天安門広場

【執筆:FNN北京支局長 山崎文博】