ミャンマーで収監され、帰国したフリージャーナリストの北角裕樹さんが、解放から一夜が明けた2021年5月15日(土)、新型コロナウイルス対策のため隔離生活中のホテルで遠隔のインタビュー取材に応じた。全文を掲載する。

2021年5月15日(土)午後4時頃撮影
帰国から一夜・・・ギリギリの“返却”
北角裕樹さん:
本当にいろんなことがアッという間に起こっている。空港で押収物がかえってきて慌てて詰めて。チェックを進めているが、パソコンの充電用アダプターが無くなっていたり。買えばいいが私はいま外に出られないので不便な状態。
――取材上の秘密が含まれるものを奪われたか
北角裕樹さん:
今そのチェックを進めているが、全部消されているわけではない。データを消去されたパソコンと外付けハードディスクがかえってくると思っていたが。家宅捜索され、パソコン、外付けハードディスク、カメラ、書類、金と、かなり広範囲にわたり押収された。一部はミャンマー当局もチェックして事情聴取に使っていた。
――返却されたのか
北角裕樹さん:
空港で飛行機に乗る直前に返ってきた。いくつかの警察の部署に分かれて保管されていたようで、部署ごとに返ってきて最終的に「コレが全部だ」と揃ったのが、搭乗ゲートに向かう30分前くらいのタイミングだった。

「私を助けるために多くの方に力を尽くしていただいた」と謝意を示した。
2021年5月14日(金)午後10時30分頃撮影
――成田空港で報道陣の取材に応じて以降、どんなことが起きたか
北角裕樹さん:
新型コロナウイルスの感染対策として隔離ホテルに入ったのが夜中の2時。それまでインターネットに繋ぐことができなかったので、すぐに最低限の連絡をした。また、その日の朝に返却されたばかりの機材がたくさんありチェックをはじめたが、なかなか全部までは手が回らず、朝方少し眠った。昨日(報道陣の取材に対し)お話したときの認識よりもいろんな方がこの件に関わってくださっていたと知り、本当にありがたい話だなと思う。
住民が感じ始めた「手詰まり感」
――解放、帰国から一夜が明けた
北角裕樹さん:
まだ3000人以上と思うが「政治犯」が監獄の中にいるという状態だ。そのほとんどの人はかなり深刻な尋問を受けたり、苦しい状態にいる。そういう人に対し、やはり自分は早く出てきた身として・・・。日本のパスポートを持っているがために早く出てきた人間には、まだ中に居る人間を支援する責任があると私は感じている。改めて状況を把握して、「この人はこういうことになっていたんだ」とか、そういう情報交換をしている。

弾圧が強まる状況下のデモとあり、後ろ姿を映している
北角裕樹さん:
私が見てきたミャンマーで行われてきたことは、本当に日に日に状況が悪化するなか、ミャンマーの人たちがそれでも頑張って助け合って、お互いに励まし合って抗議し続けているという状況。自分たちの未来を自分たちの望むものにしよう、このまま未来永劫国軍の支配のもとで生きることが本当に嫌だ、と。
その思いを私に託してくれたミャンマーの人は本当にたくさんいた。私たちは民主主義が必要なんだ、クーデター体制は絶対に容認できない、伝えてほしい・・・毎日のように聞いた。その一方で、住民たちにも手詰まり感が出てきていることも確かだ。だから国際的な圧力、もしくは介入を彼らは期待していて、その気持ちを伝えたいという風にも思っている。
――日本は人道外交を進める欧米諸国とは違うスタンスで対ミャンマー外交に臨んでいるように映る。現地ではどんな声が出ているのか
北角裕樹さん:
刑務所で政治犯の方々と話す機会があった。ひとつは日本に対して非常に大きな期待が寄せられている。ミャンマーの政府と関係が深いのでその立場を利用して、どうにか事態を好転させるように圧力をかけてくれないか、というのが彼らの希望だ。ただ日本の動きは見えないところもあり、私に「どうして日本は口だけなのか」という話をしてくる人もだんだん増えていった。

――ジャーナリストの解放を呼びかける各国大使の声明には、北角さんが拘束されているにもかかわらず日本は参加していない
北角裕樹さん:
帰国してからその事実に触れた。ジャーナリストの解放に関わらず、対ミャンマーという動きでは日本は欧米諸国とは一線を画すようなところがあったと思う。一緒に声明を出すときに日本が参加しない例は他にもあり、私はどうして欧米と一緒に圧力をかけることと独自の路線を歩むことが両立しないのかと思っていた。一方で圧力をかける。その一方でもうひとつの手段をとる。ということができる立場に日本はあるのではないか。
――日本は国軍側に強く屈しない姿勢を強く打ち出すべきと思うか
北角裕樹さん:
そうだ。日本が強い態度を示したとしても、ミャンマーはそれでも日本を必要とするタイミングがあると思う。なぜかというと彼らは孤立することを恐れているから。また中国のみに頼る外交というのも彼らは非常に嫌っている。そこのバランスは非常に外交の中で難しいことだと思うが、「モノを言いながら存在感を高め対話を維持する」ということができるのではないか。
駐ミャンマー大使自ら刑務所に
――44人のジャーナリストや3000人以上の「政治犯」と比較して特異的に解放された。日本政府とミャンマー政府の間にどんなやりとりがあったのか、推測できる動きはあったか
北角裕樹さん:
交渉の中身はこちらには伝わっていないが、相当多くの日本政府、大使館の大使を含め動いてくださったと聞いている。私の面会・・・面会といっても電話でしかできないが、2回行われた面会は大使自ら対応していただいた。私の件について日本側が高い関心を持っているということを日本側はミャンマー側に伝えたのではないかと思う。

在ミャンマー日本大使館ホームページより
1978 年外務省入省 直後にミャンマー語の研修生として派遣
6度の海外勤務のうち5度がミャンマー勤務でミャンマー語が堪能
2018年から現職。
――丸山大使が直接面会に来たのか
北角裕樹さん:
2回の面会だけではなく、例えば何かを差し入れに来る場合も大使が足を運んで刑務所長に面会し、いろんなことを要求されていたと理解している。
――丸山大使からはどんな話があったのか
北角裕樹さん:
状況を説明していただいた。また日本政府は私の解放に全力を挙げるというメッセージを伝えられた。そのほか具体的なことは聞いていないが、「(解放を)申し入れている」と。

――日本の対ミャンマーODA金額の高さとクーデターについて
北角裕樹さん:
非常に深刻だと思う。ODAの原資は日本国民の血税だ。民政移管の2011年以降、多額の税金が投入された。しかしクーデターによってその成果のほとんどが奪われてしまったと言っても過言ではないと思う。ODAに関わる技術者や専門家は非常に熱意を持っていた。
ミャンマーが民主化に向かうことから日本は支援したと理解しているが、日本国民の税金を貴方たちはどうしてくれるのだと日本の人は関心を持ってもいいと思う。私たちが払っている税金で行われているODAが、国軍によって本来の目的を達することがなかなか難しくなっているというのは紛れもない事実だと思う。
――日本政府に伝えたいことは
北角裕樹さん:
決断すべき時に決断してほしいと思う。多くの関係者が「日本は決断ができないのではないか」というふうに心配している。はっきりとした自分たちの態度を実行力の後ろ盾がある形で示すことが必要と思う。

2021年5月14日(金)現地時刻午前9時10分頃 撮影
――ヤンゴン国際空港に到着した際の映像では、頭を下げたように見えた
北角裕樹さん:
当時はまだ私の釈放が外部に知られているのかどうか分からなかった。空港に到着したとき、記者が居ることに私は非常に心強く感じた。お礼の意味で頭を下げたと思う。
――当時、車に同乗していたのは誰なのか
北角裕樹さん:
警察の関係者。私はその前の日に警察の施設で一泊しているが、そこから警察の関係者とともに空港に行き、一時空港の到着エントランスの前にしばらく停まっていた。その後裏口から中に入り、空港内で日本大使館の人に引き渡された。

弾圧が強まる状況下のデモとあり、後ろ姿を映している
――今後もミャンマーの現状を伝え続けるという決意を昨日示された。具体的にどのような発信をしたいか
北角裕樹さん:
ひとつは自分が見た、聞いたことをメディアで伝え、それを文書にまとめる。記録に残すということが必要なことだと思う。また今、回収できた映像を精査しているところだ。私が現地で撮ってきた映像をもとに何らかの発信をしたいと思っている。
ひとつに2月に数百万人が参加したといわれるデモがあったのは日本でも報道されたと思うが、その後、大規模な鎮圧があってなかなかデモができない状態になった。バリケードは取り払われ、軍が1日に2回くらい軍用車で来て居座るような状態。そこでも横丁から抗議をするような声が聞こえてきて、私が慌てて事務所から出て外を見渡すと、数十人規模、小さい規模でのデモが行われていた。
私はこれだけ大規模な弾圧がされて、マシンガンまで使われている状態で、もう抗議の声をあげる姿はなかなか見ないかもしれないと思っていたが、それでもミャンマーの人たちは、例えば小規模なグループでやる。もしくは夜間。もしくは早朝にデモをする・・・いろんな方法を考えて声を上げていた。互いに「諦めるな」と励まし合っていた。
私自身「この人たちの気持ちが生きている限りこの国には希望がある」と何度も思わされた。偶発的に声が聞こえ、そこに行ってみると本当に町の主婦とか店のおばちゃんとか、床屋の兄ちゃんとか。そういった普通の人が抗議の声を上げているところに何度も出会い、そのたびに「本当にミャンマーの人は民主主義を求めている」と何度も思わされた。
「悲痛な声を聞いていただきたい」
――最後に。もっとも伝えたいことを今一度反芻し教えてほしい
北角裕樹さん:
ミャンマーの人たちの悲痛な声を聞いていただきたいと思う。彼らは本当に厳しい状況の中で何度も絶望に直面しながら、恐怖にさいなまれながら活動を続けている。それほど民主主義がほしいと、民主主義がないと我々の未来は無いという風に思っているということを理解してほしい。
(取材:2021年5月15日)
【執筆:フジテレビ 国際取材部 百武弘一朗】