「地球を汚し人類を殺す日本」(韓国メディア)

4月13日に日本政府が福島第一原発に貯まる処理水の海洋放出方針を決めた事を報じる、ある韓国メディアの見出しだ。この見出しから分かるように、韓国の反発は尋常ではない。

官民が総力を挙げて日本批判の声をあげていて、丁世均(チョン・セギュン)首相は「日本は再び歴史的過ちを犯すのか」と歴史問題を絡めてヒートアップしている。また南部にある済州島の元喜龍(ウォン・ヒリョン)知事は、日韓両国の裁判所で日本政府を相手取り民事・刑事(!)訴訟を起こし、国際司法裁判所にも提訴すると息巻いた。

4月13日のソウル・日本大使館前で行われた環境団体の日本批判パフォーマンス。防護服を着込んでいる
4月13日のソウル・日本大使館前で行われた環境団体の日本批判パフォーマンス。防護服を着込んでいる
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4月13日のソウル・日本大使館前。環境団体が日本を批判するパフォーマンスを繰り広げている
4月13日のソウル・日本大使館前。環境団体が日本を批判するパフォーマンスを繰り広げている

7カ月で放射性物質が韓国に?

海洋放出決定について、IAEA(国際原子力機関)のグロッシ事務局長は「日本政府の発表を歓迎する」とした上で、「海への放出は、技術的に実行可能であり、国際的に実施されている手法に沿っている」と日本の決定を支持している。その上で、「計画が安全かつ透明性あるかたちで履行されるかをチェックするための技術的サポートを行う準備がある」としていて、計画通りに行えば安全との立場だ。

ところが韓国政府は会見で「福島原発汚染水海洋放出決定は周辺国家の安全と海洋環境に危険を招く(※韓国政府は処理水を汚染水と呼んでいる)」と危険性を断言している。韓国政府が何をもって危険と断言したのか、すぐに問い合わせたが返答は24時間たっても来なかった。他国の政策を危険と決めつけたからには、当然根拠があるはずであり、それをすぐに説明出来ないのは、おかしな話だ。

そこで韓国メディアや自治体が主張する「危険」の代表的な事例として、韓国南部の蔚山市の市長の主張を紹介する。市長は「汚染水が放出されれば放射性物質が7カ月で済州島に到達すると予想される。汚染水にはトリチウムがそのまま残っており、人体に致命的なセシウム、ストロンチウムなども残存している」と述べ、放出撤回を求めた。

蔚山市から20キロほどしか離れていない月城原発からは年間約136兆ベクレル(2016年)のトリチウムが海洋や大気に放出されてきた。また、処理水では、セシウムやストロンチウムは基準値以下まで除去されることが前提だ。市長の言い分に、突っ込みどころは多い。だが今回は「7カ月」に注目してみる。

「7カ月で到達」の根拠として韓国メディアが繰り返し報じているのは、2012年にドイツのキール大学ヘルムホルツ海洋研究所が作成した、福島第一原発事故後のセシウム137海洋拡散モデルだ。その論文を読んでみたが、福島沖に放出された放射性物質のほぼ全てが太平洋を東に向かい、アメリカ大陸にぶつかって南下し、今度は太平洋を西に進むというものだった。その間、当然大量の海水によって希釈・拡散される。太平洋を1周してセシウム137が韓国に到達するのは、およそ5年後だった。しかも検出可能ではあるが、ごく微量とされた。

一方、このモデルで「7カ月」というのは、検査機器では検出すら出来ないほど微量のセシウムが、日本列島を回り込んで韓国に来るタイミングだ。到達してもごく微量なので、健康被害の可能性は無い。また、韓国海洋技術院も2013年に同様のシミュレーションを行っていて、福島沖の放射性物質は6年以内に太平洋全体に広がり、10年後には韓国の海岸にも達するが、極めて微量という結果だった。

キール大学ヘルムホルツ海洋研究所が作成したシミュレーションでは放射性物質は殆ど太平洋に流れている。韓国には7カ月後に到達しているが極めて微量なのが分かる。
キール大学ヘルムホルツ海洋研究所が作成したシミュレーションでは放射性物質は殆ど太平洋に流れている。韓国には7カ月後に到達しているが極めて微量なのが分かる。

実は多くの韓国メディアは2013年の韓国海洋技術院の研究発表について報じた際には、ドイツでの研究も紹介しつつ「福島沖の放射性物質の影響は韓国に及ばない」と報じていた。

例えばチャンネルAというテレビ局は2013年8月に「韓国に到達するのはあまりにも極微量なので、影響はないとの分析だ」とはっきり報じている。また韓国の通信社ニュース1も「放射能が薄められ、影響は微々たるものと予測される」とした上で、実際に韓国近海の海水を採取して調査した結果についても「福島原発の流出水が我が国に影響を及ぼしていないと確認された」と報じていた。

こうした「福島沖の放射性物質は韓国に影響しない」との報道がガラリと変わった瞬間がある。2019年7月の日本政府による輸出管理強化だ。

反日の嵐で突然「危険」になった海洋放出

2019年7月、日本政府が韓国向けの半導体製造用素材などの輸出管理を強化すると、韓国では反日の嵐が吹き荒れた。韓国政府は日本不買運動をあおり立てたほか、福島第一原発事故を日本の弱点とみなし、攻撃の手段にした。

IAEAなど国際舞台で執拗に海洋放出案について問題提起した他、放射能汚染の可能性があるとして東京オリンピック・パラリンピックの韓国選手に日本産食品を食べさせないと言いだし、韓国の食材を日本に持ち込む事を決めた。さらにセメントの原料として日本から輸入していた火力発電所の石炭灰について、突然放射線検査を強化した。

韓国メディアは「日本の放射能問題を世界に知らせる効果がある」と書き立てた。

こうした、執拗な「放射能攻撃」が行われていた2019年8月、前出のチャンネルAは「福島の汚染水7カ月後に済州島に影響」というニュースを報じた。2013年に報じていた「極微量で影響が無い」との話は消滅し、「7カ月で韓国に到達する」という部分だけを取り上げ「福島汚染水に対する国際社会の懸念が高まっている」と締めている。

同様のニュースは多くの韓国メディアが報じていて、この時期を境に、「7カ月で到達するが微量で影響なし」との情報のうち「微量で影響なし」との情報が影を潜めるようになり、「7カ月で到達する」との情報が危険性の象徴に姿を変えた。

処理水問題を政治利用

こうしたメディアの変遷や、韓国政府の強い反発について、非科学的であり政治的な理由からの反発だとの指摘が、韓国の専門家から出ている。韓国・慶煕(キョンヒ)大学原子力工学科の鄭釩津(チョン・ボムジン)教授は私たちの取材に対しこう語った。「2011年の事故の時に多量の放射性物質が海洋放出されたが、その後10年間、わが国に有意な放射線量の増加が検出されたことはない。また、海洋生物の汚染によって被害を受けた事もない。今回の汚染水の放射線量は、2011年の事故当時に海洋放出されたものより極めて少ない量であり、トリチウムの量も地球上に存在するトリチウムに比べれば極めて少ない量だ。私は韓国政府の反発には科学的根拠が無いと考えている」

さらに一部韓国メディアからも自省の声が出ている。大手紙中央日報は4月13日「韓国政府は福島問題に対して科学的にアプローチするのではなく、日本に対する政治的対応カードとして利用しようとした」と認めた。

なお、冒頭で日本を強く批判したと紹介した丁世均首相と元喜龍知事は、2人とも次期大統領選挙出馬が取り沙汰されている人物だ。

韓国に突き刺さる反日ブーメラン

そして今、放射能問題を日本攻撃のために政治利用した副作用が、ブーメランのように韓国社会に突き刺ささりつつある。処理水の危機を煽る報道は過熱し、「放出後7カ月で韓国の水産業は壊滅する」との「危険」がさかんに喧伝されているのだ。

そうした韓国メディアの記事には「もう海のものは食べられなくなる」「韓国産のり、わかめ、魚など海産物は全部食べません」「水産資源が日本の汚染水によって使えないものになってしまう」というコメントが溢れている。韓国の水産業者団体は4月14日に出した声明で「汚染水が韓国海域に直接流入しなくても、水産物の放射能汚染の可能性に対する国民の憂慮だけで、私たちの水産業は壊滅的な被害をこうむる可能性が高い」と悲鳴を上げた。

2013年当時のように、シミュレーションに基づく科学的で冷静な報道を続けていれば、チョン教授が指摘するように韓国政府が非科学的で政治的な日本批判を行わなければ、このような風評被害は起きえないだろう。韓国の水産業者が気の毒だ。

文大統領と相星駐韓大使が初対面した4月14日、文大統領は国際海洋法裁判所への提訴を積極的に検討するよう関係部署に指示した
文大統領と相星駐韓大使が初対面した4月14日、文大統領は国際海洋法裁判所への提訴を積極的に検討するよう関係部署に指示した

文在寅大統領は4月14日、国際海洋法裁判所への提訴を積極的に検討するよう関係部署に指示した。IAEAやアメリカが日本の海洋放出を支持している以上、勝ち目は薄いとの見方が韓国内でも多い。しかし、直近のソウルと釜山の市長選挙で歴史的大敗を喫し、支持率が低下してレームダック化が進む文大統領としては、日本に対して強い姿勢で突き進むしか道が無いのだろう。その代償は、韓国の水産業者が支払う事になるかもしれない。

【執筆:FNNソウル支局長 渡邊康弘】

渡邊康弘
渡邊康弘

FNNプライムオンライン編集長
1977年山形県生まれ。東京大学法学部卒業後、2000年フジテレビ入社。「とくダネ!」ディレクター等を経て、2006年報道局社会部記者。 警視庁・厚労省・宮内庁・司法・国交省を担当し、2017年よりソウル支局長。2021年10月から経済部記者として経産省・内閣府・デスクを担当。2023年7月からFNNプライムオンライン編集長。肩肘張らずに日常のギモンに優しく答え、誰かと共有したくなるオモシロ情報も転がっている。そんなニュースサイトを目指します。