五輪に向けた聖火が福島のJヴィレッジをスタートする映像に、とても印象深いなでしこジャパンメンバーの姿があった。

聖火リレーの第1走者はW杯を制したなでしこジャパンの優勝メンバーだった
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あのワールドカップ優勝メンバーの、岩清水梓だ。

2011年7月17日(現地時間)に行われた「FIFA女子ワールドカップ 決勝 日本×アメリカ」。

東日本大震災で沈む日本に、ドイツから勇気と希望を与えてくれたなでしこジャパンの感動的な優勝劇は、10年経った今でも薄れることのない記憶として、日本人の心に焼き付いていることだろう。

試合延長戦後半12分の神がかった澤穂希の劇的な同点ボレー弾。当時20歳の熊谷紗希がPK戦で蹴った、ゴール左上に吸い込まれる試合を締めくくるボールの弾道。幾度となく繰り返された“ハイライトシーン”はこれからも後世にも伝えられていくに違いない。

忘れられないあの瞬間

しかし、決して忘れてはならぬシーンが他にもあった。

延長後半アディショナルタイム、アメリカのストライカー、アレックス・モーガンへのパスから、まさにGKと1対1になる瞬間(あわや決勝ゴールかと思われるシーンで)、ペナルティエリアのわずか手前でモーガンの足元に飛び込み、一発レッドカードをもらった1人のDFのプレーである。

レッドカードをもらった岩清水(写真:ロイター/アフロ)

岩清水梓。1986年生まれの岩手県出身プレーヤー。中学1年でNTVメニーナ入団後、2003年にベレーザに昇格、なでしこジャパンには2006年にデビューし、代表として122試合の国際Aマッチに出場した、日本が誇る名DFだ。

自身2度目のワールドカップ。

しかも日本が決勝に進んだのは初、そして相手は絶対王者のアメリカ。

圧倒的な劣勢が予想される中、なでしこは諦めず必死に戦い、試合終了間際、絶体絶命の場面でも岩清水はモーガンの動きを冷静に見切っていた。

「ここでいかなければ後悔する」魂を込めたタックルが決定的な場面を阻み、退場を宣告された岩清水に、近賀が、川澄が、阪口が近寄り、声をかけた。「ありがとう」と。

結局その後のFKを全員が身体を張って防ぎ、あのPK戦へともち込むこととなる。

THE ENDとなる場面を自身の人生で初の「レッドカード=退場」で救った岩清水は、日本を
歓喜に包んだPK勝利の瞬間をピッチ上では見ていない。

退場処分となりロッカーへと続く通路脇の小さなモニターで、涙を流しながら見ていたそうだ。その後係員の許可を得てようやくピッチに飛び出した岩清水は、世界の頂点に立ったなでしこジャパンの歓喜の輪に加わった。

人目をはばからず号泣した岩清水

2015年のW杯 写真:ゲッティ

それから4年後、日本は再び「FIFA女子ワールドカップ」の決勝まで辿り着き、岩清水もそのピッチ上に立っていた。対戦相手は…またしても強敵アメリカだった。

ディフェンディングチャンピオンの日本は、試合開始早々からアメリカの猛攻撃にあい3分、5分、14分、16分とたてつづけに得点を許してしまう。

その失点のほとんどに絡んだ岩清水は、なんと前半33分に交代を命じられベンチに下がった。

その時、テレビ画面には人目をはばからず号泣する岩清水の姿が映し出されていた。悔しくて悔しくてたまらない。4年前、世界一を掴むために「覚悟のタックル」を決めたDFがズタズタにされた姿がそこにあった。

あの時とはまた違う形でピッチを後にした岩清水だったが、見ている者にはその心から湧き上がる感情がストレートに伝わってきた瞬間だった。

日本に勇気を与えた岩清水梓の一発レッドと、4年後の号泣。

2度の「FIFA女子ワールドカップ 決勝」という大舞台で、“岩清水梓”という一人のサッカー選手が見せてくれた人間ドラマを決して忘れることはないだろう。

「なでしこ勝ったあ!世界一~!」

日本で最初にトーチを掲げて走った岩清水さんは、国際親善試合で解説を務める

4月8日には、被災地・宮城でパラグアイとの国際親善試合が行われ、岩清水は解説を務める。

あれから10年。五輪で、ここ日本で、岩清水梓の魂を継承したなでしこジャパンが、心揺さぶる戦いを見せてくれることを大いに期待したい。
 

(構成・文 岸原秀治/協力・植村敦)

サッカー女子代表 国際親善試合 なでしこジャパン×パラグアイ
4月8日(木)16時00分~18時25分
ゲスト解説:大野忍 
解説:岩清水梓 
実況:小穴浩司(フジテレビ アナウンサー)
ピッチリポート:日々野真理