“スーパーボランティア”尾畠さん 10年前を振り返り、涙…

“スーパーボランティア”として知られる尾畠春夫さん(81)。

東日本大震災後には、被災地を度々訪れて支援を続けてきた。

“スーパーボランティア” 尾畠春夫さん 81歳
“スーパーボランティア” 尾畠春夫さん 81歳
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この10年間の歩みについて、尾畠さんと支援を受けた被災地の人たちに聞いた。

“スーパーボランティア”尾畠春夫さん:
家も何もかも流された人が、「尾畠さん、ありがとうございました」と言っていた時は涙が出た。ほんとにうれしかった

東日本大震災を思い、涙ぐむ尾畠春夫さん
東日本大震災を思い、涙ぐむ尾畠春夫さん

10年前の活動を振り返り、思わず涙ぐむのは、スーパーボランティアとして知られる大分・日出町の尾畠春夫さん。

尾畠さんが支援にかけつけたのは、宮城・南三陸町だった。

宮城・南三陸町 2011年3月11日
宮城・南三陸町 2011年3月11日
津波で骨組みだけ残された建物 宮城・南三陸町
津波で骨組みだけ残された建物 宮城・南三陸町

“スーパーボランティア”尾畠春夫さん:
そりゃあもう皆さんね、氷みたいな顔をしているんですよ。家を流されて、家族を流されて

写真やランドセルも…がれきから探す「思い出探し隊」

途方に暮れる町民を前に、ボランティアが取り組んだのが「思い出探し隊」だった。

「思い出探し隊」初代隊長に
「思い出探し隊」初代隊長に

がれきの中から、写真など思い出の品を探し出し、きれいに洗って被災者に返却する活動で、尾畠さんは初代隊長を務めた。

たくさんの古いアルバム
たくさんの古いアルバム

尾畠さん「男児を救助」のニュースにも励まされ

南三陸町で被災 阿部武敏さん:
私たちは結婚式をしなかったんですよね。その前撮りの写真なんですよ。今見ると懐かしくて、本当に毎日見ています

尾畠さんに洗ってもらった写真を、今も大切にしているという阿部武敏さん。阿部さんは津波で、住宅と営んでいた食堂が全壊。

津波で家と店を失い…
津波で家と店を失い…

避難所生活の中で尾畠さんと出会った。

阿部さんはこの10年の間に、住宅と店舗をそれぞれ高台に再建。

復興への歩みを進める中、尾畠さんが山口県で行方不明だった男の子を無事救助したというニュースには励まされたという。

“スーパーボランティア”と呼ばれるきっかけとなった
“スーパーボランティア”と呼ばれるきっかけとなった

南三陸町で被災 阿部武敏さん:
あのときは感動しました。パワーをいただきました

宮城・南三陸町 佐藤仁町長:
(男の子を)見つけたのが尾畠さんだと、あれはびっくりしたな。さすが尾畠さんだと思ったね

宮城・南三陸町の佐藤仁町長
宮城・南三陸町の佐藤仁町長

南三陸町に延べ500日間滞在し復興支援

南三陸町の佐藤仁町長。「思い出探し隊」の活動は、佐藤町長の発案で始まった。

「思い出探し隊」
「思い出探し隊」

宮城・南三陸町 佐藤仁町長:
本当にあの人は義理に厚く、情に厚い人だったなと思います。リーダーとして活躍してもらって本当にありがたい

町はこの10年で、住宅の高台移転を終えるなど復興の歩みを進めてきた。しかし、震災前と比べると、人口は約3割も減ってしまったという。

宮城・南三陸町 佐藤仁町長:
南三陸町としてできる一番の恩返しは、町をしっかり作ることだと思いますので、そこに向けてこれからもしっかり取り組んでいきたいと思います

震災から10年…

尾畠さんは南三陸町に延べ約500日間滞在。その後も各地の被災地で、復興支援に汗を流してきた。

“スーパーボランティア”尾畠春夫さん:
「何かお手伝いできることはありませんでしょうか」と。災害に遭った人たちに少しでも何か、硬い表情になっている人に、少しでもいいから、目じりが下がってほしいなという、そう私は常に思っているんです

少しでも心をほぐせたら…
少しでも心をほぐせたら…

小さな支援の積み重ねが大きな復興を成し遂げていくこと信じて…尾畠さんはこれからも、東北の被災地に寄り添う。

(テレビ大分)

テレビ大分
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