新型コロナウイルスの緊急事態宣言が1都3県に発令されて5日。多くの人が“新しい日常”の生きづらさやコミュニケーションの難しさを抱えている中、「だからこそコミュニケーションに“5つの大”が必要です」と語るのは、聴覚に障がいのあるユニバーサルデザインアドバイザーの松森果林さんだ。“5つの大”は人々の生活をどう変えるのだろうか。

聞こえる世界と聞こえない世界を知る強み

松森さんは小学4年で右耳が聞こえなくなり、高校2年で左耳の聴力を失った“中途失聴者”だ。その後松森さんは視覚・聴覚に障がいのある人たちのための短期大学で手話を学び、聞こえる世界と聞こえない世界の両方を知ることを強みに、大学での講義や羽田空港などの企業研修、執筆活動を通じてコミュニケーションのアドバイスを行っている。

松森さんは聞こえる世界と聞こえない世界の両方を知る
松森さんは聞こえる世界と聞こえない世界の両方を知る
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またコロナ禍のいまはダイアログ・イン・サイレンス(※)のアテンドスタッフのほか、小学校への出張授業も行っている。

(※)音の無い世界を通じて聴覚に障がいのある人の日常を体験するエンタテインメント

(関連記事:「音のない世界で、対話を楽しむ」 100万人が体験した「ダイアログ・イン・サイレンス」とは)

萩生田文科相(右)も昨年ダイアログ・イン・サイレンスを体験
萩生田文科相(右)も昨年ダイアログ・イン・サイレンスを体験

「マスクからはみ出るほどの笑顔で」と提案

 “5つの大”では「顔の表情やアイコンタクト、笑顔を大切に。身振りやマスク着用時は声のメリハリを大きくして」と提案している。

松森さんが“5つの大”を考えたのは、東京都の小池知事が提案した“5つの小”への懸念からだった。

「お喋りも集まる人数も小さくなると、どうしても社会全体が縮こまって皆不安な表情になってしまう。じゃあこちらからは大で提案しようかと思いました」

“5つの大”に「顔の表情を大切に」と「笑顔を大切に」がある。

我々はいま日常的にマスクを着用しているので、笑顔や顔の表情をつくるのをつい忘れがちだ。

松森さんは「皆さん、顔の表情をサボっているのではないでしょうか?」と語る。

「コロナ禍だからこそ、マスクの下の表情をサボらないでマスクからはみ出るくらいの笑顔を心掛けたいですよね。マスクをしていると口元がわかりませんが、目が笑う、たとえば目じりがにしわができたり眉が垂れたりすることで伝わることも多くあります。表情が伝わるとコミュニケーションがもっと豊かになると思うんです」

アイコンタクトは安心と自己肯定感につながる

確かに松森さんはマスクをしていても表情が豊かなのが伝わってくる。松森さんは最近大学のオンライン授業で講師をしながら面白い体験をしたという。

「オンラインで約300人の学生に授業をするのですが、学生のレポートを読むと『1番印象に残ったのは松森さんの顔の表情の豊かさだ』とか『顔の表情が豊かになるだけで気持ちが変わってくることが分かった』という感想が多くてびっくりしました」

ではアイコンタクトはどうなのだろう。松森さんはダイアログ・イン・サイレンスでアテンドをする際、体験した人に「普段アイコンタクトをとっていますか」と聞くことがある。

「皆さん、あまり意識しないっておっしゃります。でも私たちのような聞こえない人が話をする時は、目と目を合わせるところから始まります。そうしないとお互いに話を聞く気がないということになるからです。目を合わせるだけでも気持ちは伝わりますし、目が合うと自分のことを見てくれているという安心感や自己肯定感につながる効果があります」

実はコロナ禍に限らず我々の日常生活の中で、アイコンタクトは重要なコミュニケーションとなっているのだ。

松森さんは小学校の出張授業で子どもたちに伝えることの大切さを教えている
松森さんは小学校の出張授業で子どもたちに伝えることの大切さを教えている

コロナ当初は街から笑顔が消えてしまった

ダイアログ・イン・サイレンスを運営する一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティでは2020年10月、視覚・聴覚障がい者が抱える困難に関するアンケートを行った。アンケート結果では、2020年4月に行ったアンケートに比べると生活での不便や不安を感じる人が減ってきていることがわかった。

一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティによるアンケート調査より
一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティによるアンケート調査より

この結果を見て松森さんは「聞こえない私たちはコロナの前からコミュニケーションや生活の中で様々なバリアがあるのが当たり前の生活だったので、非日常に柔軟に対応していくことが出来たのかもしれません」と語る。

しかし松森さんも当初は不便を感じたという。

「相手がマスクをしていると話をしているかどうかさえも判断できなくて非常に困りました。お店に行っても外に出ても電車に乗っても、笑顔が消えてしまったように感じましたね」

弱い立場の人の知恵を社会に取り入れる

そうした状況もこの1年で変わっていったと松森さんはいま感じている。

「聞こえる人でもマスクをしていると声がこもってやりとりが大変だと思います。そうしたことを実感したからだと思うのですが、私がコンビニやレストランで聞こえないことを伝えると、ジェスチャーなどで対応できるお店の人が増えてきたなと感じます。中には『ありがとうございました』といった簡単な手話が出来る人も増えてきましたね」

松森さんは語る。

「皆が皆できることではないですが、変化を受け入れて対応し楽しんでいくのが大事で、それが社会を変えていくことにつながっていくのかなと思っています」

コロナ禍のコミュニケーションの難しさは、社会全体が共有する課題となっている。

“5つの大”のようにこれまで弱い立場に置かれてきた人たちの知恵を、社会全体で生活に取り入れていくのが“新しい日常”の1つになるだろう。

追記:

ダイアログ・イン・サイレンスを開催しているダイアログ・ミュージアム(都内港区)では、コロナ禍で多くのイベントが中止に追い込まれた。しかし感染防止を更に強化して今年は本格的なイベントを再開する計画だ。

テーマとなるのは「東日本大震災から10年、この時に学んだ絆をコロナ渦で新たに活かすために」。

ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ理事の志村真介氏は語る。

志村さんはフジテレビ「フューチャーランナーズ~17の未来~」に出演
志村さんはフジテレビ「フューチャーランナーズ~17の未来~」に出演

「10年前に自分たちが気づいたのは人の絆の大切さでした。しかしいまコロナ禍で感染者や医療従事者が偏見や差別を受けるなど分断が起きています。10年前に築いた絆をもう一度、ダイアログ・イン・ザ・ダークの漆黒の中にある電車に乗って、東北の地を訪れるというイベントストーリーを準備しています」

コロナで分断されているいまの日本で、このイベントは東日本大震災で日本が1つになったことをあらためて思い出すきっかけになるかもしれない。

(関連記事:「ソーシャルディスタンスが確認できない」視覚・聴覚障がい者の約6割が新型コロナに不安を感じている

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。