「“ふるさと”静岡の子どもたちを守りたい…」

そう話すのは取材当時、大学院生だった中川優芽さんだ。

彼女が研究の場に選んだのは、東日本大震災の被災地・岩手県釜石市。“釜石の奇跡”として注目された防災教育を研究し、釜石小学校の「下校時避難訓練」に着目した。

津波から子どもの命を守った訓練をふるさとで実施したいと奔走。「釜石と静岡、2つのフィールドを持っていることが私の強み。防災についてお互いに学び合える環境を作りたい」と話す中川さんの2年に及ぶ活動に迫った。

後編では、「下校時避難訓練」を静岡で行うために奔走する中川さんの活動を追っていく。

(全2回、#1はこちら

重要なのは「子どもたち自身の判断」

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岩手・釜石町学校では東日本大震災の3年前、2008年から下校時避難訓練を行っていた。下校中、学校や自宅以外の場所にいるときに地震が起きたという想定のもと、どの避難所が一番近く安全か、子どもたちが自ら判断するという訓練だ。

この下校時避難訓練について、「子どもたちが自分で判断する」ことが重要だと考えた中川さんは2019年6月、震災当時、釜石小学校の校長を勤めていた加藤孔子さんを訪ねた。下校時避難訓練の生みの親でもある。

加藤さんは「近い将来、高い確率で宮城沖地震が起きるから各学校は備えておくように」と言われていたが、具体的に何をすればいいかと悩んだ末、下校時の避難訓練を行うことになったという。

中川さんが読み込み、研究の材料ともなっている震災の翌年に釜石小学校が発行した記録集「いきいき生きる」。

「先生たちがこの作文を残してくれなかったら研究が出来ていなかった」と感謝の気持ちを述べた。

最後には加藤さんから「教訓の“継承”から“警鐘”に変わっていけば」という思いも託された。

訓練は地域や民間企業の協力も必要

2019年5月、釜石での調査と並行し、何度もふるさとの静岡へ足を運んでいた中川さん。研究の先に見据えた夢は、釜石小学校の下校時避難訓練を静岡で実現することだ。

この日、一緒に町を歩いていたのは、掛川市教育委員会の増田賢指導主事。

静岡では前例のない訓練であり、そして提案したのは研究を始めたばかりの大学院生であるため、特別なツテなどない中川さんは自ら県や教育委員会、学校と直接交渉を重ね、実施への道を探っていた。

近い将来、必ず来ると言われている南海トラフ地震。

静岡県内の死者は約10万人と想定され、地震から3分後には3メートル、最大で33メートルの津波が押し寄せるとも言われている(静岡県第4次地震被害想定)。その対策として防波堤とともに、近くに高台がない地域には111基(2018年4月時点)の津波避難タワーを整備。海岸付近の1300か所以上の建物を津波避難ビルに指定している。

増田さんと町を歩いた中川さんは「サイレンを鳴らしていただく行政と、津波避難ビル指定の民間企業と、学校の地域ぐるみでやらないと効果は見込めない」と感じたと話す。

「釜石の教訓を南海トラフ地震の対策に生かしたい」という中川さんの熱意は、教育現場を動かすことになった。

下校時避難訓練の実施を受け入れてくれた掛川市立千浜小学校。

千浜小学校・塩﨑克彦教頭は「成功させるだけでなく、失敗があってもいい。何も動いていなかったら子どもたちや地域の人の認識が甘くなり、パニックになってしまう。(下校時避難訓練をやることで)より安全を守れるかな」と実施について語る。

海からの距離は約1.6キロ。学校は浸水区域外にあり、広域避難所に指定されている。しかし、学区の広い区域が津波の浸水想定区域となり、近くには遡上すると見込まれる大きな川もある。

釜石小学校と千浜小学校はこうした地形に加え、児童数がほぼ同じという共通点があった。その縁を結んだのは被災地への思いだった。

塩﨑教頭は「5、6年前にボランティアに行ったとき、(釜石の隣町・大槌町にある)吉里吉里中学の校長先生に案内してもらいました。津波には個人的に関心を持っていて、(釜石小と)同じようにはできないですが、釜石のように自分の命を守るという意識を高めたい」と意気込む。

研究開始から約1年、中川さんの夢は形になろうとしていた。

教え子のメッセージが力に

静岡県富士市で生まれ育った中川さん。

帰省のたびに足を運ぶのは、母・小百合さんが営むカフェ「香のん」だ。

遠く離れた岩手で一人奮闘する娘を、家族も応援している。

小百合さんは「この子は“こうだ!”と思うと突き進んでいくタイプ。人と関わることが好きで、学級委員や生徒会など人前に立つ子でした。何年かの間に釜石の人とつながりができていたので、心配はなかったです。静岡もいつ災害が起こるかわからない地域なので、ぜひ活躍してほしい」と期待を込める。

一方、高校生の頃から釜石と関わり続けてきたからこそ、岩手にも家族のように支えてくれる人たちがいた。

中でもよく声を掛けてくれるのが大槌町の漁師・黒沢さん一家。中川さんを娘のように思っているという。

研究が進むにつれて、岩手・釜石がもう一つの故郷のように感じていた。

そして心の支えは、かつての教え子からのメッセージ。中川さんが暮らす仮設住宅の壁には、教え子からのメッセージがびっしりと貼られていた。

「2年から5年生の音楽を教えていて。勉強をしていてツラいなと思ったときはパッと上を見て、子どもたちに励まされます。自分の研究が静岡の子どもたちの命を守るなら、自分の決めた道なので頑張らないと」

静岡で初めて実施「下校時避難訓練」

そして、2019年7月22日、静岡で初めて行われた下校時避難訓練。

全校児童約170人が地区ごとにグループで下校するが、いつ、どんな場所で訓練が始まるか子どもたちは知らない。

そして、「地震だ!」という声を聞いた子どもたちは、その場で一斉に頭を守りながらしゃがみ込み、揺れが収まるまでじっとする。

下校中のため、ランドセルや荷物は持ったままだ。その後、津波が来ることも想定して、避難を続ける。この日取材していた小学生グループは、一番近い250メートル先の津波避難タワーへ、目標としていた5分以内に避難を終えることができた。

避難後はその場で反省会も行われる。振り返って子どもたちが話し合うことで、判断力の養成にもつながっていくという。

中川さんは別のグループに同行し、近くで見守っていた。体を守る姿勢を取った後、すぐに移動。ここでも自分たちで判断することが求められた。車に気を付けながら、一番近い避難場所へと走って向かう。約5分で移動することができた。

反省会を行った後、子どもたちは解散するはずだったが、自分の命を自分で守ることを実感した子どもたちは、独自で反省会を実施。

「ランドセルで頭を守ってもいいよね」「荷物を持ったまま走るのは大変。荷物を捨てるしかない」など、体験してみたことで浮かび上がった課題を挙げていた。

学校では先生たちの反省会も行われていた。

「上級生がランドセルを頭にのせてと声を掛けて、ダンゴムシの体勢をしていた」「ゆっくりと歩きだした感じだったので、それでは津波が来たときに逃げきれないと思いました」など、次々と課題が出てくる。先生たちも感じたことが多くあった。

今回の訓練が次につながっていくことが中川さんの願いでもある。

「自分が今回の訓練の問題点を言うことは簡単ですが、千浜小の関係者だけでやることに意味があります。自分がいなくても継続する仕組みづくりが重要です」

訓練は地元の報道機関にも取り上げられ、教育委員会など防災教育の関係者たちからも関心が集まった。

「下校時避難訓練に着目して、これから起こり得る南海トラフ地震につなげていきたいと思ったとき、これだけ多くの人が協力してくれたり、真剣に考えてくれたりして、静岡と釜石の懸け橋になれるんじゃないかなと思った。その成果を研究者としても出していきたい」

千浜小学校では、次年度も下校時避難訓練を行う予定だという。

防災士の資格も取得

2019年12月、静岡での訓練に大きな手応えを感じ、岩手に戻った中川さんは、これまでの研究を論文にまとめる作業を進めた。

修士論文のテーマは「命を守る下校時避難訓練の構築」。その論文に先駆けて、中川さんが日本自然災害学会で2つの研究を発表。釜石の事例を他の地域でも応用した取り組みが評価され、第38回学術講演会で優秀賞を受賞した。

釜石で研究の日々を送っていた中川さんは、その間に防災士の資格も取得。防災士とは地域の防災リーダーを養成するために設けられた民間資格だ。釜石市は災害や防災についての知識と技能を身に付けられる講座を無料で開き、市民の資格取得を支援している。中川さんも2日間の講習を受け、試験に合格した。

「現地に入って研究するのは大変。でも、着実に進んでいると思う」と中川さんは前を向く。

2月、中川さんはバレンタインデーの前日に大量のチョコレートを買い込み、作業を始めていた。チョコには重要な防災単語を書き、市役所の人々に配るという。

翌日、釜石市役所では地域おこし研究員の活動報告会が開かれた。報告会の終了後、中川さんはチョコレートを取り出し、みんなに配った。

野田武則釜石市長が手に取ったチョコレートには「木密」の文字。木造住宅密集地域のことで、古い木造家屋などが密集している地域のことを指す。こうした場所は、地震や火災などで大きな被害が想定される。

中川さんなりのお世話になった人たちに向けてユーモア溢れる恩返しだった。

この頃、中川さんは研究の集大成となる80ページにも及ぶ論文が形になっていた。下校時避難訓練は、その土地の災害特性に合わせたものを学校と地域が作り上げ、繰り返し実施することが大切だとまとめられている。

そして論文の最後には釜石への思いも記した。

「研究をしているときは長く感じたけれど、終わってみたらあっという間。いろいろな人に出会ったし、いろいろな面で助けてもらった。釜石市と静岡県で災害特性も大きく異なるけれど、釜石の訓練が他の地域でも広がっていたらうれしい」

また教壇に立つことに

3月、任期終了まで残り1ヵ月となったが、この頃、国内では新型コロナウイルスの感染が拡大。

その影響で予定されていた市民への報告会は取りやめとなってしまった。また、大学院の卒業式も中止になり、地域おこし研究員の修了式が卒業式代わりとなった。

自身の研究は釜石でも役に立つはずだと、研究のもととなった釜石小学校には自らの手で論文を届けた。そしてそこで、4月から地元の静岡でもう一度小学校の教師になることも報告した。

3月27日、釜石を旅立つ日。新型コロナウイルスの影響でお世話になった人たちとの送別会もなくなってしまったが、みんなが作ってくれたアルバムを見返し、これまでの日々を振り返る。

そして4月1日。中川さんの姿は、海からは少し遠い富士宮市にあった。

「どこにいても津波の教育は必要。備える気持ちや命を大切にする気持ちをしっかり醸成したい」と意気込む。

勤める学校は、富士宮市の実家から車で30分ほど。これからが本当のスタートになる。

中川さんは職員室で行われた初日の挨拶でもう一つのふるさと、釜石の名前を口にした。

担任として担当するのは3年3組。東日本大震災の年に生まれた子どもたちだ。

「命を守ることの大切さを釜石で学んだからこそ、どんな場所でも、どんな時でも防災の取り組みは続けます。私にとっての防災は子どもたちの未来を守ることです」

【#1】「静岡の子どもたちの命を守りたい!」教師を辞めて釜石で“防災教育”を学んだ女性の想い

(第29回ドキュメンタリー大賞「防災の架け橋~釜石の教訓をふるさと静岡へ~」後編)

岩手めんこいテレビ
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