村人と共に地雷処理を続けてきた一人の日本人がいる
日本から約3800キロ。
カンボジア北西部にあるバッタンバン州タサエン村で、村人と共に地雷処理を続けてきた一人の日本人がいる。
砥部町の元自衛官 高山 良二さんだ。
テレビ愛媛では2006年から高山さんの活動を取材。
20年目を迎え、今年8月に現地を訪ねた。
自立を目指した世界初「村人参加型」の地雷処理活動
1970年代から20年以上に渡って内戦が続いたカンボジア。
今も国の発展を妨げているのが、内戦の“負の遺産”『地雷』だ。
国内にはまだ400万から600万個の地雷が埋まったままだといわれている。
「向こうから攻めてきたらいけんので、こちらに地雷を埋めて、お互いにやるわけよね。まあ、そういう戦場の1つの場所なんで、地雷は必ずあるわけね」
村を見下ろす丘の上で そう語るのは、愛媛県砥部町の元自衛官 高山 良二さんだ。
タイとの国境にほど近いバッタンバン州タサエン村。
高山さんは2006年から“雇用の創出”と“自立”を目指した世界初の「村人参加型」の地雷処理活動を行っている。
「75ドルあったら100キロのお米が十分に買える。お米さえあったら心配ない」
と考え、当時、処理活動にあたる隊員になってくれた村人に月給75ドルを支払うことに決めたそうだ。
この日、高山さんが向かったのは、ベルボンという小さな地区。
我々にもなじみ深い「タピオカ」の原料として知られるキャッサバの畑が広がっている。

『全ての責任は指揮していた自分にある』
「対戦車地雷が予想される地雷原で、非常に危険地帯」とされるこの一帯に、約7カ月前に現地入りした隊員たちが、地雷探査の状況を報告する。
畑のところどころに、地面がむき出しになり、看板が立てられた場所がある。
高山さんによると「看板に書いてある『TM46』っていうのは、ポル・ポト派が埋めた中国製の対戦車地雷を示す」そうだ。
取材にあたった久保田夏菜アナウンサー:
「こちらは、キャッサバ畑ですが、以前、対戦車地雷が10個見つかったということで、テープが張られた向こう側で、今まさに探知作業が行われています」
地雷の処理は農作物を守るため、人の手や目で安全を確保しながら手作業で行う。
40センチごとにエリアを進めながら、金属がないかどうか探知していく。
この日、地雷は探知されなかったが、もし見つかった場合は地雷格納庫に保管し、まとめて爆破処理するそうだ。
高山さんらによる2011年~26年7月までの20年間の活動で、東京ドーム約164個分にあたる768ヘクタールが探知され、約3500個の地雷や不発弾が処理された。
ただ、この活動で犠牲になった命もある。
高山さんが地雷の処理を始めて半年が経った2007年、8個の対戦車地雷が連動爆発し、処理にあたっていた隊員7人が亡くなる大事故だった。
『全ての責任は指揮していた自分にある』
カンボジアの人にどうお詫びを表そうか、考えた高山さんはその時「ここに骨を埋めて供養しよう」と決めたそうだ。
あの日から一日も、亡くなった7人のことを思わなかった日はなかったという。

生まれ変わった土地で生計を立てる人も
内戦終結から、30年以上経ったカンボジア。
首都プノンペンは高層ビルが立ち並び、インフラ整備も急激に進んでいる。
“平均年齢25歳”と若いエネルギーあふれる都市部が、東南アジアでもトップクラスの経済発展を遂げる反面、地方の復興はまだまだ進んでいない。
高山さんは「地雷・不発弾処理をやりながら、地域の復興支援をやる」ことにこだわる。
その先にこそ『平和構築』が見えてくる、と考えている。
地雷が処理された土地の多くは、村人が生計を立てるのに欠かせない農地に生まれ変わる。
この女性も村に嫁いで26年になる女性も「ジャガイモ、トウモロコシ、大豆、お米を作っています。畑で稼いだお金で、(医者を目指す)子供の大学やその先の勉強に充てられるようになりました」と語る。
この村で作物を安定して収穫できることは、村人の生活にとって何よりの支えなのだ。

20年間「ごみゼロ」運動の呼びかけを続ける
タサエン村は電気は通っているが、水道は整備されていない。
そのため、村人たちは数キロ先の池まで水を汲みに行ったり、貯めた雨水を「生活用水」として使ったりするしかなく、衛生状態も安全とはいえなかった。
そこで高山さんは支援者から寄付などを受け、これまでに100基を超える井戸を建設した。
ただ、その建設を進める中で村人たちとある約束をしたそうだ。
高山さん:
「掃除をすることは「約束』なので、みんなで毎日やってください」
実はカンボジアの人たちには、日本ではある意味“当り前”ともいえる『ゴミはゴミ箱に捨てる』という習慣がないそうだ。
習慣を変えることの難しさを痛感しながら、高山さんは20年間、ごみゼロ運動の呼びかけを続けている。
村の自立には子供たちの学びの場が欠かせない。
日々、各地を視察し支援が必要な場所を見極めるのも、高山さんの大事な役割だ。

『やりっぱなしの支援では意味がない』
この小学校は、2019年にかつて地雷原だった丘の処理が終わったことで、すぐそばに建てられた。
6歳から13歳までの86人の子供たちが、3つのクラスに分かれて勉強している。
「体の勉強をしています」「数学が好きです」「ここをちゃんと卒業したい」
子供たちから、いろんな希望あふれる言葉が聞かれた。
高山さんが、日本からの寄付金で建てた学校は18校。
『やりっぱなしの支援では意味がない』と考え、村人たちが学校をどのように活用しどう役立っているのか、定期的に視察を続けている。
高山さんが驚きの声を上げた。「ほんと!すごいですよ!」
この日は抜き打ちの視察だったにも関わらず、子供たちの靴はきれいにそろえられているなど、村人たちの生活習慣の変化を感じ取ることができた。

地雷は『人間』が犯した罪
夕方6時。
高山さんの宿舎にも子供たちの声が聞こえてきた。
カンボジア政府からも正式な日本語学校として認定されている『IMCCD日本語学校』に子供たちが学びにやってきた。
この学校は、日本へ留学生や技能実習生を送り出し、日系企業への就職を希望する若者の学び舎となっている。
地雷処理隊員のヘンランさんは、村人の隊員「第1期生」として、高山さんと共に地雷処理活動を続けてきた。
「なぜ、この仕事に就いたか」と尋ねた質問に、ヘンランさんは「1つは、家族の生活のため。2つ目は国家のため」と答えた。
さらに、息子にも「国に貢献できる仕事についてほしかったから」と、地雷処理に関わるこの仕事を勧めたという。
20年前、家族を守ろうと地雷処理隊員になった母の思いは、息子にも受け継がれる。
カンボジアでの地雷処理20年を振り返りながら、高山さんは語る。
「人間が戦争をすることそのものが、人間が犯す罪だと思います。地雷を埋めたり、そのままにすることも人間の罪。誰がやったとか、そんなことではなく、『人間』が犯した罪なんですよ。だから、今いる人がきれいにせんといかんのですよ」
『国の復興を阻む地雷原を失くし、新しい村の未来を作る』ため、高山さんがまいた「復興の種」は、確実に芽を出し しっかりこの地に根付こうとしている。


