東日本大震災から15年。児童・教職員84人が犠牲となった宮城県の大川小学校で、津波から生き延びた当時小学5年生だった男性が8月30日に高知県黒潮町で講演しました。
男性がいま伝えたい思いとはー
南海トラフ地震で最大34メートルの津波が想定される黒潮町。毎年、防災の意識を高めてもらおうとシンポジウムが行われています。
今回講演したのは2011年の東日本大震災で奇跡的に生き延びた只野哲也さん(27)。当時、宮城県石巻市にある大川小学校の5年生でした。
只野哲也さん:
「約10メートルの津波が大川地区を飲み込みました。校舎の周りにね、スーパーとか病院とか郵便局とかたくさんあったんですけども、このように変わってしまいました。まるで色が失われてしまったかのような光景に変わってしまいました」
津波で児童78人中74人・教職員11人中10人が犠牲になった大川小学校。只野さんは津波にのまれながらも奇跡的に助かりましたが、当時3年生の妹と母、そして祖父を亡くしました。
只野哲也さん:
「自然災害だからしょうがないんじゃないとか、千年に一度の大災害だから仕方ないよって言われることよくありました。でも、大川小学校で亡くなった命というのは自然災害、天災による犠牲ではなくて、これは人災だということを今日皆さんにしっかりと伝えたいと思います」
大川小学校の児童78人は地震発生から51分間、校庭で待機をしていて避難が遅れたといいます。
津波が来るまでには大津波警報やラジオ、親からの情報もあり、授業で登っていた裏山に逃げる手段もあった中での悲劇でした。
只野哲也さん:
「大川小学校で失われた命というのは救えたかもしれないとか、救えたはずとかではなくて、確実に救うことができた。救えた命なんだということは、私はしっかりと皆さんに伝えたいと思います」
実は震災前のハザードマップでは大川小学校に津波は来ず、地域の避難場所に指定されていました。しかし結果的に津波が到達し、多くの尊い命が犠牲になりました。
只野哲也さん:
「命を守る大切なことって一体なんなんだろうと、いつも僕も自問自答してます。で、それは、気づくこと、そして考えること、判断すること、最後に行動に移すこと。必ず想定外のこと起こると思います。判断に迷うときが必ず訪れると思います。どうしたらいいか。判断に迷ったときは相談する、質問する、確認するっていうことですね。ぜひ子どもたちと一緒に、これからも大事にしていっていただきたいと思います」
いまは故郷の地域創生の活動を行っている只野さん。15年たった今でも心の浮き沈みはありますが、大川小学校を、“悲劇の象徴”ではなく、子どもたちの笑顔あふれる場所として仲間とともに未来に残していきたいと思っています。
只野哲也さん:
「当然のことかもしれませんけど、命が助かれば、命があれば、何度だって、どこにだって、ふるさとはもう1度何度でもつくり出すことができる。これからも未来を開くために子どもからお年寄りまで、地域一丸となって、私たちのふるさとを未来へつないでいきましょう」
黒潮町の住民:
「人がいろんなこと教えてくれるし、人が助けてくれるし、日頃からのつながりが一番やと私も思います」
講演を聴いた人:
「人災によって、自分たちの判断ミスで、自分とか大切な人の命を落とさないようにするためにはどうしなければいけないのか新しい考え方が生まれたっていうところが一番の学び」
