10メートルを超える津波に襲われ、災害危険区域となった宮城県東松島市の野蒜地区に、新たなグランピング施設がオープンしました。15年という月日が、町の姿を変えています。
宮城県東松島市野蒜に今年4月新たなグランピング施設がオープンしました。
海から350メートル、3万3千平方メートルという広大な敷地に、客室はわずか7つ。贅沢な土地の使い方です。
梅島三環子アナウンサー
「客室に入ってみると、まずはリビングです。明るくて開放的ですね。そしてその奥は寝室。大きめのベッドが4台あっても、非常に広々としています」
さらに…
梅島三環子アナウンサー
「広々とした庭も客室専用のものです。そして、この施設の特徴は、全室にあるプライベートサウナです。この空間を貸し切りとは贅沢です」
施設を運営するのは東京に本社を置く不動産会社。県外の会社だからこそ、この土地の魅力に気づいたと言います。
SENSE‘S 井上美翔さん
「松島は日本三景としてすでに有名ですが、奥松島はまだ知られていない部分が多い。知られていないからこそ、手つかずの自然の美しさが数ある。そこを私たちの会社で、もっと観光客に来てもらえるようにしていきたいと考え、奥松島を選びました」
震災前のこの地域です。30軒ほどの住宅が並んでいましたが、津波で全てが流されました。災害危険区域に指定され、新たな住宅の建設はできません。このグランピング施設は、宿泊者への、避難場所と経路の周知が建設の条件でした。
仙台市からの宿泊客
「津波で何もなくなって、寂しい思い出よりも、子供たちが集って、楽しみになる場所になっているのはすごくいい」
仙台市からの宿泊客
「海が近く非日常的な空間という意味ですごく魅力的。(来ることで)震災の記憶を忘れないことにつながったり、防災意識も高められるきっかけになったらすごくいい」
SENSE‘S 井上美翔さん
「震災後に何もなくなってしまった土地を、震災前みたいに回復したいという思いでSENSE‘Sを建設した。住宅地だった頃と同じくらいたくさんの方に戻ってきてもらえるように、この施設を盛り上げて、たくさんの人にここを好きになってもらえたら」
野蒜地区で30年以上暮らしている櫻井けい子さん。
櫻井けい子さん
Q.津波はどのくらいまで来た?
「この柱を見てもらうと分かると思うが、あの白くなっている線、あそこまで来た」
櫻井さんは津波で全壊した自宅を元の場所で再建し、現在は、野蒜まちづくり協議会の会長も務めています。
地域の中には新たな宿泊施設が津波で被災した場所にできたことに戸惑いの声もあるとしつつ、もたらす変化に期待しています。
櫻井けい子さん
「野蒜と言えば、野蒜海水浴場があって観光地だった。それが今は少し違う方向の観光地になっている。時代の流れもあるし、みんなが受け入れないといけないのではないかと私は思う」
そう考えるのは、震災後、大きく変わった地域の姿があるからです。
櫻井けい子さん
「倉庫が残っているところに1軒、ここにも1軒、隣にも1軒、今家があるところにも2軒」
野蒜地区は、震災後、集団移転が進み世帯数がおよそ3分の1にまで減りました。
(東松島市調べ 2010年3月1595世帯・2026年2月570世帯)
櫻井けい子さん
「寂しいよね。周りもいないし、なぜいつもうっそうとしているのって。何が活性化につながるのか自問自答している。今の私たちではなく若い人たちが帰ってきて「これをしたい」という人が現れることを願っている」
町も新たな施設に期待感を覗かせます。
東松島市奥松島振興室 森祐樹室長
「民宿が40数軒あったが今は無くなって6・7軒。新たな宿泊の形で非常に期待している。新たな客層が泊まって周りのことを知ってもらえると、(町の)活性化にもつながるかと思う」
東松島市は、今年、震災発生から15年をきっかけにハード面の復興ではなくソフト面の復興に注力しようと「奥松島振興室」を新設しました。震災後の土地活用や観光振興を通して、地域のにぎわいづくりに取り組んでいます。
東松島市奥松島観光室 森祐樹室長
「隣近所にいた人が高台で生活されることに(現地再建をした人が)寂しい思いをされているのは感じます。新たな交流人口にる土地利用が進むと元のにぎわいを取り戻した安心して暮らせる町になっていくのではないかと考えています。」
震災発生から15年。にぎわいへの期待と、震災の記憶。その両方と向き合いながら、まちづくりが続いています。
