岩手県沿岸南部に位置する陸前高田市。竹駒町には奈良時代から金を産出してきたと伝わる「玉山金山」がある。その地名の由来をたどると、東大寺の大仏や奥州藤原氏の黄金文化を支えたとされる壮大な歴史が見えてくる。
長年にわたり岩手県の地名を調査している宍戸敦さんは、玉山金山について次のように説明する。
「玉山の『玉』という字は水晶を意味する。水晶が出るところには金があるといわれてきた。玉山金山は、平泉の黄金文化を大きく支えた金山のひとつだった」
玉山金山に関する史料が展示されている陸前高田市立博物館、主任学芸員の熊谷賢さんは、「玉山金山は奈良時代の天平年間(729~749年)に発見されたといわれている。ここで採れた砂金は、東大寺大仏の造営や奥州藤原氏が築いた黄金文化を支えたといわれている」と、その歴史の古さを語る。
さらに熊谷さんによると、玉山金山は豊臣秀吉の直轄となり、伊達政宗が「金山奉行」を設置し管理にあたったという。
地名の由来にもつながる「水晶」と「金」の関係について、熊谷さんは次のように説明する。
「玉山で見つかった金と水晶から、『水晶があるところからは金がとれる』といわれている。マグマによって温められた地下水が、金や石英(水晶)などを含む熱水が岩盤の割れ目で冷えて鉱脈ができる」
石英の中でも柱状に成長した結晶が水晶だ。金は石英の鉱脈に含まれることが多く、石英や水晶は金を探すための目印だった。
「石英の鉱脈の中に金が含まれている。水晶があるところからは金がとれる」と話す熊谷さん。
水晶が多く産出される玉山金山、その地名から金の産出量が多く一大金山であったことをうかがい知ることができる。
玉山金山ではかつて多くの人々が働き、集落が生まれ、この地域の発展を支えてきた。
その中心で金山の運営にあたったのが松坂家だ。
11代目の甥にあたる松坂泰盛さんは、長きにわたり玉山金山に関わる調査を行っている。
松坂家11代目の甥 松坂泰盛さん
「松坂家初代は『御金山下代』という役職を任命され、以後278年間にわたってその職務を担いました。気仙郡の管理運営だけでなく、仙台藩全体のことも見ていた。初代の時代には多くの金が産出され生活も潤っていた。2代目以降は、金鉱脈を発見するのが難しかったと記された資料もある。2代目の松坂十兵衛定成が玉山金山で働く人たちのため新田を開墾。(水田で利用するため)行燈測量で水路・堰を造った」
現在も陸前高田市竹駒町には、その功績を伝える案内板が設置され、「松坂」の名が刻まれている。
「玉山金山」という地名から見えてきたのは、一大金山として栄えた歴史と人々の営み。地名は今も、この土地の記憶を静かに語り継いでいる。
