兵庫県の斎藤元彦知事をめぐり空前の「出版ラッシュ」が起きている。
きっかけは上智大・奥山俊宏教授の本だ。

断片的な情報が溢れるなか、散らばる事実を丹念に積み上げた455ページ。彼を奮い立たせたものは何か。

■公益通報制度の専門家として向き合った“文書問題”

斎藤知事の7つの疑惑を告発した文書。
斎藤知事はすぐさま作成者の探索を命じ、西播磨県民局長(当時)によるものと判明。懲戒処分を受けた元県民局長はその後、「一死をもって抗議する」との言葉を残して命を絶った。

県が設置した第三者委員会は告発文書の配布を「外部への公益通報」と認め、探索行為など一連の兵庫県の対応は「公益通報者保護法違反」と結論付けた。

しかし斎藤知事は「対応は適正・適切・適法だった」と繰り返し、その結論を受け入れていない。

疑惑を調査した県議会の百条委員会で、公益通報制度の専門家として意見陳述をしたのが奥山教授だ。

2026年4月、問題の経緯をまとめた「兵庫県告発文書問題 なぜ日本を揺るがすのか」(岩波書店)を出版。発売直後から入手困難となる売れ行きで、増刷を重ねて発行部数は1万8000部に達した。

■「嫌がらせはあるが“反論”は来ない」

【筆者】
出版したことによって、反論や誹謗中傷はありましたか。

【奥山教授】
「インターネットも注意して見るようにしていますが、本を読んだ上での具体的な反論は全くありません。ただいくつか、嫌がらせのようなことはあります。

本を出して間もなくの頃から、『今年は誰が死ぬのかな』という内容のメールが1日に3通ほど届いています。発信元のメールアドレスは毎回変えられていて、送る人にもそれなりの手間暇がかかると思いますが、継続的に来ています。

本が出たことに触発された嫌がらせなのかなと思います」

奥山教授によると、そのメールはこの取材後も届き続け、7月29日時点で200通を超えた。

■「何が起きたのか“全体像”を後世に」

本のテーマは「公益通報者保護法」であり、“堅い内容”である。

決してエンターテイメント性があるものでもない。にもかかわらず、好調な売れ行きには奥山教授自身が驚いているという。

【奥山教授】
「この問題について研究する人や、行政の関係者などに参照されるような教科書的な本として書いたつもりでした。それが一般の人たちに多く手に取っていただいて、うれしい誤算だと思っています。

私自身は“準当事者”として、様々な個人攻撃、誹謗中傷、デマ、陰謀論の対象にもされ、大きな危機感を持ちました。これはちゃんと、どういう事実があったのか後世の人たちに分かってもらうことが必要だと思いました。

報道も含め、膨大な情報が断片的にあるが、全体像はよく分からないという状況があったと思います。
それを、セット・ザ・レコード・ストレート(事実関係の明確化)と言いますが、ちゃんと分かるようにしておく。どこにどんな一次資料があるのかを、たどっていけるようにしておく。

そのためのインデックスを作る。そういう気持ちでした」

■「知事選の返り咲きが“自信の源”に」

知事という「地方行政のトップ」が第三者委員会の報告書を受け入れないという状況をどう見ているのか。

奥山教授は、当初の斎藤知事には「説明しよう」という意思を感じたものの、知事選以降は変化したと分析する。

【奥山教授】
「知事選で一つの大きな“成功体験”を得たことによって、彼の言動は大きく変わりました。私からするとおよそ官僚的ではない、常識から外れた答弁をすることが増えています。

周りの人たちは、自分のことを褒めそやし、気持ちのいいことを口にしてくれるのでしょう。彼としては、応援してくれた人たちの期待に反するような言動・振る舞いは、もはやできないし、しないのでしょう。

日本弁護士連合会が2010年に第三者委員会のガイドラインを策定した時、その検討の責任者だった久保利英明弁護士ら3人にインタビューしたことがあります。

事業者にとって都合の悪い情報であったとしても、第三者委員会は事業者(=名目上の依頼者)から独立して、事業者を取り巻く全ての利害関係者(=真の依頼者)のために職責を果たすことが、ガイドラインの精神です。

“クライアントの利益のために働く”という弁護士の通常の仕事とは、大きく離れた仕事です。

事業者にとっては、そうした第三者委員会の結論を否定することは、公益を背負った人たちの意見を否定することに等しいので、事実上そういうことはできません。
ところが兵庫県の場合は、そういう振る舞いができています。

やはり知事選で勝利したことが、斎藤知事の“自信の源”になっているのでしょう。第三者委員会の精神や趣旨を、根本からないがしろにする行いだと思います」


■「“知事による法令違反”を繰り返さないために」

新聞記者として、企業の内部告発などを数多く取材し、公益通報制度の成り立ちも追い続けてきた奥山教授。

公益通報者保護法だけでなく、民間では会社法などでガバナンス(統制の仕組み)の改革が進んだ一方、自治体に法令を守らせる仕組みは弱すぎるのではないかと指摘する。

【奥山教授】
「民間企業、特に株式市場に上場しているような企業はこの30年、様々なルールが設けられてきました。

“会社法”が制定され、内部統制システムの構築が大きな会社に義務付けられ、“金融商品取引法”が制定され、上場企業に内部統制報告書の作成と公表が義務付けられました。さらに“コーポレートガバナンス・コード”が定められ、あるべき体制の模範が示され、それへの応答が上場企業に義務付けられました。

改革に次ぐ改革だったと言っていいと思います。それによって様々な企業や社長の不正が明らかにされ、その職を追われることが今や珍しくなくなってきています。

それに比較して、国の機関や地方自治体のガバナンスは、いまだ30年前とさほど変わっていないのではないでしょうか。法制度を民間並みに是正することが求められていると思います。

今のままだと、まさに斎藤知事のように法令違反を平然と継続することがまかり通ってしまいます。地方自治体のトップが第三者委員会に指摘されようが、国に指摘されようが法令違反を平然と続けることは、これまでは想定できない事態だったと思います。

しかし現実に法令違反状態が継続していますので、これは法制度を改善していく必要があるのだろうと思います」

■あふれる情報・“デマ”に踊らされなかった学生たち

奥山教授は現在、上智大学文学部新聞学科の学生たちを教えている。その世代は、テレビ・新聞などのいわゆる「オールドメディア」よりも、SNSに慣れ親しんでいる。

教え子たちが、ネット上のデマに踊らされることはなかったのだろうか。奥山教授に聞くと、将来への希望も見えてきた。

【奥山教授】
「高校生に接することもあります。知事選の頃は、完全に陰謀論にはまっている人や、認知が歪んでいるような人を見かけました。

『マスコミの報道を見て斎藤知事は悪い人だと思っていたが、Xの投稿やYouTubeの番組を見て、そうではないと気がついた。メディアリテラシーは大切だと思った』と、私の前で言っている若い人を見たときはちょっと驚きました。これは深刻な問題だと思いました。

上智大学の学生でSNS上の真偽不明情報や陰謀論にはまってしまう学生は見たことがありません。

あらかじめ、そういう現象があることを知識として知っておくことが、ワクチンによって免疫を得るのと同じような効果があると、近年考えられてきています。

“フィルターバブル”、“パーソナライゼーション”、あるいは陰謀論の流布のされ方、“敵対的メディア認知”とか、そういう社会心理学の用語を知っておくことが、これからの社会、特にSNSの情報環境の中で生きていくために、知識として学ぶべきことだと感じています」

例えば“フィルターバブル”は、SNSで興味のある情報ばかりを見ていると、SNS側で自動的に届く情報を選別され、似たような情報ばかりに覆われ、多様な情報に触れにくくなるという状況を指す言葉だ。

「SNS世代」でも前もって知識を得ておくことで、デマに踊らされるケースが減らせていく。

「知識を得ること」は未来への希望であるとともに、重要性が増している。

■取材を終えて…止まらぬ出版ラッシュを私たちがどう受け止めるか

告発文書問題をめぐっては、斎藤知事の定例会見に出席するジャーナリストらの共著で「兵庫県政問題 言論篇/運動篇(花伝社)」が8月に出版されるほか、苛烈な誹謗中傷の被害に遭った丸尾牧県議も「真実はどこに?兵庫県知事告発文書問題(エピック)」を9月に出版予定だ。

また斎藤知事を支持する側からは、SNSで情報を発信する東京ファクトチェック協会氏による「メディアが報じない斎藤知事の真実(Amazonペーパーバック)」が6月に出版されるなど、双方の立場から出版ラッシュが続いている。

元局長が亡くなって2年が過ぎ、SNS上には断片的な情報があふれ返っている。SNSでは網羅しにくい全体像をまとめ上げようとしたとき、「最古のオールドメディア」である書籍が着目されているのは、興味深い現象だ。

「もちろん読みませんけどね!」などと言いながら、対立する側の本を批判する動きもSNS上で始まっている。

だが、一度心を落ち着けて様々な本を読み比べ、広い視野を持ち、何が正しくて何が間違っているのか、「誤解」をなくして「理解」するきっかけにする。

それが大きく広がっていくことが、兵庫県で続く混乱に終止符を打つかもしれない。

(関西テレビ報道センター神戸支局長 鈴木祐輔)

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