7月2日夜、ロンドンで、世界有数のミステリー文学賞「ダガー賞」の授賞式が行われた。
翻訳小説部門の最終候補には、日本人ミステリー作家・雨穴(うけつ)さんの『変な絵』が選ばれた。
雨穴さんは、YouTubeのチャンネル登録者数が201万人を超える人気クリエイターだ。
ミステリー小説第1作『変な家』は2024年に映画化され、日本国内でも大きな話題となった。
今回ノミネートされた『変な絵』は、日本を含む世界累計発行部数270万部を突破。39の国と地域で翻訳出版が決まるなど、国内外で高い評価を受けている。
授賞式会場で見せたユーモアあふれる振る舞い
授賞式当日、赤い照明に包まれた会場には、ミステリアスな雰囲気が漂っていた。
招待された最終候補者たちがディナーを楽しみながら、互いに会話を交わすなかで、ひときわ目を引いていたのが雨穴さんだった。
トレードマークである白い仮面を外すことなく、授賞式に参加していたからだ。
その姿を見ながら、筆者にはある疑問が浮かんだ。「どうやって食事をするのだろうか」。雨穴さんの白い仮面には、1円玉ほどの小さな口しか開いていない。テーブルに料理が運ばれると、雨穴さんはナイフとフォークを使い、料理を小さく切り分けた。そして、口元へ運ぼうとしたが、その手が止まった。
どうやら、仮面の小さな口には入らなかったようだ。
戸惑った様子を見せた後、今度はパンを細かくちぎり、仮面の口へ押し込むようにして食べていた。
一方、グラスに注がれた飲み物は、自ら用意したストローを使い、難なく飲んでいた。
会場で見せたユーモアあふれる振る舞いを、雨穴さんは翌日、自身のSNSに投稿し、ファンの間で話題となった。
今も残るイギリスの記憶
授賞式後のインタビューでは、深々とお辞儀をした後、あの独特の高い声で丁寧に質問に答えてくれた。
「雨の多い国」として知られるイギリスだが、雨穴さんが到着した日は晴れていて、「訪れる国を間違えたのではないかと思った」と冗談交じりに振り返った。
雨穴さんにとって、イギリスは幼少期に約4年間過ごした特別な場所でもある。当時、現地で親切にしてくれた人たちのことを、今も鮮明に覚えているという。
「こちらで親切にしていただいた皆さんのことは、すごく覚えています。幼稚園の頃にお世話になった、キャサリン、ポール、あとミス・テスキー。ミセス・スチュワート」
幼い頃にイギリスで過ごした経験は、雨穴さんの人生となり、現在の創作活動の大きな土台にもなっているという。
惜しくもダガー賞の受賞は逃した。それでも雨穴さんは、自身にとって大切な場所であるイギリスで、作品が評価されたことを幸せに思うと語った。
「結果的に“おかしな格好の小説家”に…」
最後に、なぜこの特徴的な姿で活動を続けているのか、改めて聞いた。
雨穴さんは、インターネットで活動を始める際、作品を際立たせるため、自分自身の情報量を少なくしようと考えたという。
目指したのは、歌舞伎の黒衣のような目立たない裏方の姿。しかし、黒衣を自作するのは難しく、代わりに白い仮面を着けた結果、かえって目立つ現在の姿が出来上がった。
「はい。例えば『拡大コピーした生肉をベランダに干す』とか、思いつく限りのあらゆることを、この格好でやってきまして。そして、途中から小説を書くようになったんですけど、結果的に、“おかしな格好の小説家”という存在が出来上がりました」
雨穴さんは、クリエイターとして独創的な表現活動を重ね、今は白い仮面の作家として、独自の世界観を築いてきた。今後は、恋愛や政治、医療など、これまでとは異なるジャンルにも挑戦したいという。
「幸運が降りてきたら、ほかの作品でこの場所に来られたらうれしい。また来たい」
幼い日の記憶が残るイギリスへの再訪を願った。
(FNNロンドン支局 中島佑馬)

