1947年のカスリン台風、1948年のアイオン台風による甚大な水害を教訓に、国が半世紀以上かけて整備を進めてきた「一関遊水地」の運用が本格的に始まった。北上川の氾濫から市街地を守るため進められてきた大規模事業には、多くの地権者の理解と協力が欠かせなかった。水害で家族を失った住民たちは、「二度と同じ悲劇を繰り返してほしくない」と願いを託している。

50年以上かけて完成した一関遊水地

岩手県の一関市と平泉町にまたがる「一関遊水地」の本格運用開始を前に、6月21日に記念式典が開かれた。
金子恭之国土交通大臣や地域住民ら約150人が出席し、長年にわたる事業の節目を祝った。

金子恭之国土交通大臣が式典に出席
金子恭之国土交通大臣が式典に出席
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金子大臣は「一関遊水地が安全と安心をもたらし続けるとともに、将来にわたる発展の礎となることを心より祈念申し上げる」とあいさつした。

北上川治水地権者会の元会長・須藤彌志正さん
北上川治水地権者会の元会長・須藤彌志正さん

住民代表としてくす玉を割ったのは、北上川治水地権者会の元会長・須藤彌志正さん(81)。

地権者の取りまとめに長年尽力してきた須藤さんは、「50年近くもこの問題に取り組んできて、やっと終わったという感じ。大変うれしい」と喜びを語った。

戦後の大水害が事業の原点

一関遊水地の整備の原点には、戦後の大水害がある。

1947年カスリン台風の被害
1947年カスリン台風の被害

1947年のカスリン台風と翌年のアイオン台風では、北上川が氾濫。県内では死者・行方不明者が合わせて877人に上り、甚大な被害をもたらした。

1948年アイオン台風の被害
1948年アイオン台風の被害

当時まだ幼かった須藤さんは、その光景を今も鮮明に覚えている。「砕けて家が流れていくのが見えた。水の流れが速くて誰も助けに出られない」と話す。

北上川治水地権者会の元会長・須藤彌志正さん
北上川治水地権者会の元会長・須藤彌志正さん

こうした被害を繰り返さないため、1972年に一関遊水地の事業がスタートした。

全国2番目の規模を誇る遊水地

一関遊水地は、第1、第2、第3の3つの遊水地からなり、総面積は1450ha。全国で2番目の規模となる。

全国で2番目の規模の一関遊水地
全国で2番目の規模の一関遊水地

大雨で北上川が増水した際には、川の水を周辺の農地に一時的に引き込み、遊水地内に貯留する仕組みだ。

一関遊水地のイメージ図
一関遊水地のイメージ図

特に重要なのが施設を囲む高さ12mの堤防だ。150年に一度レベルの大雨にも対応できるよう整備された。
洪水時には農地が浸水する一方で、その水を遊水地内に溜めることで、堤防の外に広がる市街地への被害を防ぐ役割を果たす。

新幹線の高架が通る広大な水田地帯が一関遊水地
新幹線の高架が通る広大な水田地帯が一関遊水地

新幹線の高架が通る広大な水田地帯は、将来の洪水発生時に地域住民の命と財産を守る重要な場所となる。

約2000人の地権者との合意形成

事業は決して順調に進んだわけではなかった。

洪水時には農地が水につかることから、過去には地権者たちによる反対運動も起きていた。

地権者たちによる反対運動(写真提供:岩手河川国道事務所)
地権者たちによる反対運動(写真提供:岩手河川国道事務所)

須藤さんは父親の代から「まちを守るために」と地権者のまとめ役を担い、自身も約9年前に地権者会会長に就任。勉強会を開くなど約2000人の地権者の合意形成に奔走した。

1972年事業発表(写真提供:岩手河川国道事務所)
1972年事業発表(写真提供:岩手河川国道事務所)

須藤さんは、「皆さんにどのように理解してもらうかと、夜も昼も来てくれと言われれば回って歩いた。(水位が)ある程度の高さになったら田んぼに水を入れますという説明を続けた」と振り返る。

洪水時には農地が浸水する
洪水時には農地が浸水する

中でも困難を極めたのが洪水で農地が水をかぶった場合の国の補償だった。補償額については路線価などを基準にすると区画によって差が出るおそれがあった。

2020年地権者会と国が合意(写真提供:岩手河川国道事務所)
2020年地権者会と国が合意(写真提供:岩手河川国道事務所)

須藤さんは不平等が生じないよう国の担当者と何度も協議し、補償額を一律とする条件で、2020年に地権者会と国が合意し協定書を締結。長年の課題だった合意形成に大きな区切りがついた。

北上川治水地権者会の元会長・須藤彌志正さん
北上川治水地権者会の元会長・須藤彌志正さん

須藤彌志正さん:
一関市民を守る、命を守る、それだけでなく、田んぼをやっている人の所得も守らなければならない。うまくいったなと、みんなが悩んでいたことをまとめられて良かった。

「誰にも同じ思いをしてほしくない」

一関市に住む千葉貞子さん(86)も、一関遊水地の運用を待ち続けてきた一人だ。

千葉さんは、当時の記憶を忘れないよう写真を大切に保管している。

アイオン台風当時8歳の千葉貞子さん
アイオン台風当時8歳の千葉貞子さん

1948年のアイオン台風当時、千葉さんは8歳。自宅近くの川が氾濫し家族とともに家ごと流された。
「今の一関一高のすぐそばで堤防が決壊した。その押し水で私たちの家も流された」と当時を語る。

千葉さんは壊れた屋根に乗った状態で北上川を38km流され、翌日、宮城県登米市の岩場で奇跡的に救助された。しかし、その災害で母親と兄弟3人を失った。

アイオン台風を経験・千葉貞子さん(86)
アイオン台風を経験・千葉貞子さん(86)

「渦巻きに巻き込まれ、だめだと思ったけど、生きたいという思いがあった。もう必死で。岩場に上がって一夜過ごした時が本当に怖かった、1人だから」と話す千葉さん。

当時の恐怖は78年がたった今でも忘れられない記憶として残っている。

アイオン台風後の一関市(写真提供:千葉貞子さん)
アイオン台風後の一関市(写真提供:千葉貞子さん)

一関市のまちも一変、水が引いた後には何も残っていなかったという。

千葉さんは、「家は跡形もないし何一つ残っていない。死体がごろごろしていた」とその様子を語った。

壮絶な自身の体験を紙芝居を交えて子どもたちに語り継ぐ活動を続けている千葉さん。
「他の誰にも同じ思いをしてほしくない」ーーそう願い続けている。

アイオン台風を経験・千葉貞子さん(86)
アイオン台風を経験・千葉貞子さん(86)

千葉貞子さん:
自然の脅威というのは人間の力ではどうしようもない。遊水地を整備していただいけたのは、水害体験者としてはうれしい、良かった。

悲劇を繰り返さないための砦

戦後の大水害から78年。

多くの犠牲者の記憶と、「二度と同じ悲劇を繰り返してはならない」という切なる思いが託された一関遊水地。

北上川
北上川

住民の命と財産を守る「砦」として重大な役割を担い始める。

岩手めんこいテレビ
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