派手な衣装を身にまとったダンサーたちが、一人の男を取り囲む。「セクシーダンサーに変装したタイの警察官が容疑者を逮捕した」そんな驚きのニュースが、2026年5月、世界中を駆け巡った。
しかし後になって、この写真には、ある秘密が隠されていたことが明らかになる。実はダンサーたちは、警察署公式の“AIフェイク画像”だったのだ。
「またタイ警察か」と誰も疑わなかった
ダンサー姿の警察官が容疑者を逮捕。
そんな画像が世界中に拡散したとき、多くの人は違和感を覚えなかった。なぜならタイ警察は以前から、容疑者を油断させるための奇抜な「変装捜査」をしてきたからだ。
2026年2月には、祭り会場で「獅子舞」に変装した警察官がスリを摘発。獅子舞の中から警察官が飛び出し、容疑者を取り押さえる様子は国際ニュースとなった。
ある事件では、容疑者を誘い出すために「レスラー」姿でホテルに潜入したこともある。
クリスマスシーズンには「サンタクロース」に扮し、容疑者たちに“手錠”をサプライズプレゼント。
さらに、「草むら」そのものになった警察官が、田んぼをほふく前進しながら容疑者の自宅へ接近する捜査も話題となった。
日本人の感覚では、思わず二度見してしまうような話ばかりだ。
だが、タイでは「また変装捜査か」と受け止められるほど珍しくない。だからこそ、今回も多くの人が、ダンサー姿の警察官を「本物」だと思ったのだろう。
「実はAIで作りました」
話題の画像を公開したのは、タイ中部ロッブリー県にあるタールアン警察署だった。ダンサー警察官の謎を追うため、現地を訪ねた。
出迎えてくれたのは、画像を投稿した本人。SNS担当のラチャタさん(32)だ。
警察官として書類業務を担当する一方で、警察署の公式SNSを運営している。
取材が始まると、ラチャタさんは驚くほどあっさりと真相を明かした。
警察署の公式SNS担当・ラチャタさん:
警察官は本物ですが、実はダンサー姿はAIなんです。
逮捕そのものは事実だった。しかし、警察官たちが身にまとっていた派手な衣装は、Googleの生成AI「Gemini」で後から作り出したものだった。
世界中のメディアが報じた“セクシー”ダンサーだが、元の画像には、“ダンディー”なタイ警察官たちが並んでいたのである。
「普通の警察の写真では誰も見てくれない」
なぜ警察が、わざわざAIでダンサー画像を作ったのか。ラチャタさんは少し苦笑いしながら、その理由を語った。
警察署の公式SNS担当・ラチャタさん:
警察は怖いと思われがちなので、もっと身近に感じてほしかったんです。
タイでは近年、特殊詐欺やオンライン犯罪が深刻な社会問題となっている。警察署のSNSでは日々、詐欺グループの手口や犯罪への注意喚起を発信しているが、情報を届けることは簡単ではない。
警察署の公式SNS担当・ラチャタさん:
普通の警察の写真だと、あまり見てもらえないんです。
だからまず、人の目を止める。面白い画像で興味を引き、ページを開いてもらう。その先で、防犯情報や注意喚起を読んでもらう。ラチャタさんにとって、AI画像は単なる“ネタ”ではない。市民に情報を届けるための「呼び込み看板」だった。
実際、ラチャタさんはこれまでもスーパーヒーロー風やアニメ風の画像を投稿してきたという。
しかし今回は違った。選んだのは、タイ人なら誰もが見覚えのある伝統のバックダンサー風の衣装。狙いは的中した。
警察署の公式SNS担当・ラチャタさん:
まさか、ここまで話題になるとは思いませんでした。
想像をはるかに超える反響。タイの地方警察署が投稿した一枚の画像は国境を越え、アメリカやイギリスなどの著名メディアが相次いで報道。世界中の人々の目に触れることになった。
「世界中に知られてうれしい」
世界中のニュースサイトに自分が作った画像が載る…。日本なら、まず「炎上したのでは」と心配になるかもしれない。しかし、ラチャタさんの反応は違った。
警察署の公式SNS担当・ラチャタさん:
とてもうれしく、誇りに思っています。
そう言って、満面の笑みを浮かべた。
警察署の公式SNS担当・ラチャタさん:
私たちの警察署を知ってもらえましたし、タイという国やタイの文化も知ってもらえたと思います。
AI画像を投稿したことへの後ろめたさや、批判への警戒感はあまり感じられない。むしろ、自分たちの発信が国境を越え、世界中の人に届いたことを純粋に喜んでいるようだった。
タイ人の反応は意外にも好意的
では、地元の人たちはどう受け止めているのだろうか。ロッブリーの街で聞いてみた。
街の人は「面白いと思います」「警察が身近に感じられていいと思います」など、多くの人が警察のイメージが柔らかくなったことを歓迎していた。もちろん、手放しで賛成というわけではない。
「ちょっとやりすぎだと思います」そんな声もあった。
だが、その女性も続けて、「警察が親しみやすくなった」と話していた。
少なくとも取材した範囲では、画像の真偽そのものよりも、「警察をもっと身近に感じられるようになったか」が、評価の基準になっているようだった。
AI時代の警察広報
日本では、生成AIによる偽画像が大きな社会問題になっている。その意味では、警察という公的機関がAI画像を発信することに違和感を覚える人もいるだろう。
しかし、タイで取材した印象は少し違った。そこにいたのは、「警察をもっと身近にしたい」と考える一人のSNS担当者だった。そして、街の人たちもまた、一定の共感を示していた。もちろん、やや眉をひそめる人もいた。
それでも、ラチャタさんはこう言う。
警察署の公式SNS担当・ラチャタさん:
まずは興味を持ってもらわないと、伝えたい情報も届かないんです。
次はどんな画像を作る予定なのか。
そう尋ねると、ラチャタさんは少し笑いながら答えた。
警察署の公式SNS担当・ラチャタさん:
もう次のアイデアはあります。でも、まだ秘密です。
タイ中部の小さな警察署から始まった1枚のAI画像。その発想は、国境を越えて世界中へと広がった。
次はどんな姿で現れるのか。
ラチャタさんは、すでに次のアイデアを温めている。
(執筆:FNNバンコク支局 関隆磨)
