福島第一原発からわずか10キロ。かつて20もの窯元が軒を連ねた福島県浪江町・大堀地区は、原発事故によってその活気を失った。2023年12月に一部の避難指示が解除されたものの、故郷に戻って窯を再開させたのはわずか1軒のみ。そんな厳しい現実の中で、300年以上の歴史を持つ大堀相馬焼の窯元「いかりや窯」の13代目・山田慎一さんが、故郷の地に新たな工房を再建した。避難先での葛藤、息子の後押し、そして再び響き渡った伝統の「音」――。産地復活をかけた15年目の再出発の舞台裏に迫る。
避難先での葛藤
大堀相馬焼の伝統を守り続けてきたいかりや窯。しかし、2011年の原発事故がすべてを変えた。13代目の山田慎一さんは福島県白河市への避難を余儀なくされた。故郷への帰還を願いつつも、山田さんの心は揺れていた。
かつて山田さんは「大堀で再開したい思いはあるが、あそこでどうやって生計を立てていくのかというビジョンが全く見えない」と吐露していた。事実、一部の避難指示が解除されてもなお、福島県浪江町・大堀地区に戻った窯元はわずか1軒という過酷な状況だったからだ。
息子の言葉で再起
葛藤を抱え、一時は伝統の途絶も頭をよぎった山田さんの背中を押したのは、長男・汰一さんの強い思いだった。汰一さんは「父の生まれ故郷で再開したいという思いを聞いていた。自分自身もこちらでやりたいという気持ちが強くなった」と振り返る。
この息子の決意に山田さんは救われた。「もし息子がやらないと言ったら、ここではおそらくやれなかった」と語る山田さんは、自分の代で終わらせてしまうというモヤモヤした思いを抱え続ける中で、2025年9月、ついに故郷での再起を決意し、地鎮祭を執り行った。
15年ぶりの火入れ
2026年4月、待望の新工房が完成した。福島県白河市出身の地域おこし協力隊・柳沼知樹さんも仲間に加わり、活気が戻り始める。新しいろくろを組み立て、試作に臨んだ山田さんは「ここで作るのは15年ぶり。震災前の記憶が蘇ってくるようで感慨深い」と、懐かしい土の感触に思いを巡らせた。
そして迎えた初めての火入れの日。いかりや窯の「錨」の文字には「いかなることがあっても、流されることなくこの地に留まれるように」との願いが込められている。ガス窯には丁寧に作られた約300の作品が並べられ、汰一さんは「子供の時のように、またこうやってここで窯を焼けてうれしい気持ちでいっぱい」と喜びを語った。
蘇る伝統のひび音
焼き上がった作品を前に、山田さんは「なんとか美しく伝統的な相馬焼が焼き上がった。ここで引き続き焼き物をやっていけるという実感が湧いた」と語り、思わず「いや~良かった。とりあえず」と本音を漏らして安堵の表情を見せた。
この帰郷は大堀相馬焼協同組合の半谷秀辰理事長にとっても大きな希望となり「あちこちに拠点を移した仲間が多い中、大堀に戻って再興してくれることは我々や浪江町民にとって大きな励みになる」とエールを送る。
完成した陶器の表面に細かいひびが入る際、チリン、チリンと美しい音が響く。大堀相馬焼の象徴である「貫入音(かんにゅうおん)」だ。かつて陶芸の杜と呼ばれたこの場所に、15年ぶりにその音が帰ってきた。山田さんは「この音が大堀に戻ってきたことが本当にうれしい。将来的には、ここがまた活気と賑わい溢れる産地になれば良い」と前を見据える。
故郷に再び下ろされた「錨」。いかりや窯の新たな一歩から、次の300年へと続く伝統の火が再び灯り始めた。
(福島テレビ)

