青、白、赤、ピンク——色とりどりの鯉のぼりが、大谷川の上空を気持ちよさそうに泳いでいる。石川県珠洲市大谷町のゴールデンウィークを彩るこの光景は、約40年の歴史を持つ地域の風物詩だ。しかし2024年の元日に発生した能登半島地震、そして、その後の奥能登豪雨で甚大な被害を受けたこの場所では、以来、鯉のぼりがかかることはなかった。復活を遂げた今年、2026年のゴールデンウィーク、橋の上からカメラを向ける住民の姿が絶えなかった。「大谷に暮らす者にとっては、わくわくするといいますか、特別な感慨がありますね」——地元の住民はそう言って目を細めた。

3年ぶりに大谷川の上空を泳ぐ鯉のぼり🎏 

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大谷の鯉のぼりの歴史は、今から約40年前に始まる。当時の若者たちが結成した「一歩の会」が、町おこしを目的として大谷川に鯉のぼりをかける催しを立ち上げた。以来、毎年多くの人が大谷町を訪れるゴールデンウィークの定番イベントとして定着し、地元にとってなくてはならない行事となってきた。

2024年1月1日、能登半島を襲った大地震、そしてその年の9月に発生した奥能登豪雨で、大谷地区は甚大な被害を受けた。大谷川では復旧作業が続き、鯉のぼりをかけるための「川渡し」と呼ばれる作業も行えない状況が続いた。2024年は祭り自体が中止に追い込まれた。地域のシンボルとも言える鯉のぼりが川を泳がない春が、住民たちの心に重くのしかかった。

一歩の会の吉原忠男さんは語る。「大谷に暮らす者にとっては、わくわくするといいますか、特別な感慨がありますね。一日も早い復興を鯉のぼりに託してやっております」。その言葉には、失われた時間への悔しさと、取り戻した喜びの両方が滲んでいた。

復旧業者と地元住民が協力して「川渡し」

2026年、大谷川への鯉のぼり復活を可能にしたのは、復旧業者と地元住民の協力だった。

4月26日、大谷川では「川渡し」の作業が行われた。川にかかる支柱を設置するにあたり、工事を担う復旧業者が地元の声に応えた形だ。川の復旧工事にあたる業者の担当者は、こう振り返る。「YouTubeとか見ると、きれいに鯉がかかっている映像があったもんですから、3本でもかけられればということでお声がけしたら、みんなで『わぁ!』ってなった。熱気が伝わってくるもんですから、こっちも楽しんでさせてもらっています。」
工事が進む大谷川の上空を、約50匹の鯉のぼりが3年ぶりに舞ったのだ。

復活した大谷川の鯉のぼりを見ようと、ゴールデンウィーク期間中も多くの住民や観光客が橋の上に集まった。「地震以来初めて」——その事実が、この光景に特別な意味を与えていた。

強風で会場変更、それでも体育館に鯉のぼりが泳いだ

ゴールデンウィーク中には「大谷鯉のぼりミニフェスティバル」も開催された。当初は大谷川のすぐ近くにある海沿いの広場での開催が予定されていたが、当日は強い風が吹き荒れ、まるで「鯉の滝のぼり」のような状態になってしまったという。安全を考慮した結果、会場はお隣の大谷小中学校の体育館へと変更された。

前日から住民たちが飾り付けに奔走した体育館の天井には、青・白・ピンクと色とりどりの鯉のぼりが吊るされ、室内でも気持ちよさそうに泳いでいた。

このフェスティバルは、地震後に大谷町へ移住してきた若者たちと地元住民が力を合わせ、昨年から復活させたもの。今年で2年目を迎えた。

「手先の器用な方がすごく多くて」——地元の手仕事が並ぶ

体育館の中には様々な出店が並んだ。目を引いたのは、地元の人たちによる手作りの品々だ。
移住してきた武田典子さんは話す。「以前から手作りのものを作っている方が多かったので、こんなにたくさん集まりました」。そのひとつひとつは、少しずつ顔が異なる鯉のぼりのブローチ。祭りの日にぴったりのアイテムとして来場者の関心を集めた。
「一つ一つほんとにちょっとずつ違うので、ぜひお気に入りのものをお持ち帰りいただけたらうれしいです」と武田さんは笑顔で話した。

武田さんはフェスティバルがどんな場であってほしいかを問われ、こう答えた。「大谷に暮らしている人も、暮らしてきた人たちはここにいなくても、振り返ってねぎらい合えるような会になったらいいと思います」。かつて避難所として使われていた体育館が、華やかな鯉のぼりで彩られている——その変化自体が、復興の歩みの象徴でもある。

清水町、馬緤町——広がる輪

今年のフェスティバルで注目されたのは、隣接する地域からの参加が初めて実現したことだ。
お隣の清水町からは今年初めて住民たちが出店した。珠洲の塩田で取れた塩を使った料理を振る舞い、試食した石川テレビの稲垣真一アナウンサーは、「めちゃくちゃ肉厚で、歯ごたえもあるけど塩もいい具合に効いてますね」と声が上げていた。

清水町の出店者は地震後の現状について率直に語った。「いいところですよ。地震で家が極端に減ったけど、やっぱり同じことをね、なんじゃかんじゃ言いながら、笑いながら、失敗しながらやるのがいいですよ」。仮設住宅で暮らす住民も含め、地域のつながりを守り続けようとする姿勢が伝わってきた。

また、馬緤町からはワカメの詰め放題コーナーも登場。

このイベントをきっかけに久しぶりに大谷町に帰ってきた男性は、もともとワカメ漁に携わっていたという。現在は地震後、金沢で暮らしているが、潮風の香りとともに故郷の記憶がよみがえったようだった。「ふるさとが恋しいね。昔を思い出すわ。」と、しみじみと語った。

獅子舞、手つなぎダンス——大人も子どもも一緒に

ステージでは地元の獅子舞が披露され、会場に伝統の息吹を吹き込んだ。さらに、集まった人たちが音楽に合わせて手をつなぐダンスも行われた。地元の人も、移住してきた人も、大人も子どもも、その輪の中に加わった。

体育館の中は笑い声と拍手に包まれ、強風で海沿いの広場から会場が変更になったことなど、もはや関係なかった。地震から2年4カ月、それぞれの事情を抱えながらも、この日ばかりは皆が同じ空間で祭りを楽しんでいた。

「笑顔で終われたんで良かった」——実行委員長と移住者の思い

フェスティバルの実行委員長の酒谷空さんは涙を浮かべながらこう語った。「地元住民や地域内外の方の協力で開催できることをうれしく思います。まだまだ長期避難世帯や道路も復旧していない。地震でいろいろと辛いことがありましたが、開催できて嬉しく思います」。壇上でその言葉を口にする坂谷さんの表情は、安堵と喜びが入り混じったものだった。

フェスティバルが終わった後、参加者たちは打ち上げの場に集まり、祭りの余韻を味わった。実行委員長の酒谷さんは、「今日はまあ無事にみんな終われて、笑顔で終われたんで良かったです」——率直なその言葉が、今年のフェスティバルのすべてを物語っていた。

地震後に大谷町に移住し、昨年に引き続き地元の人たちとイベントを企画した坂口彩夏さんは、清水町の住民が初めて参加し、大谷の人たちも参加する人が増えてきていることについて、「一番願っていた事なので、みんなに感謝したいです」と述べ、大谷が「みんなで楽しく長く住み続けられる場所にしたい」と語った。

地元と移住者が肩を並べ、笑い合いながらイベントを作り上げる——その光景こそが、大谷町の今を映し出していた。

鯉のぼりに託された「一日も早い復興」

来年以降のフェスティバルについて、酒谷実行委員長は力を込めて語った。「来年以降も続けていって、いずれは元どおりの川でイベントを再開できることを願ってます」。工事が進む大谷川の上を今年は約50匹の鯉のぼりが泳いだが、いつかまた、川沿いの広場に人々が集まり、青空の下で思い切り祭りを楽しめる日を、誰もが心待ちにしている。

復旧途上の大谷川に鯉のぼりをかけることができたのは、復旧業者と地元住民が協力したからだ。清水町や馬緤町から初めて出店者が加わったのも、祭りの輪が広がっている証だ。手作りのブローチを並べた移住者も、久しぶりに帰郷して潮風を吸い込んだ男性も、ステージで手をつないで踊った子どもたちも——それぞれが、鯉のぼりとともにこの町の「今」を生きていた。

大谷の鯉のぼりは今月10日ごろまで楽しめるという。色とりどりの鯉が川面を泳ぐその姿は、一日も早い復興への願いを、春の空へと届け続けている。

(石川テレビ)

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