身近な街の話題を深掘りする「キニナル!」。富山にかつてあった「意外なあるもの」を調査しました。
富山県射水市放生津にいまも残る、戦国日本史を語るうえで重要なものとは…、富山にあった意外なものとは何か…。射水市新湊博物館で日本史に詳しい学芸員の松山さんに伺いました。
*富山県住みます芸人 吉田サラダ
「射水市に意外なモノがあったというのを聞いて来たんですけれども…姿形はないんですけれども、あっと驚く意外なもの、実はあったんです」
射水市にあった意外なものとは―?ゆかりの場所へ向かいます。
*富山県住みます芸人 吉田サラダ
「小学校?」
*射水市新湊博物館学芸員 松山充宏さん
「射水市立新湊放生津小学校になります」
*富山県住みます芸人 吉田サラダ
「グランドのところに」
*射水市新湊博物館学芸員 松山充宏さん
「そうです」
こちらはグラウンドのすぐそばになります
*富山県住みます芸人 吉田サラダ
「ここに意外なモノ?城址?城跡っていうこと?」
*射水市新湊博物館学芸員 松山充宏さん
「ここは放生津城というお城があった場所」
*吉田サラダ
「ここにあった放生津城が意外なモノってことですか?」
*松山充宏さん
「いいえ、違います。富山県内に城跡は他にもいっぱいある」
*吉田サラダ
「そうですよね」
*松山充宏さん
「この城跡だけは全然違う。他の城とは比べ物にならない」
さらなるヒントを求め、内川にかかる橋へ。
*吉田サラダ
「銅像?」
*射水市新湊博物館学芸員 松山充宏さん
「勇ましい武将の銅像ですけれども、今から500年前の室町幕府の将軍だった足利義材という人」
*吉田サラダ
「足利義材?」
この銅像は室町幕府の第10代、足利義材(よしき)将軍。
*松山充宏さん
「この人、どんなことした人かちょっとここに書いてありますさっと見てもらっていいですか?明応7年に期を得て、放生津を出陣するまで、この地で越中公方政権を樹立した」
*吉田サラダ
「越中公方、政権?」
*松山充宏さん
「政権。今でもほら、内閣何とか政権とか」
*吉田サラダ
「言います。えっ?幕府?」
*松山充宏さん
「中央政府である幕府が、この射水市の放生津に500年前あった」
吉田サラダ
「えー!」
*松山充宏さん
「それが正解です」
*吉田サラダ
「幕府!?幕府がここにあった?」
*松山充宏さん
「富山県にあったんです。そういう時代がありました」
そのことを示す資料を見せていただきました。
*射水市新湊博物館学芸員 松山充宏さん
「とても大事な」
*吉田サラダ
「昔の地図ですかこれ?」
*松山充宏さん
「放生津小学校のグラウンドの下にこの状態で現在も眠っている。足利義材将軍が放生津に来た時に、武家御幡(ぶけみはた)という旗を立てたお城の跡になる」
*吉田サラダ
「なんで将軍がこっちに来たんですか?」
*松山充宏さん
「これには大きな事情がありまして…」
今からおよそ530年前。
室町幕府を二分する「明応の政変」が起きました。
当時、第10代将軍だった足利義材が、時の権力者たちの策略により捕えられ、弱冠12歳だった足利義澄が強引に擁立され第11代将軍に!
京都を追われる格好となった義材将軍は、越中守護代を務める武将神保長誠を頼って、現在の射水市、放生津へ。
そして、放生津城を拠点におよそ5年間に渡って、放生津幕府を樹立。
武家御幡を立て、自分が正統な将軍であることを公に示しました。
*射水市新湊博物館学芸員 松山充宏さん
「その結果、室町幕府が京都と越中放生津に分裂した」
*富山県住みます芸人 吉田サラダ
「ダブル幕府?」
*射水市新湊博物館学芸員 松山充宏さん
「ダブル幕府、ダブル将軍」
*吉田サラダ
「そんな時代あったんですか?」
*松山充宏さん
「まさに戦国時代」
ダブル幕府・ダブル将軍時代はおよそ5年続いたそうで…
*松山充宏さん
「放生津という港町は、東日本と西日本を結ぶ陸路も通っていて、また日本海も行き来する港でもあったので、情報や物やお金がいっぱい集まる場所だった。そういう場所を見据えて義材さんがやってきた」
*吉田サラダ
「ここだといいぞ!っていう。すごいですね」
義材将軍が再び京都へ戻るために、力を蓄えたとされる越中の地。放生津幕府は、長い間歴史の中に埋もれてきましたが日本史を語る上で重要な幕府だったと言えます。
*射水市新湊博物館 学芸員 松山充宏さん
「戦国日本史は非常に注目されている。不撓不屈の足利将軍が注目されている。天下を狙った場所が富山県射水市にあった。歴史の聖地になっている」