5年間に及ぶ『英彦山神宮』の再建プロジェクトが、ついに最終章を迎えた。

度重なる大雨や台風で倒壊の危機に

福岡・添田町に聳える英彦山。その山腹に英彦山神宮は鎮座する。

中世以降、修験道の道場『英彦山大権現』として栄え、明治時代の神仏分離令によって神社となり、1975年に全国で3番目となる神宮に改称された格式高い神社だ。

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5年前の2021年、第33代宮司の高千穂秀敏宮司(当時71)に2時間の"登山”の末に案内してもらった場所が、標高約1200メートルの英彦山の山頂に建つ『上宮』だった。

“神の山”と称される英彦山の本殿だ。

しかし高千穂宮司が案内した上宮は「一昨年(2019年)の災害で全部、吹っ飛んで壁が大きく剥がれていますね。そこには窓があったんですけど…、吹っ飛んで…」と無残な姿を晒していた。

「この次、大きな台風が来た時は、倒壊ですかね。涙が出そうですよ、これ見ると…」と高千穂宮司は沈鬱な表情を浮かべていた。

約200年前に建立された上宮は、度重なる大雨や台風で倒壊の危機に直面していたのだ。

更に「本来は、御神体がこの鏡のなかに入っとるんです。けど、いまもう全部、下ろしてしまって、神様はいない」と高千穂宮司はため息まじりに話していた。

「早くここに神様を戻さないかんです。戻したいです」。高千穂宮司の思いは切実だった。

5年間 閉ざされていた“神の山”の頂へ

高千穂宮司は、大規模な修復工事を決断。その費用は、約7億円。国や県の補助だけでは賄えず、全国に寄付を呼びかけた。

2023年4月、修復工事がスタート。屋根に開いた穴には、新しい板を取り付け、ひとつひとつ叩いて音を確かめながら使える木材は再利用するなど何とかやりくりをして工事を続けた。

2024年、2025年と浩司は続き、延べ8600人の職人の技術を結集。御神体を安置する頑丈な上宮を造り上げていった。そして―。

2026年3月21日に迎えた遷座祭。

山の中腹の社殿から2キロ登った先にある上宮まで、御神体を載せて運ぶのは、総重量100キロを超える神輿なのだ。

午後8時。夜の山に響く法螺貝の音とかけ声。神輿の担ぎ手は地元の神輿会のメンバーなど約60人。暗闇のなか、重さ100キロを超える神輿が動き始める。

目指すのは5年間、閉ざされていた“神の山”の頂だ。

登るだけでも息が切れる険しい山道を、有志たちが神輿を担いで山頂を目指す初めての挑戦。急斜面に差し掛かると各々の表情に緊張が走る。暑さと疲労がメンバーを襲う。

そして出発から2時間30分。静かに神輿が置かれた。

5年ぶりに御神体が上宮へ戻ってきたのだ。

「次の世代に送れたというのが…」

神輿の担ぎ手の1人は「凸凹道だし、鎖場みたいなところもあるし、神輿で担いで行くというのが、考えられないくらい大変だった。一致団結して登り切ったなという感じがして、すごい思い出に残りました」と山道を振り返る。

また別の担ぎ手の1人は「英彦山の歴史の重さですよね、その辺を改めて感じさせてもらったかなと。この場に立ち会えたことが私の人生の糧になると思っています」と感慨深げだった。

5年に渡るプロジェクトを見守ってきた高千穂宮司。「これで次の世代に送れたというのが一番、安心しています。ホッとしています。やっぱり1人の力じゃどうしようもありません。この建物とか英彦山の歴史を守って頂くのが、使命かなと思っています」と疲労が滲むなかにも満足な表情を浮かべていた。

上宮の倒壊の危機を多くの人の思いと技術で乗り越えた英彦山神宮。“守り継ぐ”とは、建物だけでなく、その場所に込められた祈りや記憶を次の世代へ繋ぐことかもしれない。

(テレビ西日本)

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