特集は、シリーズ『熊本地震10年 あの日を忘れない』です。熊本地震で急遽避難所となった、益城町のホテル「エミナース」当時家族で避難していた少年が奏でるギターのメロディーが疲れた人々の心を癒しました。少年は青年となり、いま東京で夢を追いかけています。熊本地震と10年の月日が彼にもたらしたものを取材しました。
東京、自由が丘。都会の古着店で働く一人の青年を訪ねました。
【益城町出身 鍬野侑大さん】
西(おススメのコーディネイトありますか?)
「そうですね、おススメだと・・・」「デニムのジャケットとキャップだったり。」
「80~90年代のファッションに近づけられるかなって思います。これ僕も大好きで。」
益城町出身の鍬野侑大さん。
彼と出会ったのは10年前、熊本地震で避難所となった益城町のホテル「エミナース」でした。
【益城町出身 鍬野侑大さん】
「ここから俺どうすればいいんだろう?みんなどうなっていくんだろう?みたいな・・・。」「夢とか希望とか、これからのこととか。どうすればいいんだって。
全て崩れ落ちた気持ちをいまでも覚えています。」
この当時15歳。
高校に入学してすぐ地震に襲われる中、被災者を元気づけようと動きました。
相棒はホテルで見つけたアコースティックギター一本です。
【鍬野さん歌唱】
「『海の声』を歌います」
「♪空の声が聴きたくて、風の声に耳澄ませ・・・」
エミナースは民間の施設ですが、地震後の混乱の中、多くの避難者が殺到。
ホテル側の好意で500人を超える人を受け入れ、のちに益城町から正式な避難所に指定されました。
運営にあたった総支配人の橋之口茂さん。
ホテルの廊下にまで避難者があふれていたことを振り返ります。
【ホテル エミナース 橋之口茂 総支配人】
「頭の中はパニックですよね。ただ、避難者が来られるとそれに対して受け入れを、
サービス業やっているので(しないといけない)」
ホテルスタッフの頑張りに加え、ほどなく福岡から飲食店経営者が炊き出しにかけつけます。
【福岡で飲食店経営 松林幹雄さん】
「おいしい、大丈夫。」
ボランティアとして約2カ月間も食事を提供するなど多くの支援が被災者を支えました。避難住民も清掃などを自主的に行うようになり少しずつ生活の再建へ動きだせたと言います。
【ホテル エミナース 橋之口茂 総支配人】
「重要なのは人と人のつながり、コミュニケーション。そういったものが普段からきちんととってあってそれが有事の際には力を発揮するんだなというのはものすごく勉強になりました。」
【感想話す女性】
「涙が出たよ」
【益城町出身 鍬野侑大さん】
「地震でつながった人たちやボランティアを通して、人が人と助け合うことをあのときに覚えたので。やっぱりそれが今につながっているのかなって。」
避難生活で疲れた人の心を癒したこの体験が鍬野さんの将来を決めました。
一人でも多くの人に元気を届けたい、そんな思いから東京で俳優の道に進み稽古に励む日々です。
【益城町出身 鍬野侑大さん】
「あのときエミナースでギターを弾いて喜んでる人を見て僕もすごいうれしくて。」
「積み重ねてきたものがあって今があると思う。そういう10年間だったと思います。」
【東京・中央区 京橋プラザ区民館】
【俳優 鍬野侑大さん】
「おはようございます」
この日は、4月に出演する舞台劇のための稽古。
同じ20代の役者たちとともに奮闘する毎日です。
【鍬野侑大さん】
「敵ってお前、それじゃまるでこの仕事や俺らが敵みたいじゃん。」
【松尾葵さん】
「やりません、参加しません。てか、辞めます。」
【鍬野侑大さん】
「お前、マジでさ。」
【戸田勇さん】
「泉さん、自分が何言ってるかわかってる?」
【鍬野侑大さん】
「それこそ逃亡でしょ。」
【松尾葵さん】
「要は結婚すりゃいいんだろ?ああいいよ、結婚してやるよ。結婚、結婚、結婚してやる!」
【俳優 鍬野侑大さん】
「僕の普段のキャラクターと真逆なこともあるし。相手に対して『お前』って言わない。言うことが少ないと(自分では)思うので。」
役作りや演技を学ぶ中で「表現する」という答えのない世界と格闘しています。
【俳優 鍬野侑大さん】
「最終は映画俳優になることを目標に映像演技の勉強をやってるんですけど。」
「『この人おもしろいな』とか 『元気出た!』って思ってくれる人がいたらいいなって思います。」
熊本地震を通して成長してきた一人の青年。
舞台やテレビを通してふるさとに元気を届けるその日まで自分の夢を追い続けます。