シリーズ『熊本地震10年 あの日を忘れない』。今回は熊本市に住む肉牛の繁殖農家牛島誠二さんの10年です。熊本地震で家を失ったことをきっかけに牛舎に寝泊まりして牛の世話をする暮らしを続けています。80代になった牛島さんの今を追いました。
【2016年 熊本市南区城南町】
10年前、約40頭の牛を飼っていた牛島誠二さんは熊本地震で自宅が全壊しました。それだけではなく、牛舎もスレートぶきの屋根が落ちるなど被害に遭い、当時、臨月を迎えていた牛は数日後に分娩したものの、揺れの衝撃によるストレスからか死産しました。
【牛島 誠二さん(当時72)】
「事故を起こすわけにはいかん。お産でも死なせたらいかん。ましてや震災があって必要な資金繰りを確保するためにはここ(牛舎)におって、夜中でも牛の鳴き声がしたら起きて見に行かないと」
牛島さんは、この牛舎で受精卵移植などを行い、無事に子牛を出産させ出荷する仕事をしています。
妻を病気で亡くしている牛島さん、それまで一緒に暮らしていた娘たち家族は仮設住宅に入居しましたが牛島さんは牛舎の管理室で一人、牛とともに暮らすことを決めました。
【2016年 牛島 誠二さん(当時73)】
「〈辞めようかな〉と言った時点から気力とか張りとか夢とか情熱とかが衰える。それが牛の状態にうつっていく。そういうことはしたくない。最後の最後まで、自分で最善を尽くして譲り渡す」
(牛舎で妻との写真の前でご飯を食べる牛島さん)
(解体した自宅の風呂釜を取り付け『牛舎風呂』に入る牛島さん)
【牛島 誠二さん】
「きょうも一日無事に終わったなぁ。牛も事故なく自分も何とかそれなりに過ごせたなぁと思いながらね」
【2026年3月】
熊本地震から10年、82歳になった牛島さんは今も牛舎の部屋で寝泊りを続けています。
【牛舎の部屋で牛島誠二さん(82)】
「ここは一番いいな。牛のお産がいつあるか分からんから」
Q生活は快適ですか?
「快適ですよ」
Q快適?
「自由だから」
この日、牛島さんはメスの子牛を競りに出すことにしていました。メス牛は繁殖農家の牛島さんにとって子牛を産んでくれる大切な存在。でも、このところは資金繰りが苦しく、売ることを決めました。
【競りへ向かう車内 牛島さん(82)】
Q家畜市場には顔なじみの方が?
「うん。しかし、もう私が最高齢ぐらい」
熊本県畜産農協によりますと、県内の組合員数は熊本地震が発生した10年前と比べ685人減少し2000人を切っています。
【競り】
(牛島さんのメス子牛は78万6000円で落札)
【牛島さん】
Q資金繰りもあってメスを出すことになったが。
「まぁ、これで不足はないです。牛が高く売れるのを目的に受精卵移植をしたり、種を付けたりしよるからね。だから、ここで市場評価がどうなのか勉強せにゃいかん」
4月1日、牛舎を訪ねると、牛島さんは水道管の修理に追われていました。
【牛島さん】
「きのう、牛が飛び出して壊した」
現時点で牛島さんに後継者はいません。
(水道管を自力で直す牛島さん)
80代の今も牛島さんは試行錯誤を続けながら、10年前よりも多い60頭ほどの牛を飼っています。
【牛島さん】
「やる気を続けて次の人に牛をバトンタッチしたい。もう辞めるってなったときから気力が続かんようになる。気力が続かんと、それは牛に影響してくるから、それだけはしたくない」
牛島さんは今も変わらない気持ちで、牛と向き合っていました。
【牛島誠二さん】
「震災を越えたんだから、いろいろな人に助けてもらって見守ってもらってありがたい。人生最後ニッコリ笑って死にたいなというのが目標」
牛島さんは、まだまだ牛舎暮らしを続けるつもりです。
熊本地震後、畜産農家が減少する中、私たちは牛島さんのような方々のおかげでおいしいお肉をいただくことができていることを忘れてはいけないと感じます。