「子供たちに母の味を残したい」。難病を抱え、キッチンに立つことができなくなってしまった1人の母親が、愛する子供たちのために残す、“命のレシピ”とは…。
3年前にALSの診断
素朴な天然木で作られた、三段重ねの「お重」。

かつて、この重箱には、母渾身の料理がぎっしり詰まっていた。

蓋を開けたとき、家族がビックリするように…。
食べた時、子供たちが笑顔になるように…。
しかし、そんなお弁当作りが生き甲斐だった彼女はもう、台所に立つことさえできなくなった。

はらだまさこさん、45歳。
病名が分かったのは3年前。難病の「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」だった。

歩くことも、手を使うことも、喋ることも難しくなり、やがて呼吸するために使う筋力すら低下する。
そんな彼女が、愛する2人の子供のため、どうしても、残しておきたいものが完成し、この日、自宅に届けられた。
はらだまさこさん:
わぁ…(笑顔)。

「もしもキッチンに立てたなら」というタイトルのレシピ本。
そこには、まさこさんが得意だった、目にも鮮やかな料理の数々があった。

家族で取り合いになったカリカリのハーブポテトフライに、息子が独り占めしようとしたキャベツぎっしりの餃子などが並んでいる。

「もしもキッチンに立てたなら」より:
「母親として、わたしは何ができるんだろう」
「子どもたちに、何を残せるんだろう」
悩み続けた先に、わたしはひとつの答えにたどり着きました。それは、レシピ本を残すこと。
本を見たまさこさんは「もう、感無量。うれしいです」と話す。
これは1人の母親が、愛する子供たちに残した「命の記録」である。
幼い頃の「運動会の記憶」
幼稚園から帰ってきたのは、長女のリンちゃん。
水筒を置くと、早速、用意されていたおやつを手に向かったのは、お母さんの横だった。
小さな手で一生懸命、フタを開けると、まずはお母さんに一口。
自分が飲むのは、それからだ。
──リンちゃんにお母さんの味、まさこさんの味の記憶はある?
はらだまさこさん:
うーん…多分、ないかな…。
まさこさんが体に異変を感じ始めたのは、リンちゃんが生まれた頃だった。
寝ていると、すぐに足がつり、何もない場所でつまずくようになった。
当時、まさこさんは、得意の料理を小さな喫茶店でも振る舞っていたが、それさえもままならなくなっていく。
そこから先の顛末は、レシピ本に添えられたエッセイに綴られている。
「もしもキッチンに立てたなら」より:
「いろいろ検査してみましたが、やはりALS、筋萎縮性側索硬化症でした」
その言葉を聞いた瞬間涙がとまらなくなりました。
正直、それ以降のことは鮮明には覚えていません。
右側に座っていた夫が、言葉が出ないわたしの代わりに 静かに「わかりました」と言ってくれていました。

以降、まさこさんは「どう生きたらいいのか」「どう前に進めばいいのか」を考えてばかりだったという。
「もしもキッチンに立てたなら」より:
ALSは「体が少しずつ、自分のものじゃなくなっていく病気」です。
とても怖いし、悔しいし、しんどい。
「このまま生きていていいのかな」
元気なときのわたしじゃ 浮かびもしないような考えが頭をよぎるのです。
「生きていていいのか…?」
そこまで追い詰められても、毎日は残酷に過ぎていく。
長男・タカラくんの、小学校最後の運動会。
車椅子の母親は一人だけだった。
「もしもキッチンに立てたなら」より:
悲しさや虚しさが静かに胸に広がっていました。
してあげたいことは山ほどあるのに、思うように叶えられない。
そう考えたのは、自分が幼い頃、こんな思い出があったからだ。

「もしもキッチンに立てたなら」より:
わたしにとって運動会といえば、何よりの楽しみは母が作ってくれたお弁当でした。
エビフライに唐揚げ、卵焼き、タコさんウインナー。そんな お重いっぱいのごちそうを作るために、母はまだ空が暗い時間から台所に立っていました。
揚げ物の音と香りが寝室まで届き、その日だけは自然と目が覚めたのをよく覚えています。
「美味しい」という記憶を形に
そんな家族の思い出をともにした、まさこさんの妹・みちこさんも 「その楽しかった記憶が、自分も親になって、またお重を囲んで楽しい記憶を自分の家族で作りたいっていう思いがあったんだと思います」と語る。

だからこそ、まさこさんは…。
「もしもキッチンに立てたなら」より:
息子が幼稚園に通う頃、同じ〝わくわく〟を感じてもらいたい一心で、お重を買いました。

そしてまさこさんは、そのお重にありったけの愛情を詰め込んできた。
運動会にピクニック、そして、なんでもないお散歩の時も…。
そんな暮らしを続けてきたからこそ、まさこさんは息子の運動会で、こう気づいたのだ。

「もしもキッチンに立てたなら」より:
「できなくなったことの中で、一番つらいのは何だろう?」
答えはすぐに浮かびました。
「キッチンに立てなくなったことだ」
もう一度、キッチンに立ちたい。この手で子どもたちのお弁当を作りたい。
そう、まさこさんのキッチンは、あまりに特別だった。

まさこさんの妹・みちこさん:
電子レンジがない、炊飯器がないので、「温めどうするの?」とか、ご飯毎回土鍋で炊くっていうのも衝撃でしたし。
フライパンも鉄のフライパンだし、銅の鍋だったり。まず使い方がわからない。
マヨネーズもドレッシングもケチャップも手作りですね。
それほど、こだわってきたからこそ…。

「もしもキッチンに立てたなら」より:
悩み続けた先に、わたしはひとつの答えにたどり着きました。
それは、レシピ本を残すこと。
わたしの味、「美味しい」という記憶を形にできたら。そう思った途端に、心の底から情熱が湧いてきたのです。
一度は、「生きていていいのか」と悩むほどだった心にもう一度、炎が灯った。
音声認識ままならず…友人たちが協力
始めは、レシピも指先で入力できていた。
しかし、その様子を見つめていた友人の田中文さんは言う。

まさこさんの友人で口述筆記をした田中文さん:
だんだんスマホが使えなくなって。まっすぐしておくのが難しいらしいんですね。
そうすると、関節で打つしかないんですよね。
病の悪化とともに、入力は、指先から第二関節へ。
最後は音声認識を試してみたが、今度は喉の筋力が衰え…。
まさこさんの友人で口述筆記をした田中文さん:
声を認識してくれなくなるので、認識してくれないスマホに頭にきて、こう投げ捨てるらしいんですよね。
指でもダメ、音声認識でもダメ…。時には、スマホを投げ捨てることもあったというまさこさんだったが…。
「もしもキッチンに立てたなら」より:
わたしはスマホに向かうことをやめられませんでした。
いつの日か、タカラやリンがこのレシピを手に、料理をしてくれる日が来るかもしれない。
そのときに わたしが側にいなくても、味や記憶を思い出しながら、わたしの「母の味」を再現してくれるかもしれない。

そんな彼女の執念に応えたのは、まさこさんのママ友や、喫茶店の常連たちだった。
あの、小さな喫茶店に、10人以上の友人が集まり、まさこさんのレシピを再現したのだ。
集まりは、本が完成した今も変わらず続けられている。

まさこさんの友人・太田香さん:
やっぱり私も、普段(の料理は)本当に何も考えずに、いかに手を抜くかとか、めんどくさいなって思いながら、日々こなしていたことを改めて、ありがたいことなんだなっていうふうにかみしめながら…。
丁寧に料理することが、いかに楽しくいかにありがたいことなのか。
忘れかけていた、そんな思いをまさこさんが教えてくれた。
「母の記憶」と「祈り」
今、反抗期真っ盛りだという長男のタカラくん。
小学校4年生の時、まさこさんに手渡したのは、「ままに作ってほしい食べ物図鑑」という手書きのリクエストノートだった。

みな、わかっているのだ。
元気だった頃のママが、いかに、大切に、丁寧に自分たちのご飯を作ってくれていたのかを…。

けれど、リンちゃんだけは唯一、ママが元気でキッチンに立っていた姿を知らない。
物心つく前から病が悪化してしまいリンちゃんだけには、本当のママの味を食べさせてあげることが出来なかったのだ。
けれど、まさこさんの妹が、教えてくれたのは…。

まさこさんの妹・みちこさん:
確かに記憶はないと思います。記憶はないけど「これママのレシピだよね」とかって言って食べてます。
(Q.ママの味っていうのはわかるってことですよね?)はい。「自分が大きくなったら、ママのレシピはリンのレシピにするね」って言って、「リンがもらうね」って…。
ママから、子供たちへ…。
そんな願いを込めて、出版されたレシピ本が3月16日、まさこさんの自宅に届いた。
──子供たちに一番作りたい料理は?
はらだまさこさん:
やっぱり、お弁当。
そう、その本には、2人の子供への思いが、びっしり書き込まれている。
「もしもキッチンに立てたなら」より:
わたしの病気が良くなって、この手でもう一度キッチンに立てるとしたら──
その朝、わたしが一番に作るのは、タカラのお弁当です。
わたしにしか作れない、わたしらしいひと箱を、胸を張って持たせてあげたい。
そして、ママの手料理の記憶がないリンちゃんには…。
「もしもキッチンに立てたなら」より:
最初にリンに作ってあげたいのが「リンの好きなサンドイッチのお弁当」。
お手製のフォカッチャに、グリルした色とりどりの野菜を挟む。ちょっと手間のかかるパテ・ド・カンパーニュも、前日から仕込んでおいて。
少し大人の味だけれど、リンならきっと大丈夫。青空の下でお弁当箱を開けた瞬間、わたしを見て満面の笑みを浮かべるリンを思い浮かべると、必ず叶えてみせよう、と元気が湧いてきます。

「レシピ」は、ただの分量表ではない。
そこには、「母の記憶」と「祈り」そして、「母のいのち」までが刻まれている。
(「Mr.サンデー」3月22日放送より)
