原爆投下後の広島と向き合った被爆者・森重昭さんその足跡を振り返ります。

2016年、現職の大統領として初めて広島市の平和公園を訪れたオバマ元大統領。
演説後、歩みより抱き寄せたのが亡くなった森重昭さんでした。
半世紀にわたりたった一人で、原爆で亡くなったアメリカ兵の遺族を調べ、交流しました。

【森 重昭さん】
「私の名前は森重昭と申します。爆心地より2.5キロ離れた己斐町の橋の上で被爆しました」

8歳のときに経験した忘れられない記憶。

【森 重昭さん】
「胸が裂けています。中から飛び出した内臓。付近の倒壊した建物の下から『助けてくれ、助けてくれ』という声があちこちから聞こえました。原爆はまさに死神そのものでした」

のちに会社勤めをしながら、被爆した己斐の町の被害調査を独自に始め「アメリカ兵も原爆で犠牲になっていた」という証言を聞きます。

「捕虜兵が味方の落とした原爆の被害にあっていた」その事実は、長年公表されず、家族にも伏せられてきました。
森さんは、独自に調査し手弁当で遺族を探し出し、交流を続けました。

森さんが遺族に代わり、申請を行ったことで亡くなったアメリカ兵の名が原爆死没者名簿に記され、慰霊碑に納められました。

【森 重昭さん(当時58歳)】
「たった一人の名前ですけれども、私にとっては本当万感の思いがする」

平和公園の追悼平和祈念館には、12人のアメリカ兵の遺影がおさめられていますが、これは40年近くをかけ森さんが遺族を探し登録したものです。
被爆当時、捕虜がいた場所に追悼の銘板も建てました。

【森 重昭さん】
「いち被爆者として二度と核が使われることのない世界の実現のために努力したい」

2016年、オバマ元大統領からその地道な活動を称えられ注目された森さん。
晩年、その功績が認められ数々の賞を受賞しました。
88歳になってからも亡くなる直前まで調査を続けた森さん。

【森 重昭さん】
「あと2人だけね。長崎で被爆したオランダ兵ですけど。遺族がまだ見つからないんですよ」

その思いをつないでいほしいと呼びかけていました。

【森 重昭さん】
「2人の遺族を見つけることに協力していただけたら大変うれしい」

被爆80年に寄せてメッセージを残していた森さん。

【森 重昭さん】
「平和が一番!原爆を使わせるような戦争はもう二度とないことを願う。核兵器の恐ろしさを知ることです。それ以上はありません。これを後世の人に知ってもらいたいとつくづくそう思います」

テレビ新広島
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