「政治はテレビの中の世界。特別な人が関わる場所だと思っていました」
寺前ももこ東京都議は、都議になる直前までの自分をそう振り返る。子育てと日々の生活で手いっぱいで、政治と暮らしが結びついている意識すら薄かったという。
政治家のキャリアは、区議・市議などの地域の自治体の議会から段階を踏む例が多い。
だが寺前氏は、その“階段”を使わずに最初から東京都議会を目指した。区議・市議を経ず、初めての選挙で都議選へ挑み、2025年6月の東京都議会議員選挙(日野市選挙区)で初当選。
いわば「飛び級」だ。
3児の母 保育料は月18万円
政治との距離が変わったのは、教員として「学校が合わない子ども」が少なくない現実に直面したことだったという。
「自分のクラスだけは変えられても、学校全体は変えられない」
規模の壁を感じ、2023年3月に教員を退職し、個人塾を経て、2023年10月には、フリースクールを立ち上げた。
だが、現場に立つほど、志だけでは埋まらない“制度の段差”が見えてきたという。
学校なら大きな費用がかからないのに、フリースクールに通うには負担は避けられない。前都議が現場を訪れ、東京都のフリースクール支援(月2万円)の話をしてくれたとき、寺前氏はこう思ったという。
「政治ってこういうことなんだ」

もう一つの原体験は、3児の母としての家計の現実だ。保育園に3人を預けていた時期、保育料は1人月6万円、3人で月18万円。「給料のほとんどが保育園代に消えていく」感覚があったという。
無償化で負担がゼロになった実感があるからこそ、「3人いても幸せだよと言える社会にしたい」という言葉には、経験に裏打ちされた強さがあった。
背中を押した夫の言葉「人生1回」
とはいえ、初の選挙で都議選に出る決断は簡単ではない。
声がかかったのは2025年2月。投開票の6月まで約4か月しかなかった。
必要な票の規模、知名度の立ち上げ、資金の工面…すべてを同時進行で進めても間に合うかわからない中、選挙費用は約500万円で大半は自腹。
「落選すれば借金」と迷う寺前氏の背中を押したのは夫のこの言葉だったという。
「人生1回しかない。行くしかないんじゃない」
では、なぜ“飛び級”でも勝てたのか。取材のなかで見えてきた要因の1つは、短期決戦の空白を埋める“信頼の貯金”だった。
まず、寺前都議には、選挙の「せ」の字も意識していないころから、フリースクールや子ども食堂を通じて、子育て世代や地域の人と顔の見える関係が育っていた。
だから、出馬を告げたとき「思っていたより早かった」と言われるほど、周囲に“予感”があった。ボランティアは約100人に上り、「お母さんを代表して出てくれてありがとう」と言われたという。
選挙目的ではない地域活動が、積み重なることで“信頼の貯金”となり、初選挙で初当選につながった。取材からはそんな構図が見えてきた。
街頭演説で抱きつかれることも
しかし、候補者として走り出して初めて見えた壁もある。
街頭では威圧的な言動や、動画撮影を迫られる場面があり、警察沙汰になったこともあったという。握手の距離が異様に近い、肩を触られる、抱きつかれる。
これまで経験したことのない事態に、寺前氏が「1人で立つのが怖くなった」と周囲に打ち明けると、以降は、誰かが街頭演説に必ず付き添ってくれるようになったという。
逆風を根性で受け止めるのではなく、現実的な段取りに落とし込む。政治の入り口の見落とせない現実だ。
当選後の“壁”と強み
当選後、寺前都議は文教委員会に所属した。だが、議会は午後1時開始が基本で、夜11時に終わる委員会や、8時間連続で休憩がほとんどない日もあった。
オンライン出席は認められず、子どもの発熱でも簡単に休めない。
寺前都議は「それが普通であってはいけない」と話し、子育て世代だけでなく、家族の介護を担っている人、障害のある人も参加できる議会にすべき、と制度改正への思いを滲ませた。
一方で、地域活動で、制度のねじれに何度も直面してきたことは、むしろ強みでもある。
教員退職後に開始した子ども食堂は、大人300円・子ども無料で、月1回100人が集まる。
所在地の市から「1回1万円」の補助が出るものの、参加した大人の人数に応じて差し引かれ、毎月の収支報告など書類も分厚い。
「支援って何だろう」
現場のこの“手触り感”が、具体的な制度設計を考えるうえで重要なのだろう。
罪悪感…長女代筆の置き手紙に涙
これまで多くの女性議員を取材してきて痛感するのは、選挙や政治活動において「母であること」は強みである一方、罪悪感との闘いでもあるということだ。
寺前都議は選挙中に「子育て中なのに議員だなんて」「だんなさんが理解があるからだよね」「まだ子供が小さいのに」といった声を受けたという。
「悪意はないのでしょうけれど、女性の政治参加を特別視していて『男性しかできない仕事』という見方は根強いと感じました」と話す。
その一方で、寺前都議は「母でなかったら選挙に出ていませんでした。母だから、我が子以外の子ども達も守っていきたいです」と力強く語った。
それでも、朝、家を出るたび未就学児の2人が「ママ、行かないで」と泣く姿や、子ども達の寝顔を見て、涙が出ることもあるという。だが、家に帰るとテーブルには置手紙がある。
「今日もお仕事頑張ってくれてありがとう」
字を書けない末っ子の分まで、9歳の長女が代筆しているという。
「長女は下の子をお風呂に入れてくれ、『ママゆっくりしてていいよ』と言う日もあり、胸が締めつけられるほど愛おしく、同時に罪悪感も消えません」と涙を浮かべた。
政治は毎日の延長線上 暮らしの言葉が票に
それでも翌朝また仕事に向かわなくてはならない。3人の育児は夫だけでなく、同じく3人育児の友人が子どもを預かり寝かしつけまでしてくれることもあるという。
政治参加は個人競技ではなく、支え合う設計があって初めて続けることができるものなのだろう。
寺前都議に、政治の世界を目指す人に伝えたいことを問うと、こう答えた。
「完璧を目指さなくていいと思います。暮らしの違和感を言葉にしてほしいです。政治は特別な誰かのものではなく、毎日の延長線上にあって、ヤジではなく対話で、失敗を責めるより『だったらこうしよう』を重ねていけたらと思います」
“飛び級”の当選は、特別な奇跡ではなく、生活の現場から積み上げた言葉と関係性が、政治につながった結果ではないか。その道は、決して簡単な道ではないが、不可能な道ではなく、暮らしの違和感を言葉にし、支え合える関係を紡ぐことで生活者の声が政治に届く。
そして、「生活者が政治に届く道」がより多くつながることが、より多くの民意が反映される社会への一歩になるのではないか。
