マイページ
東日本大震災から15年 原発事故で失った故郷…「避難者」として揺れる心 鳥取で築いた新たな絆「移住」への決意|FNNプライムオンライン
わすれない 3.11

東日本大震災から15年 原発事故で失った故郷…「避難者」として揺れる心 鳥取で築いた新たな絆「移住」への決意

Google ニュース プリファードソース

2011年3月11日発生した東日本大震災から15年が経った。全国各地に避難した人は2万6000人にのぼり、山陰両県でも101人が避難生活を送っている。
このうち2人の男性が語った複雑な胸の内から、時間の経過とともに変化する「ふるさと」への想いが浮き彫りになった。

東日本大震災で故郷の双葉町が被災
東日本大震災で故郷の双葉町が被災
この記事の画像(20枚)

帰る場所を失った福島・双葉町民の葛藤

福島第一原発が立地する福島・双葉町から島根・松江市に避難した桑原達治さん(61)は、「人生の転換期だったですかね。今までの生活がもう一気に変わっってしまった…あの日で」と15年前を振り返る。

現在は、障害者支援を行う市内のNPO法人で働き、古本のリサイクル事業を担当している。

2007年に脳出血で左半身が不自由になり、町職員を休職してリハビリに取り組んでいた桑原さんは、東日本大震災で発生した福島第一原発事故により、両親とともに母親の実家がある松江に避難することになった。

松江市のNPO法人で働く
松江市のNPO法人で働く

「あっという間ではないんですけど、本当に一日一日生きていくのは精いっぱいだった。知らないうちに15年経っちゃったというか」と苦難の日々を語る。

双葉町は事故後長らく、ほぼ全域が「帰宅困難区域」となり、2022年に一部で避難指示が解除されたものの、現在町で暮らす人はわずか193人。震災前の2.7%にとどまっている。

福島県の帰宅困難地域
福島県の帰宅困難地域

15年という歳月が経ち、松江での生活も当たり前のものとなった桑原さんだが、2023年に一時的に双葉町の立ち入り規制が緩和され、「束の間の里帰り」をした時に現実を目の当たりにした。

一変した故郷の風景
一変した故郷の風景

「今は自宅もない。元の職場、体育館、公民館もなくなって。その代わりに新しいものばかり。建物や施設がガンガン建っていて、何もなくなってしまった。思いつながるものが…」

地震で破損した自宅はすでに解体され、ふるさとの景色は一変していた。

自宅は解体され更地に
自宅は解体され更地に

「今、住んでる人にとってはもちろん今の情景がふるさとでしょうし。過去の人にとっては『うーん』っていう感じになっちゃって。私は昔の人間になってしまったかもしれない」と状況の変化に心がついていかない心持ちを明らかにした。

双葉町へ帰還意向アンケート
双葉町へ帰還意向アンケート

双葉町に住民票がある人を対象にした町への帰還意向アンケートでは「すでに住んでいる」もしくは「将来的に戻りたい」と回答した人は18.7%で、2013年と比べると20ポイントも下がった。「戻らない」と回答した人の多くは「すでに自宅を解体したから」「避難先の方が生活利便性が高いから」といった理由を挙げている。

帰還か避難先に定住か…揺れる心
帰還か避難先に定住か…揺れる心

「双葉町に帰って家族みんなで過ごしたいとも思っている。15年もすると逆に双葉よりこっちの方々のほうが縁が強くなっちゃって。それをまた切って、全部切っては行きにくいという思いもある」と話す桑原さんの心も揺れ続けている。

鳥取の地へ…「移住者」として覚悟

一方、「移住者」として覚悟を固めた人もいる。

「精神的なものは、あの日以来、置き去りにして新しい世界に進んでいくという思いで鳥取に来た」と語る神山孝光さん(65)。

宮城から鳥取に避難した神山さん
宮城から鳥取に避難した神山さん

震災で最も多い3500人以上の犠牲者が出た宮城県石巻市出身だ。30年近く営んでいた寿司割烹の店で被災し、家族7人で妻のふるさと鳥取県に移住。6年前から鳥取市鹿野町で飲食店を営んでいる。

津波による甚大な被害にあった石巻市
津波による甚大な被害にあった石巻市

神谷さんは「避難者という立場から逸脱したいというか抜け出たいという思いが強いので移住者、定住者とかIターンUターンと思ってもらえればありがたい。ただ、根本的に自分の血統は東北にあるので…」と話す。

移住した鳥取市鹿野町に開業した飲食店
移住した鳥取市鹿野町に開業した飲食店

突然強いられた知り合いもいない土地での再出発。当初は周囲から避難者として見られることに心の距離を感じ、ふるさとに帰ることも考えたという。

しかし、石巻市では防波堤の整備や街のかさ上げなど復興が進んだ一方で、神山さんが知るかつての漁村の風景は一変していた。8年前にふるさとを訪れた時には「帰る場所はない」と感じたという。

「気持ち的には帰る場所はないというふうに自分の中では言い聞かせているので…」

孫の誕生が変えた心境

15年という時が流れ、鳥取での生活も徐々に変化した。今では余った料理を近所の人と交換しあうなど、鹿野町での暮らしが日常になった。

地域で深まる絆
地域で深まる絆

さらに6年前には長女が鳥取で出会った男性と結婚し、孫が誕生。神山さんの心境に大きな変化があった。

「子どもたちが家庭を持って孫ができて、孫の世話をしながらギャーギャーピーピーやっているのを見ると、震災のことは全部忘れてかわいいなみたいな。こっちに来なきゃ、子どもも旦那さんに会えなかっただろうし」と語る。

鳥取市で増える家族
鳥取市で増える家族

そして鳥取で根を張り、生きていく決心を固めた思いのうちを話した。

「前はやっぱり戻りたいなとか、宮城に帰って仕事したほうがいいかなと思ったりしていたが、今はやっぱり鳥取に来てよかったなという気持ちのほうが強い。このまま頑張ってやれるところまでやれたら」。

鳥取で「定住」への決意
鳥取で「定住」への決意

「避難者」から「移住者」へ。神山さんは第2のふるさと・鳥取で、一度は諦めかけた「普通の暮らし」を送っている。15年という歳月は、それぞれ異なる道のりを歩む2人に、新たな人生の選択を迫り続けている。

(TSKさんいん中央テレビ)

この記事に載せきれなかった画像を一覧でご覧いただけます。 ギャラリーページはこちら(20枚)
  • 1
  • 2
関連記事
わすれない 3.11の他の記事
クラフトジンで村おこし 福島・川内村に移住した若き蒸留家の挑戦 レストランバーの次は“一棟貸し”の宿
クラフトジンで村おこし 福島・川内村に移住した若き蒸留家の挑戦 レストランバーの次は“一棟貸し”の宿
都道府県
地域を守り続けた消防隊長は、妻を津波で失った 「助けられなくて、ごめんな」 復旧した田んぼで続けたイベントと、孫につないでいく思い
地域を守り続けた消防隊長は、妻を津波で失った 「助けられなくて、ごめんな」 復旧した田んぼで続けたイベントと、孫につないでいく思い
社会
父との最後の言葉は「行ってきます」だった…「ありがとう」さえ伝えられなかった後悔 津波で父を亡くした教師が生徒へ伝える日常の尊さ 岩手県
父との最後の言葉は「行ってきます」だった…「ありがとう」さえ伝えられなかった後悔 津波で父を亡くした教師が生徒へ伝える日常の尊さ 岩手県
ライフ
津波で自宅を失った夫婦が食卓で問い続ける防災談義 「いざとなったとき、どう行動するか」 山間の民泊で“命の大切さ”に向き合う
津波で自宅を失った夫婦が食卓で問い続ける防災談義 「いざとなったとき、どう行動するか」 山間の民泊で“命の大切さ”に向き合う
ライフ
一覧ページへ
TSKさんいん中央テレビ
TSKさんいん中央テレビ

鳥取・島根の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。

×