東日本大震災で全国各地に避難した人は今なお2万6000人いて、山陰両県でも101人が避難生活を送っています。
今回、山陰に避難している2人の男性を取材しました。
自分はまだ「避難者」なのか、それともすでに「移住者」なのか、複雑な胸の内を伺いました。
福島県双葉町から避難・桑原達治さん:
「「人生の転換期」だったですかね。
今までの生活がもう一気に変わっちゃったあの日で。
あれがね、なければどうなってたかなあと思って。
15年前を振り返る桑原達治さん、61歳。
福島第一原発が立地する福島県双葉町から松江市に避難してきました。
現在は障害者支援を行なう市内のNPO法人で働き、古本のリサイクル事業を担当しています。
東日本大震災で発生した福島第一原発事故。
双葉町は事故後、長らくほぼ全域が「帰宅困難区域」となり、2022年に一部で避難指示が解除されたあとも、現在、町で暮らす人は193人。
震災前のわずか2.7%にとどまっています。
桑原達治さん:
こっちは片手、片足で立ってますから。早く終わってくれと思って、そのうち耐えられなくなって、部屋の中に投げ出されちゃって。
2007年に脳出血で左半身が不自由になり、町の職員を休職してリハビリに取り組むなかで被災しました。
震災後、両親とともに母親の実家がある松江に避難。
それから15年が経とうとしています。
桑原達治さん:
あっという間ではないんですけど、本当に一日一日生きていくのは精いっぱいだった。知らないうちに15年経っちゃったというか。
15年という歳月が経ち、松江での生活も当たり前のものとなっています。
郷愁に駆られることもあるといいますが、2023年に一時的に双葉町の立ち入り規制が緩和され、「束の間の里帰り」をしたときに現実を目の当たりにしました。
桑原達治さん:
今は自宅もない。元の職場、体育館、公民館もなくなって。
その代わりに新しいものばっかり。建物や施設かガンガン建ってまして。
何もなくなってしまった。思いつながるものが…。
地震で破損した自宅はすでに解体。
ふるさとの景色は一変し、「自分の帰る場所はない」と感じたといいます。
桑原達治さん:
今、住んでる人にとってはもちろん今の情景がふるさとでしょうし。
過去の人にとっては「うーん」っていう感じになっちゃって。
私は昔の人間になってしまったかもしれない。
双葉町に住民票がある人を対象にした町への帰還意向を尋ねた最新のアンケートでは「すでに住んでいる」もしくは「将来的に戻りたい」と回答した人は18.7%。
2013年と比べると20ポイントも下がりました。
「戻らない」と回答した人の多くは「すでに自宅を解体したから」「避難先の方が生活利便性が高いから」といった理由を上げています。
時間の経過とともに避難先での永続的な移住を決断した人が増えたことが分かります。
桑原さんにとっても前途多難な郷里への帰還。
15年間で築き上げた新たな「安住の地」で桑原さんの心は揺れています。
桑原達治さん:
双葉町に帰って家族みんなで過ごしたいとも思っている。
15年もすると逆に双葉よりこっちの方々のほうが縁が強くなっちゃって。それをまた切って、全部切っては行きにくいという思いもある。
一方、「移住者」として覚悟を固めた人もいます。
神山孝光さん:
精神的なものは、あの日以来、置き去りにして新しい世界に進んでいくという思いで鳥取に来た。
神山孝光さん、65歳。
震災で最も多い3500人以上の犠牲者が出た宮城県石巻市出身です。
30年近く営んでいた寿司割烹の店で被災し、家族7人で妻のふるさと鳥取県に移住。
6年前から鳥取市鹿野町で飲食店を営んでいます。
宮城県石巻市から避難・神山孝光さん:
避難者という立場から逸脱したいというか抜け出たいという思いが強いので移住者、定住者とかIターンUターンと思ってもらえればありがたい。ただ、根本的に自分の血統は東北にあるので…。
突如強いられた知り合いもいない土地での再出発。
当初は周囲から避難者として見られることに心の距離を感じ、ふるさとに帰ることも考えたといいます。
しかし…。
神山孝光さん:
気持ち的には帰る場所はないというふうに自分の中では言い聞かせているので…。
石巻市では、防波堤の整備や街のかさ上げなど復興が進んだ一方で、神山さんが知るかつての漁村の風景は一変。
8年前にふるさとを訪れた時には「帰る場所はない」と感じたといいます。
客との会話ただ15年という時が流れ、鳥取での生活も徐々に変化。
今では余った料理を近所の人と交換しあうなど、鹿野町での暮らしが日常になりました。
さらに6年前には長女が鳥取で出会った男性と結婚し、孫が誕生。
神山さんの心境に大きな変化がありました。
神山孝光さん
子どもたちが家庭を持って孫ができて、孫の世話をしながらギャーギャーピーピーやっているのを見ると、震災のことは全部忘れてかわいいなみたいな。
こっちに来なきゃ、子どもも旦那さんに会えなかっただろうし。
鳥取で根を張り生きていく決心がつきました。
神山孝光さん
前はやっぱり戻りたいなとか宮城に帰って仕事したほうがいいかなと思ったりしていたが、今はやっぱり鳥取に来てよかったなという気持ちのほうが強い。このまま頑張ってやれるところまでやれたらいいな。
「避難者」から「移住者」へ…。
神山さんは第2のふるさと・鳥取で一度は諦めかけた「普通の暮らし」を送っています。