3月10日もお伝えした宮城県気仙沼市で菓子店を営む千葉信子さん。川南町出身です。
東日本大震災で千葉さんのお店は営業できない状態となりました。千葉さんはそこからお店の再建を目指して日々過ごしてきました。被災しても気仙沼市で生きていくと決めた千葉さん。震災から15年経った今の思いとは…
(江川琴実記者)
「震災から15年、こちらは津波の被害が大きかった宮城県気仙沼市の内湾です。ぱっと辺りを見渡すと真新しい建物が建っていてあの時被災した場所とは思えない綺麗な街並みとなっています」
この内湾で菓子店を営むのは川南町出身の千葉信子さん85歳。千葉さんは23歳で気仙沼市の老舗菓子店「紅梅」の2代目のもとに嫁ぎ、そこから今まで60年近く店を切り盛りして来ました。
この地震による津波で店舗兼住宅だった4階建ての建物が被害に遭いました。
(千葉信子さん)
「津波で中が全部流されたんですよね、この(工場の)備品がどこに流れたんだろうどっから出たんだろうっていう感じでしたよ」
千葉さんは震災後しばらく、現在もお店の倉庫として使われている場所に家族と過ごしていました。
避難生活を送る中でここで暮らし続けられるのか考えたこともありました。
(千葉信子さん)
「やっぱり気仙沼から出ようかなっていう一瞬思った時もあるんです、実際。でもやっぱりお客さんの顔とか今までの先代の苦労とか、なんで私はここに来たんだろうっていう思いとかそういうのを考えるとやっぱりここで頑張らなくてはっていう気持ちにはなりましたけどね」
震災に遭い、それでもなお「この気仙沼市でお店を続ける」という思いを形にし、震災から5カ月後には、被災していない高台に仮店舗をオープン。はじめは限られた材料や機械での厳しい営業でしたが、それでも千葉さんが前進できた原動力が紅梅を訪れるお客さんの存在でした。
(千葉信子さん)
「お客さんの顔が見えてくるんですよね。そうすると、もうとにかく(お店を)やるっていう気持ちにさせてくれたんですかね、ほんとにお客さんはありがたいですよね」
甚大な被害を乗り越え仮店舗の営業を始めた千葉さん。次の目標は「震災前に営業していた場所で店を再開する」こと。現在の社長で息子の洋平さんの後押しもありました。
(息子・千葉洋平さん)
「いちばん最初に考えたのはあとあとになって、昔ここにお菓子屋があったよねというふうには言われたくないなと思って、それだけですね昔あったじゃなくてあった今もあるというのは気持ちの中であったので」
代々受け継がれてきた老舗の菓子店「紅梅」。
被害にあった4階建ての住宅兼店舗は取り壊され、一度は更地になりましたが、震災から5年後…念願だった元の場所での営業がようやく実現しました。
(千葉信子さん)
「本店を開店した時のお客さんの声が「待ってたよ紅梅さん」って言われた時は、なんとも言えなかったですね。もう過去のことなんかも全然吹っ飛んでああよかったっていう気持ちですね」
20年近くこの紅梅で働く高澤加奈子さんは千葉さんと共に店を支えてきました。
(紅梅で約20年働く高澤加奈子さん)
「みんな仕事もなくて働きたくても働けないし、家もそれこそ生活もままならない中で、私はすぐ働くことができて、自分が前から働いていたところで働けるのはほんとにありがたいですね」
(千葉信子さん)
「この人の力を借りないとだめだなという思いはありましたよね」
Qそれを聞いていかがですか
(紅梅で約20年働く高澤加奈子さん)
「いやいやそんな、みんなで頑張ってきましたね」
最中や揚げパンが人気の紅梅には、市の内外から多くのお客さんが訪れます。
(宮城県登米市から)
「気仙沼に来たときはここが美味しいって聞いてたので、きょうは空いてたので来ました」
復興が進み、街の風景も変わっています。震災直後、がれきで埋め尽くされていた気仙沼市の内湾は建て直された店舗や復興住宅が建設されるなどきれいな街並みに変わりました。
(千葉信子さん)
「昔の良さっていうのはみんな無くなってしまってね、現代的な街っていうかなんていうか。これが新たな前進なんですかね。いつまでもとどまってはないですよね」
復興は建物だけでなく道路も…
気仙沼市で88.5キロに及んだ被災道路は2023年4月に復旧工事が完了しました。
この15年は千葉さんにとって…
「いろんな試練をもらったけれども、でもやっぱり「生きる」っていう。望み。なんて言ったらいいんでしょう、生きていれば何があっても前に向ける前向きにできるっていうそういう感じがしますよね、とにかく生きるっていうことですかね」