東日本大震災、そして東京電力福島第一原発の事故からまもなく15年の節目を迎えるのを前に、フジテレビ報道局の災害対策チームは、福島第一原発から半径30キロの12市町村にアンケートを行った。
15年という歳月により、周辺自治体はその姿を大きく変えていた。人口流出が深刻化する一方、新規移住者が多数派になりつつある自治体もある。
取材から見えてきたのは、「ここで暮らす」という当たり前が、いまも揺らぎ続けているという現実だ。
事故前54万人の人口が2割以上減
原発事故前、周辺12市町村には約54万1千人が暮らしていた。
原発事故から15年が経とうとする現在の居住人口は約41万8千人、事故前の77.2%に留まる。6町村で人口が半分以下となるなど、原発周辺のまちは、深刻な人口流出に直面し続けている。
「震災前の人口 ➡︎ 現在の居住人口」
双葉町 7140人 ➡︎ 193人(2.7%)
浪江町 21542人 ➡︎ 2420人(11.2%)
大熊町 11505人 ➡︎ 1524人(13.3%)
富岡町 15961人 ➡︎ 2762人(17.3%)
飯舘村 6509人 ➡︎ 1507人(23.2%)
葛尾村 1567人 ➡︎ 479人(30.6%)
楢葉町 8011人 ➡︎ 4436人(55.4%)
川内村 3038人 ➡︎ 1828人(60.2%)
広野町 5490人 ➡︎ 4113人(74.9%)
田村市 42016人 ➡︎ 32118人(76.4%)
南相馬市 70772人 ➡︎ 54494人(77.0%)
いわき市 347575人➡︎ 312315人(89.8%)
新規移住者が「多数派」も
その一方で、「誰が住んでいるのか」は変わりつつある。
富岡町では、居住人口の62.6%が、原発事故後に移り住んだ人々で、以前からの住民と移住者が混ざり合う新しい町へと姿を変えつつある。
富岡町は「新規移住者の多くは継続して町内で生活を続ける意向がない方(いわゆる復興従事者)と考えており、まだまだともに地域を創っていく住民の絶対数が乏しい」との見方だ。
新規移住者の受け入れ状況
※回答を受けた自治体を抜粋
※カッコ内は居住人口のうちの移住者の割合
富岡町:1730人(62.6%)
※「移住者」の定義が難しいため、被災者以外の転入者数で算出。
双葉町:104人(53.8%)
大熊町:747人(49.0%)
浪江町:910人(約37%)
※震災前からの住民、新生児、転勤者、5年未満の居住者等も含む。
葛尾村:174人(36.3%)
川内村:391人(21.3%)
飯舘村:232人(15%)
※転出者もいるが実数は不明。
広野町:42人(1%)
※2021年度以降の累計。
帰還は「一巡」しつつある
では、元の住民は原発事故後にどれだけ戻ったのか。
避難指示が段階的に解除された今も、南相馬市、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村の7市町村には帰還困難区域が残り、帰還率は厳しい数字となっている。
広野町では79%が戻った一方で、双葉町は1.2%、大熊町は約2.8%にとどまる。
避難先で生活基盤を築いた人も多く、帰還が一巡し、全体として伸び悩んでいるという構図は、公的な住民意向調査の結果などとも重なる。
こうした状況について、飯舘村は「住民は、避難指示解除の目処などを明確に知らされないまま避難を強いられ、先人より引き継ぎながら何百年もかけて培ってきた農地や山林などの財産を事故により奪われた。主要産業である農業の基盤となる農地山林が広範囲に汚染されたことは非常に大きなダメージで、回復には長い期間を要する」とコメントした。
他方、震災当時の住民の中にはすでに亡くなった方も多く、現在存命の避難者が全員戻ったとしても、帰還率が100%になることはない。
避難者の帰還回復率(回答を受けた自治体を抜粋)
双葉町:1.2%(89人/7140人)
大熊町:2.88%(332人/11505人)
浪江町:6.38%(1375人/21542人)
富岡町:6.46%(1032人/15961人)
飯舘村:22.4%(1437人/6401人)
葛尾村:30.1%(305人/1012人)
川内村:45.35%(1378人/3038人)
広野町:79% (4113人/5212人)
廃炉は「時間がかかっても慎重に」
長い時間軸を強いるのが、東京電力福島第一原発の廃炉だ。
政府と東電は中長期ロードマップで「最長2051年」までの廃炉完了を掲げるが、「工程どおり進んでいると考えるか」という質問に「はい」と答えた自治体は川内村と広野町の2つだけだった。

葛尾村と浪江町は「いいえ」、他の多くは「どちらともいえない」との評価にとどまる。
「1日も早く廃炉を完了すべき」「前例のないことに取り組んでいるので、時間がかかっても慎重に行ってほしい」「全体的な期間延長はされていないが、作業の見直し等が繰り返されている」といった声が並ぶ。
「ここで生きる理由」を積み上げる
復興に必要な施策を聞いた。
川内村は、帰還できない元住民の多くが子どもと子育て世代であると指摘する。関係・交流人口の拡大、定住人口を増やす施策に加え、基幹産業の農林畜産業や若い世代の起業を後押しする取り組みが必要だとした。
楢葉町は、避難した元町民の帰還を進める一方で、移住による新たな住民の確保が必要と指摘。国の補助制度を活用しつつ子育て世帯に的を絞り、安心して子どもを育てられる環境づくりを進めているという。
葛尾村は、帰還や移住を促すため、地域の新たな魅力を打ち出し、IターンやJターンなど地域を担う人材となる移住者や関係人口の拡大を図っている。
飯舘村の訴えは切実だ。村はこれまで、交通アクセスの改善によって人の往来を増やす施策に加え、医療・介護、買い物、教育、雇用といった、住民が安心して暮らすための「生活の基盤」を支える分野の充実に向け、可能な限りの対策を講じてきたという。
だが、「国としては、あまり講じられていないように感じる」との認識を示す。とりわけ、民間事業の再生や発展については、自治体だけで取り組むには限界があると強調。「国として、より前面に立って取り組む必要がある」として、国の一層の関与と支援を求めた。
富岡町は、必要な施策の大前提を「帰還困難区域全域の早期避難指示解除、生活基盤の整備と再生」とした上で、「帰還と移住の促進と交流、関係人口の拡大に向けた施策が必要」とした。
原発事故に伴う全町避難から最初に避難指示が解除されるまで、双葉町では約9年、大熊町では約8年を要し、町では、スーパーや医療機関、交流の場などの整備を進め、元住民が帰還しやすい環境づくりを模索している。
大熊町は、長期避難の中、自宅が荒廃し、解体を余儀なくされたケースが多いことを帰還のハードルが高まる要因と捉える。
浪江町は、農林水産業の再興や新たな産業・雇用の創出、医療や子育て環境の充実、移住・定住の促進などを復興の柱として掲げる。
震災前の住民の帰還率が伸び悩むのは長期避難や帰還困難区域の継続による「やむを得ないところもある」としつつ、町の挑戦に共感した人々の移住が進み、窓口の設置などによる移住・定住促進で成果が出ているとする。
広野町は、若い世代の就労と子育て支援、生活インフラや防災を柱にしたまちづくりを進めている。 加えて、行政や教育・福祉にデジタル技術を取り入れ、誰もが利便性と安心を享受できる地域を目指している。
南相馬市は、仕事を生み出すため、ロボット・ドローンや宇宙産業の誘致に力を入れる。いわき市は、国際防災都市の実現と防災庁の誘致を掲げる。観光や水産物の風評払拭に向けた情報発信や支援策を重ねながら、新しい未来像を描こうとしている。
町への愛着を「双方」でどう育てるか
東北大学 災害科学国際研究所の御手洗潤 特任教授は、12市町村の現状を次のように分析する。
「現状帰還率が大きくは伸びない一方で、新たな移住者が地域の一部を担い始めているという結果は、『どれだけ元の町に戻すか』だけでは復興を捉えきれないことを表しています。
誰が地域を担い、どのような形で関わっていくのかを考える段階に来ているのではないかと思います。
重要なのは、移住者と元の居住者の双方に『変わっていく町に自分も関わっている』という感覚をどのように育み、町への愛着を、移住者と元の居住者の双方でどう育てるかです。『皆でこれからの姿をどう描くか』が焦点です」
東日本大震災、これに伴う東京電力福島第一原発事故から15年。
「元の町」には戻らない福島県沿岸の自治体で、帰還者と移住者それぞれの「ここで生きる理由」を積み重ねていくことが、これからの復興の土台となる。
