観測史上初めて、震度7を2度観測した熊本地震の本震から16日で10年が経った。復興が進む一方で、土砂崩れで22歳の息子を亡くした母親は今も悲しみの中にある。地震の教訓から生まれた新阿蘇大橋は2021年に開通した。
「息子を捜し出す」家族の執念
観測史上初めて、震度7を2度観測した熊本地震。その本震から16日で10年が経った。
震災の教訓が生かされた現場がある一方で、犠牲となった方の遺族の時は止まったままだ。
16日、午前1時25分ごろ、熊本・南阿蘇村。地震発生時刻に、ろうそくの明かりだけの中で静かに祈りをささげる遺族の姿があった。

熊本・大分の両県で、災害関連死も含めて278人が亡くなった熊本地震。かつては損壊した建物が残り、一部で倒壊した家などが道をふさいでいた幹線道路は、災害に強いまちづくりとして4車線になった。今では着実に復興が進んでいる。
しかし10年が経った今も、あの日から時が止まったままの家族がいる。
大和晃さんの母・大和忍さん:
毎日思わないことはないですね。なんか、ふと蘇ってきますね。

10年前の本震で崩落した全長206mの阿蘇大橋。当時22歳の大学生、大和晃さんは、その近くで土砂崩れに巻き込まれ命を落とした。

2016年4月16日、午前1時25分頃、晃さんは車で阿蘇大橋付近の国道を走っていたとみられている。
2日前の前震で被災した友人のもとへ飲み水を届けた帰り道だった。

大和晃さんの母・大和忍さん:
声が聞きたいです。会いたいです。抱きしめたいです。どうか手元に、このまま…。
父・母・兄の家族3人は、捜索の継続を訴えた。しかし地震から2週間後「二次被害の恐れ」を理由に熊本県による捜索は打ち切られた。

それでも家族はあきらめず、行方不明から100日目の7月24日、橋から約400m下流の川底に沈む晃さんの車を自分たちの手で見つけ出した。

晃さんの父・大和卓也さん:
お世話になりました。まぁ、おかげさんで…見つかりました。まぁ、あとは車の所を捜索して、本人が車の中にいてくれればいいんですけども。
「10年は節目ではない」母の思い
2016年8月、車内から晃さんの遺体が発見された。

父・卓也さんは、晃さんがかつて、もみまきを手伝った苗から米を育て、息子の分まで田を耕し続けた。
しかし、2024年の9月、卓也さんは息を引き取った。
晃さんの母・大和忍さん:
なにしろ1人だからですね、主人がいればね。私の中では10年だからとか、節目だからとか感じないし、思いもしないですし。きっとこれからもそうなんだろうなって。
そして16日午前1時25分頃、熊本・南阿蘇村で母の忍さん、そして兄の翔吾さんが祈りをささげる姿があった。

晃さんの母・大和忍さん:
いてくれて当たり前だった息子に、10年会えていないんだなって。
崩落した阿蘇大橋の約600m下流に、2021年3月「新阿蘇大橋」が開通した。

橋の真下には活断層が走っているため、設計段階から地盤がずれた際に橋桁も一緒にずれるよう工夫された。地震の教訓から生まれた、新しい知恵だ。
大和晃さんの母・大和忍さん:
10年経っていますから。どんなふうにつなげていくかですよね。今からの減災・防災、そういったところにどう生かしていけるか。
(「イット!」4月16日放送より)
