紛争や飢餓などの課題解決に携わりたいと、国際機関で活躍する沖縄県浦添市出身の鶴渕鉄平さん。国際人としての視座を磨く鶴渕さんが歩んできた道、国際協力にかける思いを取材した。

勤務地は日本から8200キロ離れた中東・イラク

沖縄の空の玄関口、那覇空港。国際機関のイラク事務所で働く鶴渕鉄平さんが2月、3カ月ぶりに沖縄に帰ってきた。

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――荷物が多いですね。

鶴渕鉄平さん:
イラクから帰ってくるときは大きいスーツケースを2つ持って、空に近い状態で持って帰ってきて、いろいろと生活物資とかを入れる。日本製品はクオリティが高いので、食料品や季節の変わり目だと衣料品とか

子どもの頃から世界を舞台に働くことを熱望していた鶴渕さん。大学時代にアフリカのタンザニアで留学したのを皮切りに、インドネシアで働くなどキャリアを積み、2020年から念願の国際機関で働いている。

今、勤務しているのは日本から約8200キロ離れた中東のイラク。2003年のイラク戦争の後、国際協力が続けられているが、現在でも過激派組織による爆破テロが起きるなど、日本と大きく環境が異なる。

鶴渕鉄平さん:
(イラクの人々が)いつも何かにおびえて暮らしているかというと、決してそうではなくて。暗い話題も笑いに変えているし、実際、人というのはいろんな場面でたくましく生きている

鶴渕鉄平さん:
いろんな見方をすることによって、世界というのは豊かで柔軟で、強いんだなというのをイラクでも感じさせてくれています

イラクが民主的な国家として復興できるよう、鶴渕さんは世界中から集められたスタッフとともに、浄水場や発電所建設などインフラ整備に携わっている。

鶴渕鉄平さん:
料理でのコミュニケーションが多かったりしますね。いろんな国の人がいるので、それぞれの国の料理を出し合って。「にんじんしりしり」は非常に評判が良いです。卵と人参ってどこの国でも手に入るし、ツナも結構手に入りやすいので。こんな食材で、こんな味が出せるんだって、新鮮な感動を持っておいしく食べてもらっています

「明日、生きているかもわからない」アフガンの友人の思い

常に世界の課題の把握に努めようと心がける鶴渕さん。

2021年にアメリカ軍が撤退して以降、イスラム主義勢力のタリバンが復権し、混乱が続いているアフガニスタン。その現状を知るために、現地の友人とウェブミーティングを行った。

鶴渕鉄平さん:
どうすればこんなに難しい状況から身を守ることができるか

アフガニスタンの友人・アフマドさん:
私たち自身の家族や子供たちを守ることがどれほど難しいか、想像できないでしょう。この状況を心配しています

アフガニスタンの友人・アフマドさん:
私たちに選択の余地はありません。多くの人々が国外に逃げようとしています。国境を越えて移民しようとしています。しかし、そのチャンスがありません。もしもそのチャンスが得られれば、そのチャンスを逃さずに使います

鶴渕鉄平さん:
最後に言っていたのは彼自身、明日、生きているかどうかわからないと。日本に逃げる、退避する機会を得られたらすごく望ましいけれど、それができないとしても、何か少しでもいいから目を向けて、協力の手を差し伸べてくれるとありがたいと言っていた

沖縄の良さを強みとした国際人に

直接助けることができなくても、少し意識を向けることで世界は変わる。大きな志を抱く鶴渕さんだが、その歩みは順風満帆ではなかった。

鶴渕鉄平さん:
中学の時に拒食症になりまして。そのきっかけというのが、世界で起こっている飢餓の問題であったり、貧困の問題であったり、そういう中で僕自身は恵まれている方だと、格差があるのをどう考えてよいかわからずに悩んでしまって。その人たちとなるべく同じような立場に立ちたいと思い、拒食症になってしまったんです。でも拒食症だからって、世の中が変わるわけではないので。ある時、こういう恵まれた環境があるなら、その環境を使って将来その人たちのために尽くせる人間になろうと

苦しい時代を支えた1つが、中学の吹奏楽部で出会ったトランペット。今も腕を磨き、仕事の傍ら音楽でも世界と交流を深めている。

鶴渕鉄平さん:
僕は沖縄が好きで、やはり沖縄に帰ってくると、ほっとする。この環境というのはすごくいい。特にこういう青い海をはじめ人のやさしさ、温かさ。僕はそういう沖縄の良さ、「いちゃりばちょーでー(一度会ったらみんな兄弟)」なところを強みとした国際人になろうと、強く考えていて。実際、そうなれていると思っています。沖縄人、日本人であれたことは、僕が国際的に活動していく上ですごく役に立っています

イラクの復興支援に携わる鶴渕さん。故郷・沖縄で育んだ思いは海をこえて、どこまでも広がっている。

(沖縄テレビ)

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