双日社員による前職場からの情報持ち出し

警視庁は先週、大手総合商社「双日」本社に不正競争防止法違反の疑いで捜索を実施した。捜査関係者によれば、双日の30代男性社員が、去年夏ごろに、他の大手総合商社から双日に転職した際、前職である大手総合商社から営業秘密を不正に持ち出した疑いがあるという。

転職元の会社から相談を受けた警視庁が双日本社や同社員の自宅などを捜索した。

「双日」本社
「双日」本社
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そもそも、この不正競争防止法であるが、以下の行為を禁止している。

(1)既に社会的に知られている他社商品の表示によく似た表示の商品を作ったり販売する行為(周知表示に対する混同惹起行為)

(2)著名・有名な他社商品の名前を、自社の商品表示として利用する行為(著名表示冒用行為)

(3)事業者が活動するための技術的なノウハウや営業上の秘密を、盗んだり悪用したりする行為(「営業秘密」の侵害

今回の事件で言えば、営業秘密の不正な持ち出しであるから、「営業秘密」の侵害として(1)秘密管理性、(2)有用性、(3)非公知性を満たし、立件されたとみられる。

また、この不正競争防止法は、昨今の経済安全保障の文脈から、技術流出防止のために、外為法とともに改正・強化されてきた経緯がある。

2020年には、積水化学元社員が、中国企業の社員とSNSを通じ接触を受けて同メーカーの営業秘密である機密情報を漏洩したとして、不正競争防止法違反(営業秘密侵害)で検挙されている。

あとをたたない産業スパイ事件

実は、前述のように経済安全保障の文脈における他国によるスパイ事件ではなく、そもそも企業間同士の産業スパイ事件は相当数ある。

事実、過去に日本企業が関連した事件として、以下の例が挙げられる。特に、ポスコ事件はその巧妙さから産業スパイ事件の代表例と言える。

ポスコ事件

新日鉄住金の元社員1人を含む約10人が複数のグループに分かれ、約20年間にわたり韓国鉄鋼大手ポスコに高級鋼板の製造技術を漏らしていた。

韓国・ポスコの工場
韓国・ポスコの工場

韓国ポスコは、1980年代後半から長期にわたり、新日鉄住金のOB技術者に多額の報酬を支払うこと等により、方向性電磁鋼板の製造技術に関する営業秘密を不正に取得し使用していたが、この事件は、ポスコの社員が同機密を中国の宝山鋼鉄社に売り渡したとして、韓国で拘束・起訴されたことから発覚した。同裁判の中で、ポスコが新日鉄のOB技術者と契約を締結し、新日鉄の技術情報の提供を受けていたことが判明している。

この事件では、技術情報の持ち出しの背景には、韓国ポスコが日本企業に追いつきたいという思惑があり、新日鉄の中核技術者を引き抜き、協力者に仕立てあげて技術情報を収集していた。そして、収集した技術情報についてダミー特許を申請するなどして隠ぺい工作を実施していたという特徴があり、極めて悪質かつ精巧な産業スパイ事件である。

ソフトバンク×楽天モバイル事件

2021年1月、5Gに関する秘密情報を転職先の楽天モバイルへ持ち出したとしてソフトバンク元社員の男が逮捕された。この男は2004年7月から2019年12月までソフトバンクに勤務し、その後楽天モバイルに転職しているが、転職直前の11月から12月末にかけて、約30回にわたって同社から約170点の情報ファイルを持ち出した。

楽天モバイルのショップ
楽天モバイルのショップ

2020年2月に男のPCから漏洩の痕跡が確認され、警視庁がPCなどを押収したところ、持ち出された営業秘密を含むファイルを発見、多くがファイル名を変更されていたという。

男は、動機について「転職先で自分の技術力をアピールするため」と供述している。男には当該営業秘密へのアクセス権限があり、私用パソコンからソフトバンクのサーバーにアクセスし、ファイルを自身のメールアドレスに送付することが可能な立場であった。

かっぱ寿司事件

「かっぱ寿司」を運営するカッパ・クリエイトの社長(当時)が、以前勤めていたライバルチェーンの営業秘密に当たるデータを、不正に持ち出したなどとして、不正競争防止法違反で警視庁に逮捕された。同社長は、ライバルチェーンの「はま寿司」の親会社から「カッパ・クリエイト」に転職した前後の、おととし9月から12月にかけて「はま寿司」の仕入れに関するデータをコピーして不正に持ち出し、自社のデータと比較して使用した。動機について、転職先で優位性を示したかったとしている。

これら産業スパイ事件はほんの一例であるが、実際民間における不正調査でも情報漏洩事案は非常に多く、在職時・退職時の情報の持ち出しはあとを絶たない。また、OBが退職後に、現役に依頼して情報を持ち出す事例があることにも留意しなければならない。

企業に求められる対応とは

産業スパイにおいて、そもそも実行者が対象機密にアクセス権がある場合がほとんどであり、機密情報自体が多くの社員がアクセスできる場所に存在するようでは話にならない。

企業に求められる対応として、いくつか例示したい。

まず保有機密情報の棚卸、保管場所の把握、ラベリング(定義・区分分け)が重要である。

特に、グローバル企業になればなるほど、その管理は難しいが、把握できていなければ流出にさえ気が付かない場合が多いほか、管理状況によっては不正競争防止法における「秘密管理性」の要件を満たさずに、同法が適用できない場合が生じてしまう。

機密情報の管理は出来ているのか
機密情報の管理は出来ているのか

そして、アクセス権の管理である。

機微な情報に触れうる人物の選定は非常に重要であり、極めて絞ったアクセス権の付与が望ましい。

余談だが、アクセス権を付与するにあたり、スパイの裏切りの要素「MICE」という概念がある。裏切りの主な動機を金(money)、イデオロギー(ideology)、妥協(compromise)、エゴ(ego)とし、この概念は特定秘密保護法の概念に近い。

アクセス権を持つ人物が技術情報を持ち出した事例も多い
アクセス権を持つ人物が技術情報を持ち出した事例も多い

特定秘密保護法では、金銭面のトラブルや偏った思想・組織団体への所属等にまで踏み込んだ調査がなされるが、実は裏を返せばそれらが裏切りの要素である。

このような調査や概念に基づくアクセス権の付与は企業活動には馴染まないだろうが、周辺社員からの情報提供や不芳情報、日頃の行動は極めて重要な情報となりうるため留意したい。

次に、端緒の早期収集である。

この端緒であるが、例えば、ある人物が現在関与していないプロジェクト情報に過度にアクセスしている状況、勤務時間外のアクセスの増加、アクセス後の早期のファイル削除等相当数の端緒が得られる。

技術情報流出が見つかる端緒とは
技術情報流出が見つかる端緒とは

ただし、それらを全てモニタリングすることは現実的ではないが、機微な技術情報の管理においては、そのモニタリング対象を増やす等の施策が検討されるべきであろう。

最後に、営業機密の持ち出し等、産業スパイの兆候を感じた時点で速やかに捜査機関への相談をするべきである。仮に、捜査に抵抗がある場合は速やかに外部機関を使った調査を検討・実施すべきである。

また、現代では当然の手法であるデジタル・フォレンジックについても、未だ感度が低い企業が多い。

このデジタル・フォレンジックではPCやサーバ、モバイル等のデータを保全し、可能な範囲で復元、そして解析を行うもので極めて有効な手段であるが、実施のタイミングを逸すればデジタル・フォレンジック自体が有効でなくなる事態が発生する。

PCデータなどの保全・復元・解析
PCデータなどの保全・復元・解析

そもそも、調査の手順を間違えれば証拠の喪失等、調査自体が破綻する可能性があるため極めて注意が必要であり、迷う前に速やかに捜査機関に相談すべきである

経済安全保障における重要なテーマ

ここまで、産業スパイについて説明したが、現在政府においても不正競争防止法等に係る情報漏洩については、強い警戒感を持っている。昨今の国際情勢からすれば、企業の知的財産と健全な経済活動の保護のみならず、流出した技術情報が他国に渡り、日本の国益が損なわれる事態を政府が警戒しているのは当然であろう。中国・ロシアを念頭に、違法なスパイ行為による技術窃取のみならず、合法的な経済活動による技術窃取という手段がある部分にも改めて留意頂きたい。

企業において、この産業スパイを含む情報漏洩について、自社へのリスク・損失という観点のみならず、経済安全保障上非常に重要な問題であり、自社のみならず日本にとって重要なテーマであることを再認識頂きたい。

【執筆:稲村悠・日本カウンターインテリジェンス協会代表理事】

稲村 悠
稲村 悠

日本カウンターインテリジェンス協会代表理事
リスク・セキュリティ研究所所長
国際政治、外交・安全保障オンラインアカデミーOASISフェロー
官民で多くの諜報事件を捜査・調査した経験を持つスパイ実務の専門家。
警視庁公安部外事課の元公安部捜査官として、カウンターインテリジェンス(スパイ対策)の最前線で諜報活動の取り締まり及び情報収集に従事、警視総監賞など多数を受賞。
退職後は大手金融機関における社内調査や、大規模会計不正、品質不正などの不正調査業界で活躍し、民間で情報漏洩事案を端緒に多くの諜報事案を調査。
その後、大手コンサルティングファーム(Big4)において経済安全保障・地政学リスク対応支援コンサルティングに従事。
現在は、リスク・セキュリティ研究所にて、国内治安・テロ情勢や防犯、産業スパイの実態や企業の技術流出対策などの各種リスクやセキュリティの研究を行いながら、スパイ対策のコンサルティング、講演や執筆活動・メディア出演などの警鐘活動を行っている。
著書に『元公安捜査官が教える 「本音」「嘘」「秘密」を引き出す技術』