一枚の写真から街を再発見する「兵動大樹の今昔さんぽ」。今回の舞台は、大阪・ミナミの「法善寺水掛不動尊」前からスタートです。
今回探すのは、1962年(昭和37年)に大阪市で撮影された橋の写真。写真には川沿いに建ち並ぶ民家と橋、そして「ティールームアイリス」という喫茶店の看板が写っています。
【兵動大樹さん】「難波は道頓堀、道頓堀川があるから橋が結構あるんですけど、繁華街の橋っぽくないよね。普通に洗濯物干してあるし、普通に民家みたいなとこがあんねんけどな」
■調査開始もまずはお気に入り喫茶店で休憩 変わりゆく大阪・ミナミの街
最初の手がかりを求めて、兵動さんに声をかけてくれた人に話を聞いてみます。
【兵動大樹さん】「こういう橋って渡ってないよね?」
【街の人】「渡ってる。相合橋のような気がするな」
兵動さんはお気に入りの喫茶店「アラビヤコーヒー」に立ち寄ります。1951年創業の老舗で、芸人や歌舞伎役者も通う人気店です。
【兵動大樹さん】「このアラビヤサンドが名物です。見てください、この卵の色ね」
【オーナー】「ええ卵使てますねん」
ここでオーナーと、変わりゆく大阪・ミナミの街について話します。
【兵動大樹さん】「松竹座もそろそろなくなっちゃう?」
【オーナー】「5月で閉めるいうことでね。道頓堀の演芸の文化の火が消えてしまうように思えてね、ツラいとこですわ」
■“橋の欄干の形”が有力情報か 橋を見に行くも…「変わりすぎやろ!」
オーナーが持っていた写真集に、探している橋と似た風景を発見!
【兵動大樹さん】「ここに建物があって、横に字書いてるでしょ。ここと一緒やん。窓の感じも一緒ですしんね」
オーナーの話から、橋の欄干の形が手がかりになることが判明。太左衛門橋は欄干が尖っているので、候補から除外されました。
そこで兵動さんは一番近くにある太左衛門橋、相合橋、新戎橋の3つを実際に訪れることに。
実際に見て太左衛門橋は「ここではない」と確認することができました。
次に相合橋に行きますが…。
【兵動大樹さん】「いや、変わりすぎやろ、橋!これは面影うんぬんの問題じゃないな」
相合橋は、江戸時代に芝居小屋が並ぶ南側と、北側のお茶屋街をつなぐ橋として親しまれてきました。1962年に鉄の橋に架け替えられ、さらに昭和58年には幅が拡張されたのです。
■最後の望み「新戎橋」 近くの寿司店の店主は「欄干一致したら100%新戎橋」
そして最後の望みをかけて訪れたのが新戎橋です。松竹座の前を通り、新戎橋に向かいます。
【兵動大樹さん】「う~ん、これは分からんて。空気感はすごく一番あるような感じはする」
近くにある古い寿司店を見つけて入ると、そのお店は大正6年から道頓堀で営業する老舗でした。
【英ちゃん冨久鮓 3代目・福田光宏さん】「中学校一年生で、南中学というところに通ってました。そっから帰りしなに、この橋を通って、親父の店にカバンを置いて、網でフナすくってました」
【兵動大樹さん】「そん時はまだ網でフナすくえるぐらいの川やったんや」
3代目のお父さんが撮った貴重な写真を見せてもらうと、新戎橋の朱色の欄干が写っていました。
【英ちゃん冨久鮓 3代目・福田光宏さん】「この橋の欄干と一致したら、100%新戎橋」
■写真に写る「喫茶アイリス」 60年の歴史に幕
そして最後の決め手となったのが、道頓堀振興会の方が教えてくれた情報でした。
なんと写真に写っていた「喫茶アイリス」は、新戎橋のたもとに本当に存在していたのです!
「喫茶アイリス」の入り口には「閉店のお知らせ」が…しかし、店にいたアイリスの店主に話を聞くことができました。
【兵動大樹さん】「ここにね、アイリスさんの名前があるんです」
【アイリスの店主】「親父の時の店の看板ですわ」
【兵動大樹さん】「創業で言うたら何年やったんすか」
【アイリスの店主】「創業60数年になる」
かつてこの界隈には、木材関係者のための旅館が7、8軒もあったそうです。川沿いのエリアは、木材を運ぶ船の寄港地だったのです。
■橋が朱色の理由「こっから戎さんに行く」
そして、橋の色にも理由があるとのことで…
【アイリスの店主】「お宮さんに参るための道。こっから戎さんに行くという」
【兵動大樹さん】「だから朱色なんや」
こうして、1962年(昭和37年)の写真は道頓堀川にかかる新戎橋だと特定することができました。
【兵動大樹さん】「今回大変でしたね。一時はどうなるかと思いましたけども、出世地蔵さんに引き合わせていただいた、楽しい回でございました。皆さんも橋渡るときは、『ここはどんな意味あんのやろう』と思いながら、渡ってもらったら楽しいと思います」
(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」2026年1月30日放送)