一枚の写真から街を再発見する「兵動大樹の今昔さんぽ」。
今回の舞台は、JR嵯峨嵐山駅前です。
今回の手がかりとなるのは、1981年(昭和56年)に撮影された1枚の古い写真です。
写真には多数の石像と、それを彫っている人々が写っています。
【兵動大樹さん】「これが1番のインパクトですけど、なんか近所のご婦人が集まって、餅丸めてるぐらいの空気感でこの石像を掘ってはるってありえる?」
多くの人が集まって石像を彫っている様子は、何かの行事だったのでしょうか。兵動さんは早速、地元の人に聞き込みを始めました。
■3度目の出会いに驚く兵動さん
聞き込みをする中で「あだし野念仏寺」という名前が挙がります。さらに別の人からは「嵯峨野のお豆腐屋さんの近くにも石像がある」という情報も。
また、いちご飴の店で出会った親子には、驚きの偶然も。
【兵動大樹さん】「違う番組のロケで嵐山でいちご飴をやってはって。親子さんで。ここになったん?」
【いちご飴の店主】「そうなんです!」
兵動さんがこの親子に会うのは3回目。3回も同じ場所で取材させてもらうという奇跡的な出会いに、兵動さんも思わず笑顔になります。
■聞き込みを続けると「愛宕(おたぎ)念仏寺」の可能性が
聞き込みを続けるうちに「あだし野念仏寺」ではなく「愛宕(おたぎ)念仏寺」の可能性が高まってきました。
愛宕街道を歩きながら、愛宕念仏寺に向かう兵動さん。到着すると、境内には無数の石仏が並んでいました。
【兵動大樹さん】「わぁ、並んではるやん」
様々な表情で個性豊かな石仏が並んでいます。中にはボクサー姿のようなものも。
愛宕念仏寺の住職・西村公栄さんに話を聞くと、これらは「羅漢」と呼ばれるお釈迦様の弟子を表した石仏だと説明がありました。境内には約1200体もの羅漢があるそうです。
■「自分の手で手応えのある供養をしたかった」
もともとは京都・東山にありましたが、大正時代に現在の場所に移築されました。戦時中に寺に住む者がいなくなり、この寺は荒れ果てた「荒れ寺」状態だったそうです。
仏像の彫刻家でもあった先代住職の西村公朝さんは昭和30年に愛宕念仏寺の住職になると、寺を復興するため、一般の人々に羅漢を彫ってもらう企画を立てました。
【住職・西村公栄さん】「羅漢を作りますので、皆さんどうぞご奉納していただいて、お寺に来てくださいとお願いした時に、全くの素人の人たちが集まってきていただいて」
【住職・西村公栄さん】「亡くなられた方々の供養でやりたいっていう方が大変多かったんです。お墓は皆さんあるんですけれども、お墓って自分の手で作らないじゃないですか。
自分の手でちゃんとした手応えのある供養をしたかった。『私のやりたかったことはこういうことやった』という方が非常に多かった」
■自分の手で作った羅漢は自分自身の供養物にもなるという
1981年の写真に写っていたのは、まさにその羅漢作りの様子でした。驚くことに、写真には現在の住職の母親も写っていたのです。
【住職・西村公栄さん】「これ母親の掘った羅漢さん」
【兵動大樹さん】「やっぱり掘ってる人に似てくる?」
【住職・西村公栄さん】「まるまる同じ顔に見えてますね」
住職の案内で、お母様が彫った羅漢を見せてもらいました。亡くなった方々の供養のために羅漢を彫りに来る人が多かったそうです。自分の手で作った羅漢は、自分自身の供養物にもなるのだそうです。
【兵動大樹さん】「下で1~2個見つけたけどね、自分の(似た羅漢)。でも面白いですね。そういう自分を見つけに来るいうのも」
写真の場所を特定した兵動さんは、最後に同じ場所で記念写真を撮りました。
【兵動大樹さん】「今回すごい勉強になりました。皆さんの力を借りて、羅漢さんというのを掘っていただく。それがなんと1200体ございます。ご自分に似てるやつも絶対ありますから探してください」
(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」2026年1月9日放送)