90歳まで語り部を続けた佐藤進さんの遺志を継ぐ親子の決意

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富山大空襲の記憶を語り継いできた佐藤進さん。20年以上にわたり語り部として活動し、今年11月に90歳で亡くなった。長い年月が経ち風化しつつある戦争の記憶を、どのようにして次世代へとつないでいくのか。親子3世代の取り組みから考える。

今年8月、戦後80年の節目に富山大空襲の犠牲者への鎮魂と平和への願いを込めて打ち上げられた白い花火。富山市在住の西田亜希代さん(56)と娘の七虹さん(17)は、特別な思いでその光景を見つめていた。

「戦後80年の8月1日花火大会を迎えられたということで、ご家族に体験したことを話していただけたらいいなと思いながら、きょうは花火を見させていただいていました」と亜希代さんは語った。

亜希代さんは、90歳の父・佐藤進さんに付き添い、富山大空襲の語り部活動をそばで支えてきた。講演の様子はカメラで記録することを欠かさなかった。

「これは個人で私が父の講座を記録していて、体調が不安定なのでどの講座が最後になるかわからないということもあって」と亜希代さんは語る。

2世、3世へとつなぐ記憶の継承

佐藤進さんは講演の中で、「周りに無数の焼夷弾が落ちてきた。直撃は受けなかったが私たちは焼け死んでいても仕方なかった」と当時の恐怖を語っていた。

亜希代さんは大空襲を知る父を持つ2世だからこそできることがあると、おととしの4月、「富山大空襲を語り継ぐ会」に入会した。

「富山大空襲を語り継ぐ会にも体験者が加入されていて、いつかお話を伺いたいなと思っていたらお亡くなりになられたということもありましたし。一人一人の記憶を継承という形で拾い集めてつなげていきたいと思っています。本当に今しかないと思う」と亜希代さんは話す。

富山国際大学付属高校に通う亜希代さんの長女・七虹さんは、この夏に美術部に入部し、ある活動を始めた。

「若い世代がアクションを起こすことによって同じ世代、私たちより下の世代、大人の世代にも影響を与えられるんじゃないかと思い企画した」と七虹さんは語る。

七虹さんが提案したのは、大空襲の体験者から話を聞き、その様子を絵で表現するという取り組みだ。戦争を直接知らない若い世代が、体験者の言葉をもとに記憶を絵で伝えていく。未来への継承を目的とした活動である。

「もし絵が完成すれば写真のように永久的に残る」「昔の出来事に色がつくというか、そんな遠い存在ではないということを示していけるのではないか」と七虹さんは期待を込める。

最期まで語り部を全うした佐藤進さん

今年11月、進さんは入院中に体調が急変し亡くなった。90歳だった。

「今回の入院中に退院したらまた語り部の活動をしたいと私たちに伝えてくれていて、痰をとる装置をつけてもらうと本人も楽だと医者から言われたが、その場合は声が出せなくなると説明を受けたときにそれはダメなんだと言って。声が出なくなると語り部の活動ができなくなるからそれはしたくないと。とにかく声が出る限り、語り部の活動をしたいと最期まで意欲的だった」と亜希代さんは父の最期の思いを語る。

2001年から語り部を始めた進さんは、これまでに287回の講演を行い、のべ2万2331人に大空襲の体験を直接伝えてきた。

戦争体験者からのバトンを受け継ぐ

現在、大空襲や被爆、戦争に関する講演は、戦争を直接知らない2世へと世代交代が進んでいる。広島で被爆した父親の体験を語り継いでいる県被爆者協議会の小島貴雄会長もその一人だ。

「佐藤さんとは一緒に講話をする機会がありました。強い意志を持って空襲の悲惨さを訴えておられた。私の父は一昨年亡くなりましたけれども、80代の時は語り部をしていた。残された私たちは、実際に体験した人たちのつらい思い、自分の身を削った思いをより広く多くの人達に伝えることが使命だと思っている」と小島会長は語る。

亜希代さんが記録した映像には、進さんの最後の講演の様子が収められていた。

「私が出前講座でいつも話をしていることを皆さんに訴えたいと思うが、戦争は絶対にしてはいけませんね。だけど皆さんは今すぐ世界を平和にすることはできません。自分たちの周りの小さな平和を考えてみましょう。小さな思いやりがやがては世界の平和につながっていくんです」

戦争の記憶を未来にどうつないでいくか―。亜希代さんと七虹さんは一緒に取り組んでくれる仲間を募っている。

(富山テレビ放送)

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