米どころ・宮崎県えびの市の田畑にたたずむ神様「田の神さぁ」が、五穀豊穣を願い愉快に舞う、伝統神楽「田の神舞」。約300年前から受け継がれるこの舞は、みんなが神様に「チャチ」を入れる、見た人が思わず笑顔になる舞だ。長年、地域を明るくしてきた大切な伝統芸能の継承に、近年、新たな活気が生まれている。

「田の神さぁ」に込められた願い

宮崎県内随一の米どころとして知られるえびの市。霧島連山や周囲の山々から流れる清らかな水と豊かな土壌がおいしいお米を育てる。

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稲穂の横に笑顔でたたずむのは「田の神さぁ」。大切に育てられた稲を見守り、豊作をもたらしてくれる神様として、長い間愛されてきた。

「田の神さぁ」は、農民型・神官型・地蔵型・自然石の4つの形態があり、五穀豊穣や子孫繁栄などの願いが込められている。

伝承によると、田の神さぁは冬には「山の神」となり、春になると里におりて「田の神」として田畑を守り、収穫を終えた秋には再び山へ帰ると伝えられている。

市内には約150体の「田の神さぁ」が祀られている。

伝統芸能「田の神舞」の継承

この個性豊かな田の神さぁが笛や太鼓に合わせて踊る「田の神舞(たのかんめ)」。えびの市・水流地区に約300年前から伝わる神楽の一つだ。

元来、水流神楽(1954年)は33番の演目があったが、戦後、他の演目の継承が難しくなり「田の神舞」だけが残ったという。

以前は柳水流地区にも「田の神舞」があったが、後継者不足で伝承が途絶え、えびの市では水流地区にのみ残る、貴重な伝統芸能となっている。

秋の例大祭前には、水流公民館で練習が行われていた。

舞手の上水正喜さんは、約25年前に先代から「田の神舞」を受け継ぎ、大切に舞い続けてきた。

舞手 上水正喜さん:
地区の飲み会のときに長老たちから取り囲まれて、「どしてんこしてん”田の神舞”の舞手を継いでくりゃい」と頼まれた。お酒を飲んだ勢いで「ハイ!」と答えた。

上水さんは「田の神舞」を受け継ぐ際に、長く続けていくためには「毎月1回は必ず保存会で集まること」を提案。

その後、ほぼ毎月みんなで集まってきた結果、近年、地区内外から若者が保存会に参加するようになったという。上水さんは「未来は明るい」と話す。

田の神さぁが舞う「田の神舞」

田畑の中に建つ鳥居と菅原神社。約600年の歴史があり、御祭神は菅原道真公だ。毎年11月23日に「秋の例大祭」を行い、「田の神舞」を奉納する。

「田の神舞」の神楽面。面には「元文五年(1740年)三月」と刻まれている。約285年前に作られた面で、大切に受け継がれてきた。

舞手 上水さん:
285年間伝えられてきた面を大事に、作った人の思いも受け継いでいくべきだと思っている。

「田の神舞」の舞い。田の神に感謝するとともに神々に誠意をのべて舞い納める。

物語は、春に全国の神々と人々が集い楽しんでいるところへ、汚れて歯の欠けたお爺さんのような「田の神」が山から下りてくるところから始まる。

人々はこのお爺さんを田の神だとは思わず、「失せおれ!」と言うが、自ら「田の神」と名乗り、物語が進行する。

田の神の口上には周りから諸県弁でのツッコミも入り、観客を沸かせる。

「働きを為す者には この御尺寸で 粥の濃いとを… ごいと押し付け」

「捻じい付けつ 豊かに勧めもし」

子どもも思わず笑顔に。

舞手 上水さん:
「田の神さぁ」は子どもが特に大好きで、子どもがおしっこをひっかけても決して祟らない、バチを与えない、とても優しい神様。ホラ吹きでお人好しでちょっと女性が好きな300数十歳になるお茶目な神様。

田の神舞のときはみんながチャチを入れる。

上水さんは、「神様にチャチを入れるということが、そもそもみんなから慕われているということ。たくさんいらっしゃる神様の中でも、田の神さぁが1番なじみ深い」と話す。

観覧者:
最近引っ越してきた。すごくおもしろい神様、舞だった。

観覧者:
田の神さぁは静かそうに見えてたけど、おもしろかった。

観覧者:
神様を身近に感じられるのがいいと思った。

舞手 上水さん:
「楽しかったです」と言われると嬉しいし、今後も続けていきたいと思っている。皆で地域を盛り上げていくための「田の神舞」であって欲しいと思う。

「田の神舞」は、毎年、白鳥神社の春季例大祭(3月20日の春分の日)と菅原神社の秋の例大祭(11月23日の勤労感謝の日)で奉納されている。

(テレビ宮崎)

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