近年、増加傾向にある“墓じまい”。 いま、多くの人が“お墓問題”に頭を悩ませている。
こうした中、あの名家も“絶家”と“墓じまい”に取り組み出した。

300坪もある東京の墓所を管理

イット!が取材したのは、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の玄孫にあたる山岸美喜さん。

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明治初期に創設された「徳川慶喜家」の5代目当主。

徳川慶喜は1867年、幕府から朝廷に政権を返上する「大政奉還」を行い、第15代将軍の職を辞した。

その後、明治に入り、華族最高位の公爵の爵位を授かった際に、徳川宗家から分かれたのが「徳川慶喜家」。

4代目当主の慶朝さんは8年前に病死。

姪である山岸さんは慶朝さんが闘病中、献身的に看病し、慶喜家の財産を引き継いだ。

山岸美喜さん:
こちらが徳川慶喜家のお墓です。徳川慶喜と(妻の)美賀子さま、奥に側室の方とかがいらっしゃるんですが、こちら正門で、徳川慶喜家の紋がこちらになります。

普段は鍵がかかり、中には入れない徳川慶喜の墓。特別に墓参りに同行させてもらった。
いまは名古屋市に住んでいる山岸さん。300坪もある東京の墓所を管理しているという。

山岸美喜さん:
住んでいないところに300坪の管理をするのは現実的ではないですし、悩み事はありますね。

慶喜の名前などが書かれた石は削れ、墓を囲う塀も一部が崩れ落ちていた。
塀を修理した場合、かかる費用は3000万円ほど。
そこで、山岸さんは自身の代で“墓じまい”することを決めた。

山岸美喜さん:
どの家も墓ってお持ちだったりすると思うが、ある意味「負の遺産」みたいな側面も持ってると思う。ご先祖さまがせっかくいらっしゃるところ、そういうことを言うのは申し訳ないが、かかる負担が非常に大きくて、お墓の所有権を然るべき所にお渡しして、親族というか子孫からの責任から外れさせていただくというのを今やろうとしている。

先代の慶朝さんも「こんな苦労は僕の代でおしまいにしたい」と生前から専門家に相談していたという。

歴史的な史料  約6000点も

さらに、山岸さんが引き継いだ遺産は墓だけではない。

徳川慶喜直筆の書や油絵など、歴史的な史料が約6000点残されている。

山岸美喜さん:
家族の歴史を日本の歴史にする作業と呼んでいるが、どこのお墓もお墓は家族の物という印象だと思います。私にとってはやっぱり家族のお墓。
でも最後の将軍だということもありましたし、歴史的な要素が大きいということで、たくさんの方がいらっしゃったりします。それをちゃんと家族から公の方に移行するというか、そういった形がうちの“墓じまい”の形になるのではないか。

今後、史料は然るべき場所に寄贈し、墓地は現状維持してもらえるよう働きかけていくという。
(「イット!」12月3日放送より)